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本多平直氏はなぜ辞任したのか―政治的正しさよりも大切なもの―

失われた立憲民主党の存在意義

2021年衆院選は、立憲民主党の惨敗という結果に終わりました。

その結果、枝野代表は辞任しました。福山幹事長も代表選後の辞意をマスコミでは表明したようですが、Twitterでは以下のツイートしかありません)

代表選は、これからの立憲民主党のあり方を問うべき選挙です。立憲民主党が再生するために、自分たちがどのような過ちを犯してきたのかを振り返り、そこからの学びがなければなりません。共産党を含む野党共闘の是非以前に、旧立憲民主党時代から現在に至るまで長期的に支持を失ってきたこと、そのことを自覚し、改める必要があります。

どんな組織や人間でも、その勢いが失われるとき、必ず自らの存在意義とも言うべき「コアコンピタンス」あるいは「アイデンティティ」を放棄しています。立憲民主党なら、「立憲主義」と「民主主義」がそれでしょう。

本多平直議員をめぐる問題とはなんだったのか

その点において、本多平直議員をめぐる問題は党にとって自殺問題でした。よく知らないまま誤った情報をもとに発言している「ジャーナリスト」や「研究者」も未だに多数存在するので、簡単に概要をおさらいしておきます。

5月10日の立憲民主党「性犯罪刑法改正に関するワーキングチーム」において、「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」と本多平直議員が発言した、とマスコミが報道しました。

しかし当該発言は、党の調査報告書でも確認されておりません。元の発言がどのようなものだったのかは、全く明らかにされていないのです(!)。当日の録音データも現在まで隠匿されているからです。

捏造された発言が何者かによってリークされました。そして現在に至るまで党は誤った報道を公式に訂正していないのです。

これ私は私はnoteで党の調査報告書や本多氏の意見書などを精査してきたので、未読の方はぜひご一読ください。

繰り返しになりますが、立憲民主党は「立憲主義」と「民主主義」を存在意義とする政党のはずでした。しかし、本多氏の一件に表れているように、いまや党中枢が政策を決め、都合が悪くなったら悪評を意図的に流してパージする、そのようなファシズム政党に成り下がってしまったのです。

本来、立憲民主党の代表選では、この深刻な党体質の変質に対してどのように向き合うのか、それが問われるべきでしょう。しかし、これまでの代表選を見る限り、その問題に向き合おうとしている候補が存在するようには思われません。本多議員の配偶者である西村ちなみ候補も含めてです。

本多議員辞任の経緯

この問題は、本多平直氏の問題と言うよりは、むしろ立憲民主党上層部の問題です。ただ、それに対する本多氏側の動きも、若干わかりにくいものがあります。

本多議員は報道当初、このような発言は行っていないと記者会見で説明責任を果たしたい旨、福山幹事長に申し出ました。しかし福山幹事長からは強く止められたとのことです。結局、本多氏は発言をそのまま認め謝罪を行い、幹事長から厳重注意処分を受けました。その後、党の調査報告書が発表されましたが、それは事実認定も何一つなく、調査委員が非公表で、日付すらまともに入っておらず、当該ワーキングチームのメンバーさえ不明という、杜撰極まりない代物だったのです。その調査報告書をもとに、本多議員が1年間の党員停止処分に諮られることが決定すると、本多氏は「意見書」を出して経緯説明を行い、徹底して争う姿勢を見せました。

