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「反撃能力」容認と増税ファシズム。立憲民主党変質の背後に見える「とある人脈」について ―日本財団の研究 番外編2

前回記事のおさらい

前回の記事では、私はおおむね次のようなことを書きました。

  • 立憲民主党と維新の会の国会共闘の背景には、秘密裏に動いている連立政権構想がある。

  • その背景には日本財団ー統一教会人脈があり、両党の合流は数年前から既定路線であること、

  • その目的は憲法改正と統一教会問題隠蔽である

読んで危機感を覚えてくださった方や、最近の立憲民主党の謎の動きが理解出来た、という言葉を多数頂きました。一方、一部の方からは、妄想だとか根拠がないとか歪んでいるとかいった評価もいただいております。

今回は、その後1ヶ月で現実の立憲民主党がどのように進んできたのか、今回はその答えあわせをしていきたいと思います。

立憲民主党「反撃能力」の容認検討と、核報復攻撃の容認

12月2日、自民党と公明党は、「反撃能力」、すなわち日本に向かうミサイルを他国領域で破壊する敵基地攻撃能力を保有すると合意しました。

この方針は、専守防衛という憲法第九条に反するものです。支持率低迷にあえぐ岸田政権は、憲法改正手続きを踏むというリスクを冒さず、反撃能力保有を閣議決定で行おうとしている訳です。

「集団的自衛権」につぐ「解釈改憲」がいま行われようとしている訳ですが、2015年当時ほど大きな問題にはなっていません。その原因の一つは、野党や市民連合の反対の声が小さいからです。

維新・国民民主党が賛成に回ったのは、多くの人にとって想定内でしょう。

しかし、立憲民主党が12月1日、「反撃能力」容認で検討するという報道が出てきたことに、驚きを隠せなかった人は少なくなかったようです。

戦争放棄をうたった日本国憲法の根幹を毀損する「解釈改憲」を容認するならば、もはや「立憲」民主党に存在価値はありません。

この改憲への動きは、半年前に私が書いた記事と非常に強い関連があると思われます(後に述べますが、政策の出所も同じです)。

要約します。

・立憲民主党を中心にしたプログレッシブ議員連盟と米国民主党の米プログレッシブ議員連盟が、岸田首相とバイデン大統領宛に、日米同盟において先制核攻撃をしないよう求める書簡を出した。
・この書簡に署名したのは、泉健太立憲民主党代表、福島みずほ社民党代表も含めた、39名の(多くは左派)議員たちである。
・この書簡は、日米同盟において核戦略が共有されていることを前提としている。
・日本政府はこれまで、米国による「核の傘」を公式に認めたことはない。
・この書簡は、報復核攻撃を容認するということを野党議員が宣言することであり、非核三原則および日本国憲法第九条と矛盾している。

言うまでもなく、「報復核攻撃」は、「反撃能力」の一形態です。したがって「報復核攻撃」を容認する書簡にサインした議員たちが、「反撃能力」保有を批判することはできません。

プログレ議員連盟は、野党の中でも比較的「左」あるいは「リベラル」と目されてきた議員たちが多く加入しています(リストは上記記事で確認ください)。彼らが、憲法護持をいま強く打ち出して岸田政権と対峙できないならば、上記書簡に(おそらく深く考えもせず)サインしてしまったことの効果もあると思われます。 

山口二郎による市民連合の自爆解体

さて、日本プログレッシブ議員連盟の事務局は、民間シンクタンク・新外交イニシアティブに所在します。プログレ議連の事務局長は、新外交イニシアティブ評議員の屋良朝博でした(現在は小熊慎司)。

新外交イニシアティブの評議員は現在7名です。(以前は鳥越俊太郎がいましたが、いつのまにか抜けて、芦沢・羽場の二人が加入したようです)。

市民連合の山口二郎も、新外交イニシアティブ評議員です。

その山口二郎ですが、参議院戦後、共産党と立憲民主党を中心にした野党共闘態勢を見直す発言を繰り返しています。

10月26日には、野田佳彦の安倍元首相追悼演説を悪罵する支持者がいることにかこつけて、「これからの野党の基盤について、白紙から議論しなおす必要を感じる」と書きました。

