Stonefield

元大学教員。退職してからはスケジュールにしばられない気まま生活。sharpMZでコンピ…

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元大学教員。退職してからはスケジュールにしばられない気まま生活。sharpMZでコンピュータ・プログラムにはまり、SE30の頃からMac使い歴40年。研究領域は国語科教育、情報教育、学校経営。国のデジタル推進委員、ICT活用教育アドバイザー。

マガジン

  • 杉田庄一物語_杉田庄一の生涯についての研究

    杉田庄一は世界のエースパイロットの1人としてスミソニアン博物館に写真展示されていますが、その生涯はあまり知られていません。生誕百年を記念し、杉田の生涯を多くの記録から追っていき、まとめてみました。引用については、出典を明らかにし、引用箇所をわかるようにしています。出版に向けてクラウドファンデイング実施中!

  • ニチニチコレコウニチザツキ

    ADHD気味という自己認識での日常生活。あちこちに興味関心が分散して突っ込んでいく自分を客観的にノートしてみようと思う。

  • 上越立ち止まりスポット

    上越のあまり観光案内に出てこない情報を丹念にひろっています。

  • 読書日記

    退職したら本を読もうと本を購入するのを趣味としてきた。たくさん積読本があるのだが、退職したら目が悪くて読書ができん。なんてこったい。限られた余生で良い本に出会ったら感想を書いておこう。

  • 杉田庄一に関するノート

    教員採用試験の面接で志望動機を聞かれ、「紫電改のタカ」の最後のシーンを引きずって教員になろうと思いましたと、答えた。40年以上前のことである。その後、自分自身が試験官も経験し、教員養成大学の教授になった。そもそもは「紫電改のタカ」からのスタートである。「紫電改のタカ」の主人公のモデルとも言える人物が杉田庄一だ。大学を辞めるとき、縁あって杉田庄一の実績を伝承する会の顧問になった。時間も少しはできたので杉田庄一をNOTEにまとめてみたい。

最近の記事

杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その29 日本軍ガダルカナル島総攻撃

 九月に入り、川口支隊及び一木支隊の残存部隊がガダルカナル島に上陸する。やはり駆逐艦による「鼠輸送」であったため重火器等をほとんど載せられなかった。川口隊は正面突破をさけてジャングルを迂回して飛行場に近づいたため、苦労して運んだわずかな砲もジャングルを前にして捨てられた。  ジャングルを進む間に兵は疲弊し、砲ももたないため十二日の第一回総攻撃は、十五日にかけての大隊ごとのばらばらのものになった。米軍を突破して滑走路にまで到達した一個中隊もジャングルに押し返され、多くの戦死者

    • 杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その28 六空先遣隊ラバウル進出

       少しもどって八月中旬、六空はミッドウェイ後に再編成し、木更津基地で訓練中であった。しかし、予想以上に早い米軍側の反攻により、急ぎ日本内地から航空隊を送らねばならないということになり、ラバウル方面に出動することになった。  ラバウルへの移動は、当初計画されていた空母による輸送では間に合わず、とりあえず小福田飛行隊長を指揮官として二個中隊十八機の零戦による搭乗員だけの先遣隊第一陣が木更津からラバウルへ向かうことになった。日本初の単座戦闘機による渡洋長距離移動である。木更津−硫

      • 杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その27 第二次ソロモン海戦

         八月中旬、米軍は空母「エンタープライズ」、「サラトガ」、「ワスプ」を主力とする第六十一任務部隊をガダルカナル島方面に出撃させる。ガダルカナル島攻略を重要と考えた連合艦隊も、近藤信竹中将の第二艦隊と南雲忠一中将の第三艦隊をトラック島に派遣した。  日本軍は駆逐艦による「鼠(ねずみ)輸送」と木造の輸送船艇(通称大発)による「蟻(あり)輸送」で川口清健少将率いる川口支隊(第三五旅団司令部及び歩兵第一二四連隊基幹)約四千名の輸送を始めた。しかし、八月二十日に敵機動部隊が接近という

        • 恐るべしKYOWA クラシックカー&ライフステーション

          何年も前から気になっていた三条市のKYOWA クラシックカー&ライフステーションに行ってきた。 あなどれないコレクション、いや、もう笑うしかない。 自慢じゃないけれど、博物館好き。国内はもとより海外出張のたびに世界各地の博物館を見てきたのだけれど、これだけの収容量とカテゴリーの多さは世界レベルです。さらに素人っぽさも。 北京郊外にあった世界最大の航空博物館(ゴミのような展示もある)に行ったとき、そして8月だけ開く河口湖の飛行機自動車博物館に行った時と同じレベルの驚き‼️

        杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その29 日本軍ガダルカナル島総攻撃

        • 杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その28 六空先遣隊ラバウル進出

        • 杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その27 第二次ソロモン海戦

        • 恐るべしKYOWA クラシックカー&ライフステーション

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        • 読書日記
          9本
        • 杉田庄一に関するノート
          119本
        • 作らずに死ねるか!プラモデル制作日記
          29本

        記事

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その26 第一次ソロモン海戦

           昭和十七年八月七日、この日から、連合国軍の本格的な反攻がはじまった。米軍及び豪軍によるソロモン諸島ガダルカナル島をめぐる攻防戦とツラギ島方面への逆上陸である。  ガダルカナル島へ上陸した日本軍が航空基地の第一期工事を終えたのは二日前だった。まだ、滑走路として機能していない状態だ。ツラギには横浜空の水上機基地が駐留していた。米軍は、反攻をここからスタートすることにしたのだ。  大本営では、連合国軍の反攻開始を昭和十八年以降と想定しており、まさしく虚をつかれることになった。ま

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その26 第一次ソロモン海戦

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その25 ガダルカナル島攻防戦はじまる

           ガダルカナル島は大小百の島が連なるソロモン諸島の南端にあり、大きさは四国の三分の一ほどで、南岸に狭い平地があり急な山地へと続いている。北側に飛行場を建設できるわずかな平地があった。昭和十七年六月ミッドウェイ戦が日本軍の事実上の敗北で終了したあと、大本営は「米豪遮断」をあきらめず、いやむしろ戦略的な重要性が増してきたと考えていた。  五月三日に占領下においたツラギ島付近で基地候補を探していた横浜航空隊司令の宮崎重敏大佐は、ガダルカナル島の中部北岸に滑走路を確保できそうな適地

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その25 ガダルカナル島攻防戦はじまる

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その24 ガダルカナル島上陸

           「第二段作戦計画」は、ニューギニア島東南岸のポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)とニューカレドニア、フィジー、サモアの攻略作戦(FS作戦)からなっていた。珊瑚海海戦でMO作戦は空母一隻を失い中止。そして、ミッドウェイ海戦で日本海軍は空母四隻を失いFS作戦も一時中止されることになった。「第二段作戦計画」はここに破綻することになる。しかし、海軍はあくまでも「米豪遮断作戦」を継続し、ガダルカナル島に航空基地を建設、基地航空部隊を進出して、ソロモン諸島の制空権を得ることで戦局を転換

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その24 ガダルカナル島上陸

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その23 捲土重来、内地へ

           六月十日、大本営はミッドウェイ海戦の結果について事実とは異なる報道を行う。この日に発表された大本営発表は次のようになっていた。 「東太平洋全海域に作戦中の帝国海軍部隊は六月四日アリューシャン列島の敵拠点ダッチハーバー並びに同列島一帯を急襲し四日、五日両日にわたり反復之を攻撃せり。一方同五日洋心の敵根拠地ミッドウェーに対し猛烈なる急襲を敢行すると共に、同方面に増援中の米艦隊を捕捉猛攻を加え、敵海上及び航空兵力並びに重要軍事施設に甚大なる損害を与えたり。さらに同七日以後陸軍部

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その23 捲土重来、内地へ

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その22 アリューシャン作戦

           アリューシャン作戦に参加する六空別動隊は、宮野善次郎大尉を指揮官として、岡本重造先任搭乗員、尾関行治一飛曹、上平啓州一飛曹、神田佐治二飛曹、谷水竹雄一飛ら十二機が選ばれ佐伯基地に進出した。谷水は杉田と同じ飛練十七期(戦闘機)でこれまでペアで訓練していたのだが、年長でもあり海軍での経験も長いため別動隊に選ばれていた。隊員たちには、「目的地は南方方面」とだけ知らされた。  佐伯基地では空母「隼鷹(じゅんよう)」、「龍驤(りゅうじょう)」の搭乗員が訓練をしていた。「龍驤」は小型空

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その22 アリューシャン作戦

          SWAP&MEET in 妙高に行ってきた

          4月20日〜21日に妙高市赤倉で実施されたSWAP&MEET in 妙高に行ってきた。 すごいぞこのラインアップ。 これまで参加した多くのクラシックカーのイベントとちょっと雰囲気が違う。車がみな古いだけでなくゴージャスなのだ。 犬も参加できるというので我が家のトイプーも連れて行ったが…やはりどの犬もゴージャスで、敗北感。 主催者ご夫妻とはすでに面識があるのでご挨拶をしたが、このゴージャスな雰囲気はお二人の醸し出すものなのだと思う。お二人もゴージャスなドレスとスーツで会場を