立憲民主党の支持者でも、調査報告書のあまりのデタラメさが明らかになると、本多氏支持に回った人たちが多くいました。

しかし、誠に残念なことに、党の処分が決定される倫理委員会の結論が出る前に、本多議員が自発的に離党・議員辞職をするという形で決着してしまいました。

もう一方の当事者である福山幹事長ですら、倫理委員会の当日に離党届を持ってくるとはまったく想定していなかった様子が、記者会見からもわかります。

本多平直は辞任会見で何を語ったのか

実際には何があったのか、それを解説することが、本note記事の主題です。

本多氏が記者会見で語ったことは、その本質的な部分は新聞記事などでもほとんど紹介されていません。

私は、この記者会見で本多氏が語ったことは、今回の事態の総括として、当事者ながら本質的な部分を語っていると思うので、ぜひ皆さんに見ていただきたいと思います。

まず、議員辞職する理由について、本多氏は次のように語っています。

しかし残念ながら、ここに至っても、あらゆる手段で闊達な党内議論を封殺しようとする一部の人たちがいます。ワーキングチームの座長に、ワーキングチームの運営について、二人で忌憚のない話をしようと、私から提案し、心から信頼して話した内容が、また外部に流出するに至っています。その文章の中には、被害者や支援団体の皆さんなどを著しく傷つける表現があります。正確な表現や前後の文脈は覚えていませんが、行きすぎた、極めて失礼な表現であり、心からお詫びを申し上げたいと思います。本当に申し訳ありません。
こうした事態が続けば、第三者の方をさらに傷つけたり、党にもこれまで以上に迷惑をかけかねません。これらのことを鑑み、本日離党届を提出し、先ほど受理されました。
また、私は比例代表選出の議員です。党を離れる以上、筋を通し、衆議院議員を辞職することの決断をしました。

「あらゆる手段で闊達な党内議論を封殺しようとする一部の人たち」は、明らかに寺田座長を含んでいます。そして、寺田氏が二人だけの会話で話した内容を録音し、それを切り取って糾弾した「寺田意見書」が離党・辞職の契機であったことがわかります。

ただ、私が求めていた、自由闊達な党内議論は、民主主義にとって極めて重要な問題です。結論を出す過程において、意見の多様性を重視し、議論を戦わす事こそが国会議員の責務と考えてきました。悪質な表現の切り取り、その流出、マスコミへのリーク、二人だけの会話を密かに録音し外部に流出させる行為、こうした行為で党内議論が萎縮することを深刻に懸念しています。党に残る仲間の皆さんがしっかり立て直しをしていただくことを強く望みます。

問題の本質は、党内の議論のあり方をめぐる寺田座長を含む党幹部との対立です。党の調査報告書にもあったように、性交同意年齢引き上げは、泉政調会長ら党幹部がワーキングチームに命じた方針でした。

それに対して本多氏は、議論において自分の主義主張を固定しようとしていません。その「議論のあり方」に対する周囲の無理解が、問題の発言についての誤解を招き寄せました。

近い議員に話してもわかってもらえるまで時間がかかるのですが、18と15は1つの論点で、50の話はぜんぜん別の論点で、たまたま私が38歳だとしたら38の私と、と言っただけなんです。先生が、年齢差が離れている場合には恋愛は存在し得ないと仰ったので、今ここに50代の私が存在しますけれども、私がいま若年の子との恋愛があると、もし当事者が言ったとしても、先生はないと仰るのですかという先生の考え方を引き出すための発言でした。自分の信念であるとかないとか言うより、先生は100%ないと仰るので、今ここにいる、その時の年齢は私が38だったら38の私がと言ったと思うんです、たまたま私が50代だったので、50代の私が恋愛があると主張しても先生はないと仰いますかという(以下略)

わかりにくい論点だと思うので、私なりに一応補足しておきます。

「歳の離れた恋愛は絶対にありえない」という主張は、一例でも具体例が実在すれば偽ということになります。

「現に歳の離れた恋愛が存在する」と実在する人間が当事者として主張した場合に、学者としてどのように返答するのかを問うのは、議論としては当然です。それはあくまで相手の議論の根拠を確認するための「仮定」でしかありません。本多氏が自身の主義主張として「歳の離れた恋愛が必ず存在する」と主張しているわけではなく、ましてや「私がその当事者である」と主張している訳では決してないのです。(そんなことを言い出せば背理法を使用できなくなります)

しかし、議論とは「何かの立場を主張することである」としか理解できない人にとって、このような本多氏の議論の仕方は、ただの妨害工作のようにしか見えなかったようです。

たとえば、記者から性交同意年齢の引き上げに絶対反対の立場なのか尋ねられ、次のように答えています。

日本には他の国にはない淫行条例という別の法律があって、それで中間層、13歳、14歳、15歳、16歳、17歳、ここを守っています。ですから、多くの場合、淫行条例で処罰をされているので、刑法をあげると、先ほど言ったように問答無用の処罰が上がってしまうので、18歳と15歳のような例をどう残すのか、その議論を訴え続けてきたつもりです。ですから引き上げるときでも、なんらかの刑法の中に、淫行条例にあるように、真摯な恋愛をしている場合は除くと、結婚を前提としている場合は除くと、しかし、一方の主張としては、若い人は恋愛だと思いこまされている例があるという指摘を先生たちからもらいましたので、そういう場合もきちんと入れる、こういう議論を逆にきちんと入れる、こういう法律が作れないかという議論をしてきましたけれども、座長が、例外なく処罰をするという法律を作らないといけないという強い思いだったので、なかなか私の意見が通らなかったというのが結論でした。

