政治家になるための、人間関係の基本について

まえがき

地方選も後半戦ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

今日は、政治家になるためにどのような人間関係上の条件が必要なのかについて、お話ししたいと思います。

またお説教かな?と思われた方はごめんなさい。でも、少しだけ耳を傾けていただけませんか。

政治は政策実現こそが重要であって、政治家の人格なんてどうでもいいという意見もあるでしょう。それももっともな意見です。政治において、人格批判はご法度だというのも理解できます。

それに、個人的には他人に道徳を説くことは、本当に恥ずかしいことだという思いもあります。

ですが、やはり恥を忍んで、書いておかなければならないと思うのです。それは、誰かを批判するためではありません。あまりにも昨今の政治の劣化が激しいからです。その背景には、やはり「政治家として当たり前のこと」を、みんなすっかり忘れていることが根本にあるように思われるのです。

政治は人間の営みです。政治を実践する人間の質が悪くなれば、政治も劣化します。有権者にマウントを取ってお説教をしたり、あげくに脅したりする政治家をSNSで見るにつけて、「そりゃ支持を得られないよな、政治家の仕事を勘違いしてるし、こんな発言は党にとっても大ダメージじゃん」って落胆します。

と、嘆いても仕方がないので、政治家としてどう振る舞うべきかをここに残しておきます。

誰に読んでほしいのか

まず、政治家を目指す人に読んでほしいです。そして、現役の政治家にもぜひ読んでいただきたいと考えています。

正直、すっごい当たり前のことしか書いてないです。でも、その当たり前のことが本当にできている政治家は、私が見渡す限り、とてもとても少ないと思います。

だから、あなたが今、実践できていなくても大丈夫です。私が書いていることの大切さがわかる人であれば、良い政治家になれる素質があると思います。ただ、あとは自分の振る舞いを見直し、実践するだけです。

また、有権者の皆さんにもぜひ読んでほしいです。素質のある政治家や政党を、支持者が間違った仕方で持ち上げて、「自分が偉いんだ」と勘違いさせてスポイルされ、結果として傲慢な政治家になった実例がたくさんあります(実名は出しませんよ)。

有権者として、政治家がどのようにあるべきなのかの大前提を共有しておくことで、あなたが支持する政治家や政党が長く活躍できるようになるはずです。

政治家の仕事と、サーヴァントリーダー

政治家の仕事は、道徳を説くことでも、その模範を示すことでもありません。この社会に住む人の生命を育み守り、その生活を良くすることです。

そのような政策が実現しさえすれば、政治家の人格は関係ないというのも一理あります。しかし、その仕事を全うするために、人格や人間関係の振る舞いが重要なのだというのもももう一面の真理です。

政治家とは、いわば他人のために奉仕する仕事です。でも、その仕事を全うさせるための道具として、政治家の人格が重要なのです。

もう少し具体的に説明します。政治家が有権者のために仕事をするためには、

  • 有権者の声に耳を傾け、その困りごとやニーズを汲み取る必要があります。

  • 有権者のために、その困りごとの背景にある社会問題を分析し、政策立案をし、実現しなければなりません。

どちらも独りよがりではない形で実現するためには、自分の中の正義感ではなく、有権者の立場に立って物事を考えられるようになる必要があります。

そして、政治家になって活躍するためには、

  • 多くの人の継続的な支持が必要です。

  • 普段の政治活動も、選挙運動も、たくさんの人の応援が必要です。

政治家1人の存在それ自体が、有権者を巻き込んだ一つのプロジェクトなのです。そのプロジェクトをうまく回すためには、やはりリーダーとしての政治家の振る舞いと人徳が重要になってくるのです。

世の中にはいろんなリーダーシップ論がありますが、議会制民主主義の政治家が目指すべきは、サーヴァントリーダー一択です。なぜなら、民主主義においては、有権者こそが主権者だからであり、政治家はその代理人にすぎないからです。

