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第二次世界大戦中の南区の人々の生活について

新潟県の第二次世界大戦中に人々はどのように生活していたのかを祖父母に取材して聞いてみました。

取材で分かったことは以下の通りです。
1、新潟には東京や横浜から多くの人々が疎開         してきていた。新潟県は東京などの都心部に比べて比較的空襲などの危険が少なかったため多くの人々が新潟に逃れてきました。

2、当時、南区の人々は空襲があった際防空壕ではなく家の近くの林などに身を隠していました。これは取材によると爆撃されるのは新潟や長岡などの人が多い場所が爆撃され南区などの新潟の都市から外れた場所には爆弾が落ちなかったそうです。またそもそも防空壕が家の近くに存在しなかったことが近くの林に隠れた理由です。

3、食事は食べ物がなく痩せ衰えるということはなく米農家の人々が多かったため食事に困るということはあまりなかったそうです。たまにですが豚肉や鶏肉などの肉類も食べられていたそうです。

感想
今回取材して分かったことは新潟の都市から少し外れに位置している南区では私たちが思う戦時中の死と隣り合わせで飢餓に苦しむということにはあまり当てはまらないということが分かりました。また今回の取材で東京などの都心での人々生活が私たちの戦時中ののイメージになっていると思いました。

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