本多氏には絶対的な「主義主張」はありません。彼の「スタンス」を要約するならば、「処罰されるべきは処罰され、処罰されるべきでないものは処罰されないよう、できる限り丁寧に立法しよう」というものです。そのために、他の議員とは「あえて」異なる立場から議論しているのです。

これは、決して「為にする」議論ではありません。なぜ寺田意見書での被害当事者団体への発言が出てきたのかという趣旨の発言に対して、本多氏は次のように答えていますが、そこに彼の想いが表れています。

党内で議論しているときに、性犯罪の話をするときに、誰でも、これ私を含めてですが、被害当事者の思いに寄り添うという姿勢を持たない人はいません。当然です。それが当然の前提です。私もその気持ちは当然あります。ただそれが当然であるがゆえに、党内の議員の中でも当事者の思いを一生懸命代弁して法律の議論をする議員はたくさんいます。しかし、残念ながら、その姿が見えない18歳と15歳の18歳を守るために声をあげる議員の数が少ない中で、自分の役割として、そうした議論を強く主張していく中で、前の立憲民主党の時から、被害当事者のみなさんからすれば、私の議論の仕方が、法律議論として、法改正を阻害しているのではないか、そういうような印象をもたれてきて、逆に私はそうではないんだという思いで、そうした団体の皆さんに対して、不信感をお互いに感じていたのではないかと。

被害当事者たちは、当事者団体を通じてロビー活動をしています。そして国会議員はその声に耳を傾ける、それは当然です。しかしその一方で、そうした要求が一方的に通って法制化されてしまったときに、その法律によって処罰を不当に受ける人も出てくる可能性があるわけです。

たとえば、同じ学校の15歳の後輩と付き合って性交渉をした18歳女子高生が、問答無用で逮捕され、懲役5年という判決を受けることになります。その女子高生の声は、法制化される前ですから、少なくとも現在は誰も国会議員に訴えたりはしません。しかし、その姿の見えない、未来の「法の被害者」のために、本多議員は議論を戦わせてきたのです。

本多氏は法律から国民を守るために、「あえて反対」の立場から議論をしていたのです。この「聞き届けられない声」を聴き取ろうとする能力は、本多氏の政治家としての比類なき美質だと考えます。

結論を先取りすれば、その彼の美質が、今回の辞任を決断させたのです。

本多記者会見を、マスコミはどのように報道したのか

これまで、本多氏が記者会見において、どのように自分の発言を説明してきたのか、文字起こしをしつつ解説してきました。

話が少し逸れますが、この記者会見について各社がどのように報道したのかを見てみましょう。

 未成年と同意のもと性行為をして逮捕されるのはおかしいなどと発言した、立憲民主党の本多平直衆院議員(56)=比例北海道ブロック=は27日、国会内で記者会見を開き、衆院議員を辞職することを明らかにした。立憲に離党届を提出し、受理された。
(中略)
 本多氏は5月、刑法で性行為が一律禁止される年齢を現行の「13歳未満」から引き上げることを議論する党のワーキングチーム(WT)に出席。外部の有識者に対し、「50代の私と14歳の子が、恋愛したうえでの同意があった場合に罰せられるのはおかしい」と発言した。(asahi)
立憲民主党の本多議員は、性行為への同意を判断できるとみなす年齢の引き上げを議論していた党の会合で、「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになるのはおかしい」と発言したと報じられ、批判が相次ぎました(NHK)
本多議員は今年5月、性犯罪に関する刑法改正を話し合う会合で、「50歳近くの自分が14歳と性交したら、同意があっても捕まることになる。それはおかしい」などと発言し、批判が相次いでいました(News24)

「性行為という発言をしていない」という内容の記者会見においてすら、一切これまでの報道を訂正せず、その本質部分を隠匿したのです。これが、現在のメディアの体質です。

それと同時に、この問題について、報道だけを見て判断する人が、どれほどミスリードされているのかということも示唆しています。

これが寺田意見書だ

話を戻します。

本多氏が記者会見で語ったことは、筋が通った正論だと私は思います。それに対して、目的ありきで議論を無理に押し通し、抵抗勢力とみなして本多氏のパージを企てた寺田学や福山幹事長らの対応は、党内民主主義と立憲主義を放棄し、立憲民主党のアイデンティティを放棄するに等しい自殺行為です。

ならばなぜ、本多平直氏は矛をおさめ、離党・辞任したのでしょうか。色んな憶測がありますが、もう一度彼の言葉に耳を傾けるべきだと私は思います。

第三者の方を傷つけるような情報の流出であるとか、そのまま私が党内議論を守るための闘いを続けると、第三者の方を傷つけたり、党に大きな迷惑がかかる。そういう判断をして、本日決断をしました。

党内議論を守ることよりも、第三者を傷つけないことを優先したというのが、本多氏の説明です。

これはどういうことなのでしょうか?

