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あなたは、自分が作った料理に怒りますか?

今回は家庭も持っていないような、糖度487.2(ググったら最高値らしい)の戯言です。
「こいつ家庭のこと、何にも分かってねーなwww」で一笑に付しても良い。
もし一粒でも良いから、何か響くものがあれば幸いです。


最近、XのTLで夫婦関係のポストをよく見かけた。
元のポストはパートナーのことを褒めているだけなのだが、それを引用して「うちの旦那からは感謝とかされない。マジで成長しない。なんでなん?」と言った類のポストで、よく見かけるものだとは思う。

しかし呟いている方たちを見てみると、それなりに夫婦(家族)としての時間を過ごしてきた方が多いように見える。

外側から見ている私は、こう思わずにはいられない。

え?この人たち、0日婚した中学生なのかな?


結婚して1年とかならまだしも、何年も過ごしてきて「理想のパートナーにならないわー。」って、あまりにも他責ではないだろうか?

「付き合ったらイメージと違うんだよねー。」のまま付き合い続けて文句垂れるのなんて、中学生までじゃない?

こういった方自身、夫婦関係以外のことで他責にしてしまうことはほとんどないのではないだろうか?

私は料理が好きなので、夫婦生活を料理に例えて考えてみようと思う。

あなたがカレーを作りたいとする。材料はすでに購入済みだ。
材料の特徴は購入時点で分かっていて、「メイクイーンは煮崩れしにくいからしっかり煮込むか」だったり「新玉ねぎを活かして甘味を出すか」とか考えながら、実現可能な理想を思い描くはずだ。

で実際に調理してみた結果、上手くいかなかったとして

「なんでこんな出来なんだよ。こいつムカつくわ◯すぞ。」

なんて思うだろうか?

おそらく

「やばwww美味しくないwwwちょっと待ってなんでなんwww」

と思うんじゃないだろうか。

もしくは

「どこを改善したら良いんだろう?誰かの投稿を参考にしてみるか、、、」

と思うかもしれない。

いずれにせよ、自分の行動を振り返りはしても「料理」そのものに激しい怒りを覚えるなんて事は、ほとんどないはずだ。

だって、自分が能動的にアクションしてるんだから。そこに他責がのこのこ入り込んでくる余地なんてないはずだ。

ではなぜ、パートナーの欠点は一方的に相手のせいになるんだろう?
「夫婦」が共に作り上げていくものだとしたら、そんなパートナーになってしまった責任の一端は、自分にはないのだろうか?(よっぽど◯ズの場合を除く)

それが下手にバズってしまって、たまたま相手がやっているSNSのTLに表示されようものなら、一方的な私的リンチに早変わりだ。

ちょっと想像してみてほしいが、仮に共通の知人がいる前で普段の至らない点を言われたとしたらその場で怒る事なんてできるはずないし、「えへへ、、、気をつけますね、、、」くらいのリアクションしか選択肢がない。

例えそれが真実であり、言った側に正義があったとしてもそうだと思う。

人は、人から指摘されてすぐに内省することができるほど優れてなんかいないし自分が気づかない限り、変わる人なんていないんだ。
よっぽど、徳のある人じゃない限り
「人前で貶められた」
「人格否定された」
「今の感情と逆のアクションをさせられた」
の方が先に溜まってしまって、恨みが募るだけなんだよ。
世間一般の皆が感じることはほとんどの面で間違ってないだろう。
でも、一般論の「印籠」を掲げても多分、夫婦の間ではその威光は伝わらないんじゃないだろうか。

少なくとも、あなたが引用しているポストのパートナーは理想の家庭に近づけるよう対話しているからこそ、そんな素敵なパートナーになったんじゃないのかな?

夫婦間に必要なものは『印籠』を掲げてぶん殴ることなんかじゃない。
必要なのは「お互いについて対話すること」なんじゃないかと、感じたエピソードがある。


大学生の時に初めて父と二人で飲みに行き、こんなことを聞いた。

「なんであの時、離婚しなかったの?なぜ、離婚を選ばなかったの?」

今考えると、めちゃくちゃ失礼だ。父はドキッとしたかもしれない。

というのも、私たち兄弟から見ると、両親は性格の相性が悪い。
私が小学5年生くらいの頃は、喧嘩が絶えなかった。
「皿洗い」から「親戚づきあい」、果ては「家族での外食代(両親は財布が別派だった)」まで生活のあらゆるところが紛争地域だった。
なので、子供心に「お父さんとはそろそろ別に過ごすのかなぁ、、、」なんてぼんやりと考えていたし、週末は兄弟で「誰がどっちと一緒になる?」なんて話すことも多かった。
しかし今となっては二人で家庭菜園を始める程度には仲が良い。

なので、ふと二人になったタイミングで聞いてしまったのだ。

ところが、質問に対する父の答えは私の予想とは違っていた。

「離婚したいとは思わなかった。ただ、このままでは離婚すると思ったから『離婚しないための話し合い』をしたんだよ。」と

父はそのまま続けた。

あの頃、仕事の忙しさなのかなんなのか原因は分からないがお母さんとの雰囲気は良くなかった。このまま険悪なムードが続くと望まぬ離婚をすることになってしまう。なら、どんなに時間がかかってもいいから離婚しないための話をしよう。

と考えて母親に「離婚しないための話し合いがしたい」と伝えて、何日間かかけて、子供達が寝た後に話をしたと。

それ以来、家庭で何かあればきちんと時間を作って話しあうようにしたと。

その中には話し合いで解決できなかった問題もいくつかある。

しかし相手の全てを理解する必要はない。

理解できないままに受け入れることも大事なのだと。

夫婦という極小のコミュニティですら、「対話」なしには成り立たない。

お互いが相互に関与しあっていくべきなのだと。

少なくとも、あなたが引用している素敵なパートナーの相手はきっとそれをしているはずだ。
そして、それを理想とするのであればあなた自身が同じように対話をするべきではないだろうか?

この事は夫婦関係のみに限らず、会社でもそうだと思う。

他人が変わらないことを責める前に、自分が関与することから始めよう。

あなたも私も、会社というコミュニティの中にいる一員なんだ。

それで駄目なら、コミュニティを変えれば良い。

この世界にはいろんなコミュニティがあるんだから。


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