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『ゴールデンカムイ』はどのようにして差別と闘ったのか―アイヌ文化と生命の継承― ➂

前回はこちらです。

黄金のカムイとは何か

「カムイ」とは何か

私たちは漫画「ゴールデンカムイ」に通底する世界観について見てきました。繰り返しになりますが、本作のテーマは「生命を継承すること」であり、そうすることによって「喪われた人間性を取り戻すこと」でした。

アイヌは、単に「喪われた人間性を取り戻す」場所であるだけにとどまりません。その文化の基底に「生命の継承」があるのです。

この物語で最も登場するアイヌ語は、おそらく「ヒンナ」でしょう。アシリパとその周辺の人間の和人たちは、何かを食べるときにそう言います。ただ、それは「おいしい」という意味ではなく、もともと生命に対する感謝の言葉でした。

アイヌの精神文化の根底には、「生きているということは、他の命によって生を与えられること」という認識があります。この生の循環に対する感謝を、アイヌは「カムイ」という概念に託しました。アイヌにとって、身の回りの役立つモノ、動物、自然現象、それら全てが「カムイ」(神)であり、感謝の儀礼を通して良い関係を保ってきた、そのようにアシリパは説きます(第二巻 第十二話「カムイモシリ」)。

アイヌの世界観では、何かにカムイが宿るのではなく、ありとあらゆる生き物や物それ自体がカムイなのです。そして、すべてのカムイがこの世に存在するのは、何らかの役割があるためです。たとえば、動物のカムイは、神の国では人間の姿をしていて、私たちの世界へは動物の皮と肉を持って遊びに来てくれる。人はそれを感謝していただき、魂を神の国に送り返します。

アイヌ語の「カムイ」と日本語の「神」は同じ語源を持っていると言われていますが、超越者として想像される「神」と違って、「カムイ」は私たち人間と同じ人格をもった、同格の存在なのです。(中川裕. アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 )

この漫画の本質を考えるなら、タイトルにもなった「ゴールデンカムイ」とはいったい何かを理解する必要があります(以下、漫画としての本作そのものと、カムイとしてのゴールデンカムイを区別して論じるために、後者を「黄金のカムイ」と呼びます)。

そのとき、「カムイ」が人格をもった主体であることを、私たちがどれほど深く理解しているかが、本作の理解の鍵になってくるのです。

黄金のカムイは災厄をもたらす

フチ(アシリパの祖母)は、金塊について、次のような伝承を話します。

第4巻 第30話「言い伝え」

和人と戦うために砂金をとることで、命の源である川が汚染され、アイヌにとって「神の魚」である鮭が遡上せず、生活が苦しくなりました。同じ出来事が北海道中で起こりました。これが金塊がもたらした第一の災厄です。

金塊を一カ所に集めたアイヌは、幕府に対して蜂起すべく、ロシア海軍から軍艦を横流しさせようと画策していたのです。ところが、取引寸前に軍艦が海難事故で沈没し、ロシア側の関係者全員が死亡しました。これが、金塊がもたらした第二の災厄です。

そこでアイヌは話し合い、金塊を封じ、それについて語ることを禁じたのです。

ゴールデンカムイが再び解き放たれたとき、血みどろの殺し合いが起きてしまいました。ゴールデンカムイの封印を解いたのは、アシリパの父ウイルクであり、和人に対して蜂起しようとした人たちが殺し合う惨劇が起きたのです。その中で、唯一生き残ったのがウイルクでした。これが第三の災厄でした。

差別との戦い、帝国主義との戦い

ウイルクの計画は、アイヌが土方歳三たちと手を組んで蝦夷共和国を創ることでした。そのとき戦いの先頭に立つはずだったのが、娘アシリパです。アシリパはアイヌを導く存在として、戦うために育てられたのです。

なぜ戦うのか。それは、アイヌを守るためです。アイヌが和人から土地を奪われ、鹿や鮭の猟を禁止されてきた。喪われつつある生き方を守るために、資金を集め、武器を購入し、戦って守るという選択をしようとしたのです。

何と戦うのか。和人による差別と迫害と戦う、という答えは、確かに間違いではないでしょう。ただし物語の中では、日常の中での差別よりは、帝国主義との戦いという、より強大かつ深刻な文脈の方が前面に出ています。