本多氏が言っていることを本当の意味で理解するためには、私たちは寺田学座長が党倫理委員会に提出した意見書を読まなければなりません。

これは、一部マスコミには流出しており、また本多氏の記者会見において明らかに入手できている一部の「ジャーナリスト」も存在します。しかし、公式には私たち有権者には発表・公表されていない文書です。

しかし、Twitterなどネット上では出回っていました(現在は当該ツイートは削除されています)。それを精査していたのですが、マスコミの報道その他とも整合性がとれるため、いちおう「本物」であると仮定した上で、ダウンロード可能な形でアップいたします。

もう一度言いますが、本来は党なり寺田氏自身が公表すべき類いの文書です。残念ながら、待てど暮らせど正式な形で公表される様子がないために、このような形でアップすることはご理解ください。

寺田意見書における、本多発言の継ぎ接ぎと歪曲について

寺田氏の意見書をどのように読むべきでしょうか。

念頭に置いておきたいことですが、寺田氏は、「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」という捏造された発言を、ワーキングチームの中間報告書に書いた張本人です。そのため、ここに記された発言が事実その通りに言われたことなのか、最大限疑ってかかる必要があります。

それを前提とした上で、次のような論述を見てみましょう。

寺田:
「僕が、あの発言を聞いて思ったのは、本多さんは14歳同士のセックスを守れ、ではなく、50代と中学生のセックスも同意があればいいんだって価値観なんだな、と」。
本多:
「そうそう」
「でも、実をいうと、この価値観を最後まで押し通そうとは思っていない」
「極端な例で50歳もいいと思ってる。それは、たぶん平場で話しても少数者のすごい自由主義者」
「それはなぜかと言うと、今たくさん14歳、15歳から誘っている例があるから。 23 歳とかを」
「みんなフェミニストの人達は、男が騙してセックスをさせるもんだと思っているんだけど、今時代が変わってきていて、お金のためとか、興味のためとか、本当に惚れて、まー誘うこともある。そのことを分かってないから」

これを読んで、すんなり意味が分かる人がどれほどいるでしょうか?しかし、これは寺田氏の論述をそのまま引用したものであり、私が恣意的に改竄・編集をしたわけではありません。

上で本多氏のものとされる発言は、非常に細切れにつなぎあわされたものであり、かつ論旨も通っていないように見えます。たとえば、「そうそう」という発言が、何を肯定した言葉かが判断がつきません。

また、「極端な例で50歳もいいと思っている」主語は、「少数者のすごい自由主義者」であって、本多氏自身のことではないものと思われます。さらに「それはなぜかと言うと」の「それ」については、この一連の論述の中には出てきていません。

それなのに、寺田氏は、これが本多氏が「50歳も良いとおもっている極端な自由主義者である」証拠として、これらの発言を提出しているのです。このように分析すると、寺田氏は本多氏の発言内容を理解できていないだけではなく、やはり本多発言を恣意的に継ぎ接ぎした可能性が高いと思われます。

あるいは次のような論述を見てみましょう。

「4件の無罪判決っていうのは、そんな4件の無罪判決って言われるほどそんな一般的なものか。」
「僕、勉強不足ですみません。」
(5月28日 WT)
自身として「実例(裁判例)がない」と再三述べていたにも関わらず、フラワーデモのきっかけとなった4件の裁判例を認知していなかったことは、私個人として驚きでした。

本多氏が問うているのは、「4件の無罪判決は一般的なのか」であって、4件の無罪判決を知らないとは書いていません。「勉強不足ですみません」というのも、偉い学者が学会で批判するときに「私はこの分野は素人なのですが」というのと同じようなものではないでしょうか。本多氏の記者会見を聞いていれば、彼がどれほど性暴力にかんする裁判例を調べているのかはわかります。それを、寺田氏は「裁判例を認知」していない証言として出しています。従って上の論述は、悪質な曲解である可能性が高いものと思われます。