          SWAP&MEET in 妙高に行ってきた

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その21 ミッドウェイ海戦

           五月十七日、三百名以上の設営隊員や杉田を含む六空の若手搭乗員二十名を乗せた輸送船慶洋丸ほか二隻の輸送船が、駆逐艦二隻に護衛されて出航し、サイパンに向かった。六空はミッドウェイに向かう先発隊と本隊、アリューシャン列島に向かう別動隊で編成を行っていた。  本隊はミッドウェイ占領後に基地航空部隊になる予定である。ベテランたちは即戦力として各空母に便乗して向かうが、経験の浅い搭乗員たち(杉田を含む)は整備員と共に輸送船で現地に向かい、そこで訓練を仕上げる予定になっていた。  数日

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その21 ミッドウェイ海戦

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その20 珊瑚海海戦

           五月八日に、新郷英城飛行隊長は元山空飛行隊長兼分隊長として転出、兼子正大尉が後任の飛行隊長として入れ替わることになった。しかし、前線で若手訓練を行うという案は新郷が去ったあとに採用されることになる。内容はともかく新郷の上司に噛み付く態度が影響したものと思われる。  五月初旬、南洋部隊(指揮官井上成美海軍中将・第四艦隊司令長官)は三月にラエ、サラモア、四月にツラギ、ポートモレスビーを攻略するように計画していた。ラエ、サラモアの攻略に成功はしたが反撃を受け艦船に大きな損害を出

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その20 珊瑚海海戦

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その19 第二段作戦

           初戦の真珠湾攻撃やマレー作戦に成功し、昭和十七年の五月にはビルマ北部のマンダレーを押さえ、フィリピンのコレヒドール島米軍要塞を陥落させ、第一段作戦は終了した。この間、南雲長官率いる機動部隊は、連戦連勝だった。勝ちすぎることが問題でもあった。負ける気がしなくなっていたのだ。そこに東京空襲で冷や水を被せられた。  連合艦隊も柱島泊地で腰をどっしりと据えていた。大事な石油を無駄にできない。いざというときまでは艦隊を動かせないという事情もあった。  このときまで山本長官は米国の

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その19 第二段作戦

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その18 B25爆撃機、東京初空襲

          四月十八日、米軍機動部隊が空母ホーネットからノース・アメリカンB25ミッチェル爆撃機を発進させ東京空襲を行なった。陸軍の双発爆撃機を空母から無理やり発進させ、極めて遠距離から東京を空爆し、そのあと中国へ飛行するという無謀な作戦計画であった。  本来であれば日本本土から八百キロメートルの近くまで接近する予定であったが、日本時間の午前六時三十分、随行していた米巡洋艦が日本の監視艇第二十三日東丸を発見、攻撃を加え撃沈した。当然、監視艇は通報打電をしているだろうということで予定より三

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その18 B25爆撃機、東京初空襲

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その17第六海軍航空隊(六空)

           四月一日、基地航空兵力の編成替えがあり、開戦前から少ない兵力で内南洋方面の警戒及び南東方面の進攻作戦を続けてきた二十四航空戦隊は二十六航空戦隊と入れ替わることになった。航空戦隊は複数の航空隊をもち少将クラスが指揮をする。二十六航空戦隊は、木更津航空隊、三沢航空隊、第六航空隊(六空)で新編成されたもので次のようになる。 「基地航空兵力」 第十一航空艦隊(司令長官 塚原二四三中将)  第二十一航空戦隊(司令官 多田武雄少将)   鹿屋航空隊(戦闘機三十六機、陸上攻撃機四十八機

          杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その17第六海軍航空隊(六空)

          杉田庄一物語 第二部「開戦」 その16シンガポール陥落

           二月十二日、東条英機首相が天皇に拝謁し、大本営連絡会議でこれからの戦争方針を研究する旨を奏上したときのことが書かれている。天皇はこのとき東条に次のような内容を話している。 「戦争の終結については、機会を失せざるよう充分考慮しおることと思うが、人類平和のためにも、いたずらに戦争の長引きて損害の拡大してゆくは好ましからず、また長引けば自然軍の素質も悪くなることでもあり、今後の米英の出方にもよるべく、また独ソ間の今後の推移を見きわめるの要もあるべく、かつまた、南方の資源獲得処理に

          杉田庄一物語 第二部「開戦」 その16シンガポール陥落