さらに立憲民主党支持者が、従来の左寄りの野党共闘態勢こそ大阪における維新支配の原因であるという主旨の発言をしたところ、山口二郎は「最も重要な論点」であると書きました。

山口は、自分の考えを明示することは避けていますが、ここで彼が考えていることは明白です。立憲民主党は、共産党・社民党・れいわと組んできた野党共闘を解体し、維新・国民民主との連携あるいは合流を目指すべきだということです。

もう一度言いますが、山口二郎は市民連合の中心人物です。その彼が、維新に露骨に擦り寄る立憲民主党の動きと同調していることは、極めて重要です。

これから市民連合が自爆解体するのか、それともその枠組みを残したままで維新との共闘を目指すのかはまだわかりませんが、今後注視が必要でしょう。

「消費税減税」と市民連合の政治的詐欺

そもそも、市民連合とはいったい何だったのでしょうか?何の為の組織だったのでしょうか?

この問題については、山口二郎の過去発言や市民連合の所業を追いかけることで見えてくるものがありますが、これは今後の「日本財団の研究」のネタとして置いておきましょう。

ともあれ2021年の衆院選について、市民連合と野党各党の政策協定に入っていた消費税減税を「れいわ新撰組を取り込むための」「譲歩」と言っていることは注目に値します。

この消費税減税に対する山口の不誠実な言動は、選挙公約を破って自公と共謀して消費税増税を決めた野田佳彦と酷似しています。(野党共闘解体の口実として、野田を悪罵する野党支持者は許せないと山口が言ったことを思い出してください)

枝野幸男、消費税減税公約を反省する

野党支持者が野田佳彦を嫌悪するのは当然です。公約とは有権者との約束であり、民主主義社会の根幹です。選挙中にやらないと約束したことを、いったん政権につけば平気でやってしまうようでは、何を信じて投票すれば良いのかわからないからです。

問題は、有権者に向き合う、選挙公約を守る、という当然のことをバカにする議員たちが一定数いることです。

たとえば、衆院選当時に立憲民主党代表だった枝野幸夫がそれです。

枝野は確かに「消費増税」については反対だとも言っています。しかしもう一方で、次のようにも言っているのです。

それから去年、総選挙で、私が後悔しているのは、時限的とは言え、消費税減税を言ったというのは間違いだった、政治的に間違いだったと強く反省をしています。

また11月12日にはさいたま市内の講演で、同様の「反省」を繰り返し、消費減税を言ったことが衆院選の大きな敗因の一つと述べました。

自身が責任者として公約に入れたことを、こんなにあっさり反故にして恥じないというのは、いったいどのような了見なのでしょうか。

枝野幸夫が政治家として民主主義をまったく理解していないことについては、自民党総裁選について次のような発言をしたことからもわかります。

そもそも党内の選挙で、政策を競い合っていること自体が、政党として成り立ってないんじゃないのと。基本的には大きな方向性が一緒だから同じ党であるはずなので、ちょっと意味が従来からわからない

この点については、下記noteでも詳細に批判しています。

https://note.com/ishtarist/n/n0514872f34d1

消費税減税はポピュリズムか?

消費税の話に戻しましょう。

枝野は「左右のポピュリズムと対峙しないといけない」「左のポピュリズムは、消費税減税さえ言えば票が取れると思っている人たち」と言ったそうです。

それを立憲民衆党の塩村あやか参議院議員が引用し、「減税ポピュリズムと闘わないといけない」とツイートしました。

しかし、消費税減税はポピュリズムなのでしょうか?