なぜ本多氏は辞任したのか ①被害者団体について

このような悪質な切り取り・歪曲文書を前に、なぜ本多氏は辞任をせざるを得なかったのでしょうか。

彼が語っていることは、1つには被害者団体に対する発言があります。

本多:
「強姦された女性をフォローしてるという建前で、女性、女性解放運動をやっているイデオロギーの人たちと喧嘩した。 」
「スプリングとか。もう、論外。 」
「男は敵。男性差別。 」
寺田:
(なぜ被害者団体らが性交同意年齢の引き上げを求めていると本多さんは捉えているのか)
本多:
「変なイデオロギーとしか思えない。 」
本多:
「イデオロギーから入っている、インチキ支援団体。」

本多氏はこの当時国会議員であり、こうした発言を「公的に」行ったとするならば、それは当然ながら批判されるべきだと私は思います。それは発言の妥当性というよりは、国会議員と国民との権力差の問題であって、本多氏は国民から権力を付託されている以上は慎まなければならない発言です。

しかしながら、これはプライベートな発言を切り取られて、一方的に公表されたものです。

なお被害当事者団体に対する発言が妥当かどうかは、スプリングの理事の発言を見て、読者の皆様が判断ください。

この発言を見る限り、寺町氏は中学生同士の性交も処罰の対象にしようとしています。本多氏は5月31日のワーキングチームで、「人間が人を好きになって、好きになった上でセックスをするという基本的なところを犯罪にする、懲役5年以上の犯罪にするっていうすごく譲れない話」(寺田意見書)という意見を述べました。彼の立場からすると、誰も被害者がいない状況において、中学生同士が性交をしたというだけで男女ともに懲役刑になるというのは、まさに法による人権侵害に他ならないということでしょう。

とはいえ、本多氏が国会議員として公的に「インチキ支援団体」と言ったとしたら、それが「仮に」妥当な論評であったとしても、本人が記者会見でお詫びしたように「極めて失礼な行きすぎた表現」となります。そのため、発言内容の妥当性について争うことが難しかったことは想像に難くありません。

本多氏はなぜ辞任したのか② 当事者について

彼が辞任する理由としてもう一つ挙げているのは、(性暴力の)被害者です。党内議論を守るためにこれ以上戦えば、被害当事者をさらに傷つけることになるため、矛を収めたということです。

どういうことでしょうか。

寺田意見書には、次のような記述があります。

私から、実例の一つとして大阪地裁の無罪判決事例(成人男性と女子中学生の性行為に関し、裁判上、女子中学生側の不同意は認定されたものの、強姦罪での起訴が無罪となった事例)については、本多氏は判決文を読んだ上で以下の通り論評しました。
「この中学生は数時間前に加害者と交際することを同意してたりする」
「自分から被害を訴えたわけじゃなくて、友達が拉致されたって警察に通報されてこの事件に及んで」
「控訴もされていないんですよ。無罪判決をそのまま受け入れちゃってるんですよ。」
(5月28日 WT)

本noteを書く上で、実は私も当該判決文(と思われるもの)は読みました。その上で、本多氏の発言自体は、裁判で認められた端的な事実を述べたものとも考えられると思います。

しかし、これはおそらく今でも生きている具体的な当事者が(高い確率で有権者として)存在する話でもあるのです。こうした裁判例について、オープンに国会議員の立場で発言することは、それ自体で非常な暴力性を帯びる訳です。

このように論点を整理すると、寺田氏と2人で話したことも、別の角度から見ることができるはずです。

<5月13日面談>
「25歳と15歳は、それを法律で規制するということ、それはひどいんじゃないの。 」
「24と14だって、よしとしないんだという価値観があるとしたら、それはなかなか一致は難しい。 」
< 5月28日 WT>
「16 歳だって、 50 とかいうと気持ち悪さが増すから、 33 歳くらいにしておくけど、 33 歳と 16 歳で、真剣な恋愛はあるんだよいろんな映画とかで。実際にゼロとは言えないから。 」
「じゃあ33 歳と 15 歳、微妙なところね。僕にとって一番有利な議論は21 歳なんだけどね。 21 歳と 15 歳に認められるべきケースもある。 」
「12 歳と 21 歳だってないとは言えないけど、そんなこと言ったらキリがないから、今の性交同意年齢はどこかで基準を置かないといけない。」