サーバント(servant)には、召し使いや使用人という意味があり、サーバントリーダーシップとは、部下に対して指示や命令するのではなく、奉仕した上で目標を達成できるよう主体的な行動を促すリーダーシップです。
(中略)
サーバントリーダーシップは、部下の話を傾聴し共感することが中心になるため、コミュニケーションの質に大きな違いがあります。したがって、部下の話に耳を傾け、どうすれば部下の役に立てるのかという視点が必要になるのです。

Schoo for Business サーヴァントリーダーシップの基礎

ところで最近、この基本を忘れている政治家が与野党ともにあまりに多すぎませんか、そしてそんな振る舞いをする政治家をもてはやす支持者が多すぎませんか?

政治家としての振る舞いの基本

では、どうすればいいのか。人間関係の基本をきちんと行うことです。

  • 挨拶をする

  • 約束を守る

  • 感謝をする

  • お願いをする

  • 謝罪をする

どれも当たり前のことですよね。でも、それがすべて、本当の意味で出来ている政治家はあんまりいません。

①挨拶する
まあ、挨拶ぐらいは流石にできてる人が多いでしょう。駅前にたって挨拶する人も多いですからね。挨拶とは、お互いに1人の人間として認め合うということで、人間関係の原点のようなものです。
でも、気にくわない有権者なら無視したり邪険に扱ったり、いかがわしい人呼ばわりしたり、ブロックしたりしたりする国会議員も普通にいます。論外です。そういう行動は全部見られています。それで損をするのは、政治家本人です。

②約束を守る
約束を守る政治家なんて、残念ながら全くと言っていいほど存在しません。

小さな約束、たとえば講演会とか待ち合わせとかは守れるかもしれません。

しかし、「公約」って有権者との公の、もっとも重要な約束ですよね。で、約束したなら、実現しないといけませんよね。
でも、本気で実現しようとしている政治家・政党がどれだけありますか?
みんなスローガンだけで、選挙が過ぎたら何も動かないじゃないですか。

そんなありさまだから、有権者が政治に期待をしなくなるのです。有権者が政治に無関心であると嘆くまえに、政治の側が、自らの不誠実さをあらため恥じるべきです。

③お願いをする
政治家の仕事は一人では到底回せません。秘書であれ、ボランティアであれ、なんらかの人手がかならず必要です。だから、仕事を自分一人で抱え込まずに、きちんと頭を下げてお願いをしましょう。なんか困ってる雰囲気を出して、自発的に手伝ってもらうのを待とうというのでは、成熟した大人の振る舞いとは言えません。

仕事内容によっては対価を要求されるかもしれませんが、それが正当なものであり合法的なものであれば、気持ちよく払ってあげましょう。相手に身銭を切らせて当たり前だと思わないでください。

もちろん、ボランティアがダメだという話では決してありません。ボランティアを募集することは必要ですし、とても大切なことです。その時に、きちんと頭を下げてお願いをしましょうということが言いたいのです。

ボランティアで何かをやってもらって当たり前という感覚では、周囲の人は疲弊するばかりです。

④感謝をする
支持者や有権者、部下や同僚にボランティアで何かしてもらったことを、当たり前だと思っていませんか?本当に感謝ができていますか?何かの仕事をしてもらっても、感謝がなければ人は離れていきますよね。

たとえば、私に政治に関する諮問をしてきて、こちらが誠実に答えたのに、感謝どころか返事すら政治家もけっこういます。仮に相手が内心で思っていた答えと違った返答だったとしても、そのためにこちらは時間と知力を割いているわけですから、次からは相手にしなくなるのは当然です。

個人的に見返りや承認が欲しいわけではないです。しかし私たちはそういう振る舞いも見て、「この人が政治家として足る器か否か」を見極めているのだということは、忘れないでください。