第15巻 第148話「ルーツ」

帝国主義と、少数民族に対する差別・迫害は、決して別のものではありません。帝国主義の時代においては、明治維新後の日本も含めたあらゆる大国が植民地を広げ、本国内外から搾取を重ねてきました。また、そうしなければ他の帝国から侵略を受ける状況でもありました。

その帝国主義同士の争いの中で、辺境の民族は分断され収奪され、彼らの生き方や信仰を禁じられ、帝国の中枢へと従属・同化させられていきました。アイヌの中には第七師団の一員として軍隊に組み込まれ、ロシアと戦った者もいました(キロランケ・有古イポプテ)。辺境の少数民族に対する差別・迫害は、帝国主義というシステムの一部なのです。

だから、差別・迫害と戦うためには帝国主義と戦う必要がある。そして、どのように戦うのかという選択において、ウイルクは北海道を独立国家とする蝦夷共和国を、キロランケら極東ロシアのパルチザンは少数民族による極東連邦国家を志向しました。

そして、同じく金塊を狙っていたのが鶴見中尉らの一派であり、大日本帝国政府です。鶴見一派は、大日本帝国に対してクーデターを起こして軍事政権を樹立し、満州に進出するという目的がありました。大日本帝国としては、クーデターや独立抵抗運動を阻止し、金塊をかすめ取るという目的があったと思われます。

文化を守ることと、体温を伝えること

樺太で少数民族の現状を見たアシリパは、帝国の狭間ですりつぶされる周辺民族の現状を目の当たりにし、どのようにすればアイヌとカムイを残せるのか深く苦悩します。

彼女の思考の中で、一つのきっかけになったのが、シネマトグラフ(活動写真)です。彼女は、樺太でリュミエール社の技術者たちと出逢い、アイヌ文化を残そうと活動写真を撮りました。

技術者たちは、アシリパに一本のシネマトグラフを見せます。そこに映っていたのは、10年前に小樽近くのコタンで撮影した、今は亡きアシリパの両親の姿でした。

第21巻 第207話「ふたりの距離」

アシリパは、活動写真は素晴らしい技術だけど、それでは伝わらない、残っていかないと気がついたのです。

活動写真で伝わらないもの、それは「体温」です。アシリパは杉元に語りました。

アチャ(父)が話してくれた母の思い出のほうが、体温が伝わるほど残っている

「体温」とは、何を意味しているのでしょうか。アシリパは、何が伝わらないと言っているのでしょうか。この旅の冒頭で、鹿を撃ち殺せなかった杉元に、アシリパが語ったことを思い出してください。

鹿は死んで杉元を暖めた
鹿の体温がお前に移ってお前を生かす
私たちや動物たちが肉を食べ、残りは木や草や大地の生命に置き換わる
鹿が生き抜いた価値は消えたりしない

第三巻 第二十四話「生き抜いた価値」

体温が移って暖められることは、生かされるということであることです。アシリパにとって体温とは生命そのものを意味する言葉であり、生命とはすなわち「生き抜いた価値」なのです。

活動写真を知ってアシリパが苦悩したのは、文化の姿や形を記録しても、そこには生命が宿らないということを理解したからでした。アイヌ文化を守ることとは「生命を継承すること」であり、人々が懸命に生き抜いた価値を繋いでいくことである、そうアシリパは思い至ったのです。

「戦って守る」という選択肢

その後、アシリパは、父ウイルクやその親友キロランケが言うように、やはり守るためには戦うしかないのかと思い詰めます。

杉元はアシリパに、守るために戦うのはアシリパでなくてもよいと語り、金塊争奪戦から降りるように諭します。

アシリパは、杉元に反論します。

杉元お前は・・・!!
私のためじゃなくて、自分を救いたいんじゃないのか?
私の中に、干し柿を食べていた頃のような自分を見ているだけじゃないのか?