25歳と15歳、24歳と14歳、33歳と16歳、そして21歳と15歳、12歳と21歳。この中で、本多氏は自分にとって一番有利な議論は21歳と15歳で、これは認められるべきだと主張しているわけです。

どういうことか。これらはすべて、具体的な(裁判)事例を念頭においた発言だったと思われます。この中には、性暴力の被害者も存在するかもしれませんし、真摯な恋愛のつもりだったけど淫行条例で有罪になった人もいるかもしれません。こうした具体例による限界事例の議論は、将来のより良い立法のために、どうしても必要不可欠なものです。

しかし、その一方でそうした事例は、単に1つの裁判例にとどまりません。その向こう側には、今なお生活をしている当事者が存在する訳です。国会議員による論評・議論が正しかろうと正しくなかろうと、自分の過去について国会議員がオープンに議論すること自体が、生活や精神的安全を脅かす絶大な暴力となるのです。

これは、話し合われた個々の事例に対する論評が妥当か否かは、本質的な問題ではありません。そうした個々人の例についての論評を、国会議員が公表するということそのものが、暴力性を帯びざるを得ないという話なのです。

寺田氏は意見書の最初の方で、次のように書いています。

引用する発言内容は、録音をもとに書き起こしたものであり、必要であれば全文の書き起こしを提出いたします。また本多氏の了解があれば録音も提出いたします。

このように書いたとき、寺田氏は、個々の判例の向こう側にいる当事者のことを本当に考えたのでしょうか?私には到底そうは思えません。

ここで、本多氏が発言の真実をめぐって戦えばどうなるでしょうか。寺田意見書で自分の発言はこのような形で切り取られたと主張したり、あるいは自身の発言の妥当性や本意を記者会見で発表したりすることになります。そうなれば、すべての発言が公表されることになるでしょう。そうした闘いの中で、いわば何の関係もない当事者たちが、深く傷つかざるを得ないのです。

本人の自覚がなかろうと、寺田氏が行ったことは、現実の当事者を人質に取って、お前が闘いをやめなければ彼らに対する発言を公表するぞと脅迫したに等しい行為です。

辞任理由は、本多氏が記者会見で語ったとおりだというのが、私の結論です。

第三者の方を傷つけるような情報の流出であるとか、そのまま私が党内議論を守るための闘いを続けると、第三者の方を傷つけたり、党に大きな迷惑がかかる。そういう判断をして、本日決断をしました。

政治的な正しさよりも大切なもの

これまで、本多氏の記者会見と寺田意見書を読んできました。

本多氏の記者会見からは、寺田座長を含めた党幹部と、「議論のありかた」めぐって対立していたことが示されました。それは選挙のために結論を進めようとする党執行部に対して、本多氏は、姿の見えない未来の「法の被害者」を懸命に守ろうとしてきたのです。

これは同時に、党内民主主義を守るための闘いでもありました。しかし、寺田意見書で、現実の当事者に対する論評が「人質」に取られました。そして本多氏は自ら武器を降ろし、辞任することを選んだのです。

もちろん立憲民主党を正すために、あくまで戦いぬくという選択もあったでしょう。私も、その闘いを支持してきました。しかし本多氏は、立憲民主党を立て直すことよりも、一人ひとりの当事者を傷つけないことを選んだのです。

私は寺田意見書を読んでかえって、なぜ本多氏が辞任するに至ったのか、その真意を理解出来たように思います。

いま、政治のあらゆる局面において、「目的のためには多少の犠牲はやむを得ない」という考えが横行しています。本多氏自身、「手続き論はもはやどうでもいい、衆院選に影響がある」と考える党幹部の思惑の犠牲になりました。

立憲民主党を正す闘いにおいて、国会議員として守るべき当事者を巻き込み傷つけるなら、その闘いに意味があるのか―そこに思い至り、自らの拳を降ろした本多氏に、私は一人の人間として、最大限の敬意を表したいと思います。

そして本多氏の、闘いをやめて沈黙するという決断こそが、政治的正しさのために国民の生活と生命、そして人権を省みない今の立憲民主党に対する、最も痛烈な批判でもあると私は思うのです。

私は、本多氏にいつか必ず国政に戻ってきていただきたいと思います。目の前にいない他者のために知性を尽くして戦う政治家が、今の日本には必要です。

本note記事が、本多平直氏の汚名をそそぐ一助になることを願って已みません。


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