⑤謝罪をする
人間、生きていたら誰でも間違えたり、失礼なことをして誰かを怒らせたりすることはあります。私も普通に生きていて、恥ずかしい情けない振る舞いをしたことは何度もあります。

完璧な人間などいないのだから、大切なことは、過ちを指摘されたり、他人の感情を害した時に、誠実に謝罪をすることだと思います。許すかどうかはもちろん相手次第です。でも、誰でも過ちを犯すので、許しあうことでしか社会は成立しないとも思うのです。


以上は本当に、人間関係の基本中の基本です。しかし、それがちゃんとできる政治家はほとんどいません。特に支持者がすぐ離れていく、なかなか票が積みあがらなくて何時も当落線上だという人は、自分の振る舞いに問題がないか、ぜひ振り返ってみてください。以外とこんなところで、票を落としていたり、大切なボランティアを失っていたりするものです。そして、気が付いたら真摯に謝れば良いのです。

人間関係の基本と自他分離について

政治家にとって、どうして人間関係の基本である挨拶・約束・お願い・感謝・謝罪が大切なのでしょうか。

それは、政治家の仕事が、有権者のための仕事だからです。その仕事をきちんとこなし、この社会に住む人にとって良い政策を実現するためには、他人の立場に立って考えようとする必要があります。

他人の立場に立って考えるって、口で言うけど、そんなに簡単なことではありません。結局、自分は自分でしかありえませんから。でも、自分のことや自分の信じる正しさだけを追求していては、政治家としては失格なのです。

他人の立場に立ってものを考えられるためには、自他分離できることが必要です。つまり、自分と他人が根本的に異なる感情や認知や人生を背負った一つの人格であることを認めることです。そして、自他分離を日々互いに認め合う振る舞いこそが、挨拶・約束・お願い・感謝・謝罪なのです。

なぜ政治が、他人の立場に立とうとすることが大切なのか。ある愚かな実例について。

どうして政治において自他分離が決定的に重要なのか、一つ例を出します。ある野党の国会議員がTwitterで、自分が実現した政策として日雇い派遣の禁止を誇っていました。それを見て、学生時代に日銭に困って日雇い派遣をしていた僕は心底残念に思いました。

今すぐお金に困っている人にとって、支払いサイトが即日~1週間と短い労働形態は、いわば命綱でした。普通に正社員やらアルバイトやらをしたら、働き始めてから支払いまでに1か月半ぐらいかかるわけです。その間、交通費やらスーツ代やら生活費やらは全部持ち出しです。手元に貯金がなければ、働くことすらできないのです。

僕が日雇い派遣をしていたのは「夢を追いかける若者たち」みたいにフリーターが言われていた時代です。しかし、僕のまわりで実際に働いていた人たちの中心は、女性は20代でしたが、男性は40代から70代でした。その中には、ネットカフェ難民をしていた人も大勢います。

しかし、あるとき政治は愚かにも、日雇い派遣を禁止したのです。しかも、悪意があったわけではなく、むしろ「善意に基づいて」禁止したのです。意図としては、「格差社会の解消」だったのでしょう。あの政治家にとっては、日雇い派遣は撲滅すべき社会悪だったのでしょう。しかしもう一度言いますが、その日雇い派遣で働いている僕らにとっては、文字通りの意味で命綱だったのです。

生きる術を喪った人の一部は、ネットカフェ難民をやめ、ホームレスになったのかもしれません。もしかしたら、生活のためにやりたくもない性サービス業に従事した人もいるかもしれません。

政治家の思惑通り、たしかにそれで格差社会は少し解消されたのでしょう。でも、それは格差の下の人を、格差の外部に追放しただけだったのです。

なんでこんな勘違いが起きたのか。それはイデオロギーに基づいて、社会を「正しい方向に変えよう」としてしまったからです。そして、政治が誰かの生命や生活のためのものであることを忘れていたのです。だから、救うべき人々を困窮させ、死の淵に追いやって、そのことに未だに気がつかないのです。