第21巻 第207話「ふたりの距離」

「確かにそれもある」と杉元は認めます。

しかし杉元は、アイヌの独立戦争を託して死んでいった父ウイルクやキロランケに対する怒りを語ります。彼らは自分の死と引き替えに、戦って死ぬしかないという選択肢へとアシリパを追い詰めていった、そのことを「俺はそれが許せない」と話すのです。

第21巻 第207話「ふたりの距離」

杉元は、日露戦争で人を殺し、元の自分に戻れずに苦しみ続けている。戦争を生き抜いた杉元が、戦場を離れてなお生きながら味わい続けている地獄を、アシリパには経験して欲しくない、なぜなら知ってしまってからでは遅いから―それが杉元の願いでした。

杉元はアシリパに、人を殺せば行くことになるアイヌの地獄のことを語り、本当にそれを望んでいるのかと問いかけました。それは、アシリパ自身の本当の願いについての問いであると同時に、ウイルクらが託した「アイヌを守るために先頭に立って戦え」という選択肢は、本当にアイヌの生き方に沿っているのかという問いでもあったのです。

その問いかけに、アシリパはその時は答えることができませんでした。その数日後、杉元は言うようにおりれば、いったいアイヌはどうなるのかと問いますが、アシリパは「鶴見中尉としっかり交渉すれば良い」という答えに納得がいきませんでした。

2人の運命を変えた2人 ①怒りのシライシ

自分のような人殺しになって欲しくないという杉元、アイヌの運命を引き受けて後世に伝えたいというアシリパ。お互いに誰よりも大切な人でありながら、2人の思いは大きくすれちがったままでした。

杉元とアシリパの考えを大きく変えることになる別の2人がいなければ、杉元とアシリパの心は離ればなれになったままだったでしょう。

その2人の考えを揺るがし、杉元とアシリパの運命を変えた2人とは、白石吉竹と海賊房太郎です。

翌朝、遊郭から泥酔して帰ってきた白石は、杉元に激しい怒りをぶつけます(個人的に、金カムで一番好きなシーンの一つです)

第21巻 第210話「怒りのシライシ」

杉元が、アイヌを背負いたいというアシリパを、1人の自立した個人として認めていない、そう白石は激怒するのです。

彼女を自立した相棒として信じればなぁ・・・お前は元のギラギラとした男に戻れるのに・・・

杉元がアシリパを「生き地獄」から守ろうとして、かえって彼女の主体性を否認している。白石は、アシリパと杉元に産まれた心の距離の原因が、杉元のパターナリズムにあることに気づいていたのです。それを敢えて杉元にぶつけたのは、「ギラギラした杉元」を好きだったこともあるでしょうが、その2人の離ればなれの距離が悲しかったこともあるのでしょう。

その日、鶴見中尉にアシリパを引き渡す段になり、アシリパは「私のことは私が決める」と宣言します。

第21巻 第210話「怒りのシライシ」

そして2人は逃亡するのです(シライシはいったん置いて行かれてしまいます)。

第21巻 第210話「怒りのシライシ」

杉元が諭した「コタンに帰ってチタタプして暮らす」こと、ウイルクらが呪いをかけた「アイヌを守るために戦争をすること」。その2つ以外の道を、杉元とアシリパは相棒として進むことに決めたのです。

2人の運命を変えた2人 ②海賊房太郎の夢

しかし、杉元とアシリパが選んだ選択肢は、とても厳しいものでした。

再び白石と合流した2人は、樺太から北海道まで流氷の上を歩いて逃亡します。そして白石はウイルクの親友である、樺太で死んだキロランケの話をします。なぜロシア帝国に対するパルチザンであり、アイヌとして生きながら、なぜ彼が日露戦争に日本軍の1人として参加したのかと。

第22巻 第215話「流氷の天使」

「ひとりでも多くのロシア人を殺してやろう」という考えだったことを白石が証言し、杉元は大変に厳しい顔になります。それは、安易な解決策を取ろうとしたキロランケに対する怒りでもあると同時に、杉元とアシリパの2人がこれから辿る道の困難を思っての険しさでもありました。

その後、紆余曲折を経て、3人は海賊房太郎と出会います。出逢ってすぐ、房太郎は自分について語ります。彼は、家族を疱瘡で亡くして、村から疎まれ、故郷に居場所をなくしていました。なので金塊を手に入れて、子どもをたくさん作って自分の家族の国を創りたいというのが、彼の夢だったのです。

