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杉田庄一物語その29 第三部「ミッドウェイ海戦」 日本軍ガダルカナル島総攻撃

 九月に入り、川口支隊及び一木支隊の残存部隊がガダルカナル島に上陸する。やはり駆逐艦による「鼠輸送」であったため重火器等をほとんど載せられなかった。川口隊は正面突破をさけてジャングルを迂回して飛行場に近づいたため、苦労して運んだわずかな砲もジャングルを前にして捨てられた。

 ジャングルを進む間に兵は疲弊し、砲ももたないため十二日の第一回総攻撃は、十五日にかけての大隊ごとのばらばらのものになった。米軍を突破して滑走路にまで到達した一個中隊もジャングルに押し返され、多くの戦死者と疲労困憊した兵士が補給をたたれてアウステン山からマタニカウ川西岸に止まることになる。その後は前述の一木支隊同様に飢餓と病気に苦しみながら戦うことになる。米軍も多くの戦死傷者を出した。

 飛行機隊行動戦闘調書(行動戦闘調書)によれば、六空先遣隊はラバウル航空基地についた翌日の九月一日から輸送船団上空哨戒任務についている。その後は、ガダルカナル島での地上軍の戦いを支援するための任務についている。六月から途絶えていた行動戦闘調書がこの日に再開され、十月三十一日までの分が防衛省戦史資料として残されている。

 昭和十九年に撤退するまで、ラバウルにはラクナイ(東飛行場)、ブナカナウ(西飛行場)、ココポ(南飛行場)、ケラバット(北飛行場)、トベラ飛行場の五ヶ所の飛行場が設けられ、基地航空隊と空母航空隊とが合わせて十数個の飛行隊を設営していた。また、海軍陸戦隊や陸軍部隊、軍属なども含め約十万人の日本軍が常駐しており、施設設備も整えられて巨大軍事基地となっていた。

 飛行場滑走路はむき出しの赤土でスコールがやってくると四十度近い気温で熱せられた水蒸気がたちこめる。地上班の隊員たちは半袖半ズボンの防暑服だが、落下傘をつけ飛行服を着た隊員たちは体を伝う汗を感じながら待機しなければならない。それだけで体力を消耗していった。

 六空は、花吹山という活火山のそばの飛行場を本隊が来るまでの常駐飛行場として、ここから戦闘に出撃をすることにした。主戦場は千キロメートル以上も離れたガダルカナル島周辺であり、しばらくの間は長距離遠征を強いられることになった。

 九月一日の行動戦闘調書によれば、六空先遣隊一直は八時三十分から十二時十五分で田上健之進中尉、橋本久英一飛、加藤正男二飛、二直は十時三十分から十二時二十分で小福田租大尉、山根亀治二飛、三直は十二時から十五時で二小隊松村百人一飛曹、西山静喜一飛、松本早苗二飛曹、藤定一一二飛が初任務についており、「上空哨戒セルモ敵ヲ見ズ」と記録されている。

 九月二日も船団護衛任務についている。朝六時出発の一直から九時五十五分出発の四直まで十一機でおこなっている。一直のみ二機編隊で飛び、あとは三機ずつの編隊で飛んでいる。二直以後は、ほぼ五時間以上の飛行になっていて、三直の三機はB17爆撃機と遭遇し交戦しているが、戦果は記録されていない。

 九月三日は、七時三十分に一直三機が輸送船団護衛任務で出発したが、二直以降は悪天候で出撃が中止になっている。この日、川真田勝敏中尉を分隊長とする六空先遣隊第二陣として搭乗員十四名が、輸送船「りをん丸」でカビエンに到着した。杉田も第二陣に含まれていた。カビエンからラバウルまでは、およそ一時間である。前日までに輸送船「第三図南丸」で、一号戦(零戦二一型)十機、二号戦(零戦三二型)十機がラバウル基地の六空飛行隊に補充されていた。

 九月四日、行動戦闘調書には、「ラビ攻撃陸攻隊の直掩並びに偵察任務」と記録されている。三個小隊九機が出撃しているが、ルアンゴ上空が天候不良のため引き返している。また、この日はブカ基地の空母部隊の零戦隊が、六空進出と入れ替わりラバウルに帰投し母艦に収容されている。ブカ基地はブーゲンビル島の北東端にあり、ガダルカナル島への空路の途中にあったため重要視されていた。しかし、ジャングルの中を切り開いただけのたいへん不便な環境であり、長期滞在は難しかった。このあと六空がブカ基地に進出する予定になっていたが、まずは環境整備が急務となっていた。

 この日以降も六空先遣隊は連日出撃する。ガダルカナル島へ向かう船団護衛や敵飛行基地への空襲、陸攻隊の直掩、ラバウル基地上空哨戒などが主な任務であった。

 敵の基地は、ガダルカナル島、ニューギニアのポートモレスビーなどで、ラバウル基地から攻撃に向かうと往復約二千百キロメートルで、敵基地上空での戦闘時間を含めると五時間以上の飛行になる。繰り返しになるが、戦闘を終え疲労困憊して帰る時、眠りにさそわれて海没する事故が起きていた。『指揮官空戦記』の中で小福田は次のように書いている。

「朝八時ごろ、戦闘機隊を率いてラバウルを出発し、ガダルカナル島まで行って戦闘をやり、ラバウルに帰るのが午後一時か二時ごろである。そのころは、疲労のために、かえって食欲もなく、不眠の夜がつづいた。そして、どんな激戦でもやるから、せめて、もうすこし近いところだといいなと、しみじみと、零戦の航続力の長いのを恨めしく思ったことさえあった。とにかく、パイロットの負担と疲労はそれほど大きかった」

<参考>

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