政策によって影響を受ける人たちの意見に耳を傾けようとするどころか、そうした人々の存在すら忘れて社会正義を実現しようとすると、必ず悲劇が生まれます。救うべき人をかえって困窮させた実例として、いわゆるAV新法のことを思い出していただければ良いでしょう。

以上のことは、すべての政策に言えることです。いかなる政策も制度設計も、誰かに影響を及ぼさないということはありえません。(まったく影響を及ぼさない政策なら、単なる税金の無駄遣いなので直ちにやめるべきです)。なのに、政治の側が、その事実を完全に失念している。これでは政治が劣化するのは当たり前だし、日本が悪い方向に行くのは当たり前でしょう。マクロレベルでの政治経済と、ミクロレベルでの政治家の人間関係は、深いところで繋がっているのです。

こうした勘違い政治による悲劇を繰り返さないためにも、政治の向こうに有権者がいて、その人々のために政治家である自分が存在しているんだということを日々思い出し続けることが、政治家にとって何より大切なのです。

野党は、自分たちを社会正義だと考えています。でもその社会正義が有権者の支持を集められないのは、そんなところに本質的な原因があるのかもしれません。

最後に。家族との正常な関係から始めましょうという話

話を人間関係の基本に戻します。

人間関係の基本的な振る舞いは、ある程度、政治家は表面的に取り繕うことができます。ですが、有権者もバカじゃないので、それが本音なのか、票や支持者集めのためなのか、普通に見透かすことができます。

昔、シリウス・ブラック(ハリー・ポッターの養父)は、誰かの人となりを知るためには、目下の人間に対する態度を見れば良いと言いました。まさに至言です。

本当に自他分離ができるためには、家族や部下に対しても、挨拶・約束・お願い・感謝・謝罪がきちんとできているものです。逆に、自分の子どもや配偶者に対してこうした振る舞いがきちんとできない人は、本質的な意味では自他分離ができていません。

これは、悪い意味での甘えです。これが部下に対するものなら、普通にパワハラになります。そして、すぐに人がやめていくわけです。政治家になっても、秘書が長続きしなかったりする場合、それは彼らの能力が低いからでも根気が足りないからでもなく、雇い主である政治家が大人になりきれていないのです。それが、政治の世界でパワハラスキャンダルが横行する、本当の理由だと思います。

政治の仕事は本当に大変です。家族に多大な負担がかかりますし、家族の協力がなくしてはとても成り立ちません。具体例は挙げませんが、政治家の子どもがネグレクトされたあげくにグレるというパターンがあまりにもたくさんあります。政治に邁進するあまり、家族を不幸にしては、意味がありません。自分や家族も含めて、多くの人が幸せになってこその政治です。

だからこそ、家族を大切にしてほしいのです。有権者にとってはあなたは一人の政治家ですが、家族にとっては、あなたはたった一人のかけがえのない配偶者であり、お母さんであり、お父さんなのです。

もう一度言いますが、家族を大切にするということは、甘やかしたり言いなりになったりすることではありません。そうではなく、相手を自立した存在として認めるということです。

人間は、家族に対してはつい甘えが出て、普通に当たり前にコントロールできたり。わかり合えたりできると思い込みやすい生き物です。だから家族を本当の意味で尊重するということは、実は人間関係でいちばん難しいことなのです。

家族に対して、ちゃんと謝罪したり、お願いしたり、約束を守ったりできる人が、本当に自他分離ができている自立した人間です。だから、本当に有権者の立場に立って考えられる政治家になるためには、まず、家族との関係から見直していくことが大切だと思います。それが自分を政治家として成熟させていきます。

ぜひじっくり考えて、実践してみてください。

あとがき

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

説教臭い話で、本当に恐縮です。

個人的にこっぱずかしいったらありゃしません。でも、当たり前の事なのに誰も言わないし、誰かが言わなきゃどうしようもないことなので、恥を忍んで書きました。

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