房太郎は、アイヌから金塊が集められた場所を聞き出すことに成功しており、その情報が金塊探しの決め手になることを考慮して、3人は彼と手を組むことになります。(似た境遇の杉元が房太郎に情が沸いたからだ、というのが房太郎の解釈です。)

房太郎は、杉元とアシリパが互いに誰よりも大切に思っていることにすぐに気がつき、口にするのでした。

第24巻 第238話「好きな人に」

アシリパは「一緒にいたいから私はここにいるわけじゃない そういうのじゃない・・・」と答えます。

房太郎は、その後の機会でもアシリパに「それぞれの夢は何か」「それは幸せなのか」と問いかけ続けます。その中で、アシリパはアイヌを守るためにやるべき事が、カムイを守ることであることに気がつき始めます。

しかし、房太郎は彼女が背負おうとしている「アイヌの未来」が、彼女自身の本当の自分の願い―杉元と一緒にいたい、家族になりたい―と乖離している。そのことをアシリパはずっと自分自身に否認し続けていたのです。

そのことを房太郎は見逃しませんでした。

第25巻 第249話「それぞれの夢」

房太郎は、ひとりになったとき、自分が消えるとともに、自分の家族の記憶もすべて消えてしまうことに気がついて寂しくなった、後世まで自分が生きた証を伝えてくれる人がいてくれたら幸せだ、と語ったのです。

義務感から自分の幸せを傍らに置いておき、アイヌの未来のために献身しようとするアシリパに、「それは本当にアシリパ自身の幸せなのか」と問いかけたのです。

その直後、房太郎は、読者の想像もつかない暴挙に出ます。札幌ビール工場で火事に巻き込まれた杉元とアシリパを助けにいったはずの房太郎が、杉元を襲った上でアシリパを拉致し、金塊もアイヌの未来という重荷も下ろせと説得するのです。

第26巻 第258話「重荷」

房太郎の願いは、自分が帰って来られる場所、つまり家族と故郷を作るということでした。

アシリパには帰ってこられる故郷があります。

金塊なんて忘れて、故郷で杉元と家族になっちまえ・・・

そうアシリパを説得したのは、決して方便ではなく、房太郎の本心からの願いでもあったのでしょう。

しかし、アシリパは、鶴見一派らに金塊を奪われると、その故郷を守れないと訴えるのでした。

第26巻 第259話「故郷を作る」

このとき見せた隙に、房太郎は鯉登少尉(鶴見の部下)から深手を負わされるのです。

この後の展開は、このnote記事では端折ります。

房太郎との出会いによって、アシリパは自分の「二つの願い」に気がつきます。それは「カムイと故郷を守ること」と、「杉元と家族になること」でした。

父ウイルクの恋人であったソフィアは、赤ん坊を殺した罪悪感から、個人的な幸せを棄て、革命闘士として生を全うしたのでした。ソフィアの遺志をも託されたアシリパは、杉元とともにカムイと故郷を守るという道を選択するのです。

アシリパを自立した相棒として認めさせた白石吉竹。杉元と家族になりたいという否認し続けた願いに立ち返らせた海賊房太郎。その2人がいなければ、杉元とアシリパの心は離ればなれになったままだったでしょう。そのとき、房太郎が予言するように、杉元とアシリパは黄金のカムイの呪いを受け、死に別れすることになったはずです。

杉元とアシリパが手をたずさえて未来へと進もうとするとき、黄金のカムイが心を開いたのです。

なぜ黄金のカムイは呪うのか

※注意 以下の考察は、最終巻までのネタバレの示唆が含まれています。

ここで、1つの問題について考えたいと思います。それは本作品のタイトルでもある、「黄金のカムイ」とは一体なんだったのかという問題です。

アイヌの信仰では、カムイは人間と同じ、1つの人格です。「黄金のカムイ」にも意志があるはずです。どうして黄金のカムイは、それを手に入れようとする人に呪うのでしょうか。

少し考えてみましょう。帝国にすりつぶされ迫害される中で、自ら武器を取って国家を作り、自らを守ろうという選択肢は、アイヌにとって滅びの道です。普通に力の差で考えても、武装蜂起は弾圧され、迫害はさらに極まることは容易に想像できます。