ポピュリズムとは本来、大衆を感情的に扇動することで支持を得る、独裁的手法のことを言います。典型的には、共通の「敵」を創り出し、それに対する憎悪を煽るパターンがあります。たとえば、安倍政権において韓国や北朝鮮に対する「反日感情」を動員したり、「キモいおじさん」と公式に発言する人物に選挙で応援してもらって嫌悪感情を政治的動員するようなことを言います。

私が知る限り、消費税減税を感情を煽る手段として主張する人はいません。その意味において、「減税ポピュリズム」という批判は完全に的外れです。

消費税減税政策について、経済と財政の両面から賛否両論があるのは当然でしょう。しかし、その政策に対して根拠をもって反論するのではなく、ポピュリズムというラベルを貼って嘲笑する、これは「愚かな大衆が喜ぶことは政治的に間違っている」という政治家側の歪んだエリート意識と嫌悪感の表れです。消費税減税論者が「減税ポピュリスト」なのではなく、消費税増税論者が「増税サディスト」なのです。

私たち一般市民は、右側の全体主義者だけではなく、左側の全体主義者にこそ対峙しなければならないのです。

米山隆一、増税サディズムの誤謬

「増税サディズム」と「歪んだエリート意識」の典型が、立憲民主党の米山隆一です。

米山は、11月15日に次のようなツイートをしています。

最初のツイートで、米山が「反緊縮派にはわからないだけで」とあからさまに嘲笑的な発言をしていることと、「貧困層がすぐに使うだけ」でお金が富裕層に貯まって格差が広がる、という発言には、あきらかに差別意識があるように思うのです。

特に、貧困層にお金を渡してもすぐに使って富裕層が富むだけ、というのは、論理的にも理論的にも、まったく意味がわかりません。彼自身の経験則なのでしょうか。もしかしたらですが、米山隆一さんは以前に、貧しい誰かに援助したつもりで、他の人に渡っていたという苦い経験をお持ちなのかもしれません。知らんけど。

さておき、この米山の主張が、自身が思っているほど論理的ではないことをこれから一つ一つ示していきましょう。

  1. アベノミクスにおいて、貧困層に直接的に財政出動したという事実関係が間違っています。該当するのはコロナ時の国民一律10万円給付金ぐらいしかありません。

  2. 仮にお金が貧困層に給付された場合、確かにすぐ使わざるを得ないでしょう。しかしそのお金は、富裕層に直接に支払われる訳ではなく、まず消費財を企業から購入するという形になるはずです。

  3. 企業の売上が増えれば、貧富格差が拡大するというのは自明ではありません。企業の売上増がただちにオーナーの収入になる訳ではありません。本来は仕事が増えた分、新たに仕入れを増やすほか、残業代を払ったり人材を雇ったりする必要が出てきます。つまり、それは労働者の賃金として還元され、それがさらに企業の売上に繋がります。そのとき経済のパイが増えるのです。

  4. 雇用数が増えれば、労働力の供給が減り需要が増えるので、賃金が上昇します

  5. 仮に、企業の売上増がダイレクトに貧富の格差を生んでしまうならば、それはたとえば残業代が支払われない、正社員を切って派遣社員を増やすなど、違法性を含む労働法制が原因です。

  6. 株価が上がっても、物価は上がりません。実際、安倍政権のときは株価が上がりましたが、インフレにはなっていません。

このように、「反緊縮派」や「貧困層」を嘲笑している米山は、まったく事実関係も抑えていないし、経済メカニズムも理解していないのです。

米山隆一と竹中平蔵のお友達

昔、故・安倍晋三の子飼いである稲田朋美が「国民の生活が大事なんて政治は間違っている」と言っていました。同様に、立憲民主党の一部の議員たちも、「国民の生活が楽になる政治は間違っている」という信念を持っているように私には思われます。

枝野は「左右のポピュリズムと対峙しなければならない」と言ったそうですが、むしろ私たち一般市民は、「左右の全体主義と対峙しなければならない」のではないでしょうか。

私はこの問題意識にもとづいて、noteで記事を執筆し、与党と野党を批判しているのです。とりわけ当連載「日本財団の研究」で追及しているのは、「左右の全体主義」は単に構造的に似ているだけではなく、人脈的にも繋がっているのではないかという問題意識からです。

米山隆一の話に戻ります、米山は明らかに経済メカニズムを理解していませんし、ロジックもめちゃくちゃなのに、やたら自信満々です。これはいったい誰の受け売りなのでしょうか?

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