仮に勝ったとしても、アイヌ文化は二重の意味で根本から汚染されてしまいます。

一つは自然環境汚染、アイヌの言葉で言えばカムイの汚染です。砂金を採る中で川が穢されただけではありません。武器を創る中で資源は採掘され、森は消失する。北海道で戦争を繰り広げる中で、大地や川は荒廃を極めるでしょう。

もう一つは、精神世界の汚染です。戦うために国家を作り、資源開発を行うということは、生命が生きる森を滅ぼすことでもあります。そのときカムイの存在は否定されます。なぜならカムイ信仰は、人間の身勝手による自然搾取を強く戒めるものでもあるからです。それがアイヌ民族を守るためであったとしても、資源開発を正当化するためにカムイ信仰を否定し、別の信仰や世界観で置き換える必要が出てくるのです。
そして、アシリパが人を殺さないと誓ったように、アイヌには「不殺」の価値観があります。それは、生命の循環というアイヌの世界観と不可分のものです。

彼らが武器をとって殺し合うという選択をする限り、アイヌの世界観に支えられた精神性が根本から穢されるのです。

そうだとするならば、黄金のカムイの意志は、アイヌに祟りをなすことではなく、アイヌを救うことだったと理解するべきではないでしょうか。カムイは、誤った方向に歩みを急ぎ、滅びの道を進むアイヌに対して、死をもって警告し、正しい道を指し示す役割があるからです。

黄金のカムイ、生命継承の守護者

そう解釈する理由はもう一つあります。

実は、金塊を求める人間がほぼ全員死んでいる中で、「不死身の杉元」は幾たびも瀕死の重傷を受けながらも、生き残り続けました。しかも、金塊が発見された時に、ただひとりだけ自分の取り分として両手分の砂金を入手していたにも関わらずです。

金塊そのものが「呪われたカムイ」なのだとするならば、杉元もまた死んでいなければならないはずです。

杉元が最後に言うように、黄金のカムイは「使う奴によって役目が変わる」というのは、その通りなのでしょう。杉元が金塊を求めたのは、幼なじみでもあり、亡き親友(寅次)の妻でもある梅子に、視力が落ちつつある目の治療を受けさせるためでした。

命に変えて杉元を助けた親友の、「子どもに学を与えて貧乏から脱出させてやりたい」「妻に子どもの成長を見せてやりたい」という最期の願いを聞き届け叶えること。それが杉元の果たそうとした役目であり、彼自身の願いなのです。

杉元が黄金のカムイの呪いを受けなかったのは、その目的で使われることをカムイ自身が「正しい」と判断したからでしょう。あるいは、「役目を果たすまでは死ねない」と言い続けてきた杉元が、瀕死の重傷を何度も受けながらも生き残り続けてきたのは、黄金のカムイの加護があったのかもしれません。

もう1人、無事に金塊を手にした人物がいます。言うまでもなく白石吉竹です。白石は莫大な金塊を入手し使う訳ですが、それは海賊房太郎の意志を受け継ぎ、彼の名を残すためでもありました。

もう一つの金塊の使い道として、「権利書」の存在も忘れてはなりません。その形で黄金のカムイが「権利書」に置き換わったとき、それはカムイを守り、多くの生命(たとえばエゾオオカミ)を滅びから守るという役目を果たしました。

このように整理すると、黄金のカムイの意志が明らかになります。それは、「生命の継承」という目的を、自らの「正しい使い道」と判断しているのです。アイヌとカムイの生命を断絶させるために使われようとするとき、黄金のカムイはその人に死をもたらし、警告を行います。生命の継承という目的で使おうとする人にだけ、初めて黄金のカムイは心を開くのです。

すべての存在がそうであるように、「呪われている」と思われていた黄金のカムイにも、この世に生を与えられた役目がありました。それは、滅びの道を急ぐアイヌに警告を与えること、そして自らが正しく使われ、アイヌの人々が懸命に生きた証を後世に伝えていくことです。「生命の継承」の守護者、それこそが黄金のカムイの役目だったのです。

予告

次回が最終回です。漫画「ゴールデンカムイ」における差別論について考察します。








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