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【連載】「いるものの呼吸」#5 本気の図

 幽霊、場所、まだ生まれていないもの――。目に見えない、声を持たないものたちの呼吸に耳を澄まし、その存在に目を凝らす。わたしたちの「外部」とともに生きるために。
『眠る虫』(2020年)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023年)など、特異な視点と表現による作品で注目を集める映画監督・金子由里奈さんの不定期連載エッセイ。
 第五回は、論考などで見かける「『嘘~!♡』と叫びたくなるような図」について。風景で思考する人・金子さんが、そんな「概念を二次元に捉え伝えようとする本気の図」で「心」や「人生」や「映画」を考えます。

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 人は思考するときその身体の中で、外で、一体何が起きているのだろうか。以前一緒に住んでいた高島鈴に「金子は風景で思考する人だよね」と言われてハッとしたことがある。言われるまで自分の思考方法を意識したことが全くなかった。確かに私は「考える」という敵に挑むとき、まず最初に頭の中に混線した有線イヤフォンが現れる。それを解いていく作業をする。脳みそに自分の指先が侵入してきて、一本ずつ、解いていく。そういうふうに、頭の中でビジュアルを繋いでそれをタイピングに落としている。なるほど、私はビジュアルで考える人なのかもしれない。脚本を書く時もそうで、まず場所を想像して、そこに人が立って歩いて物語ができていく感じがある。
 思考方法というのは一人ひとり違う。ビジュアルで、言語で、料理で思考する人もいるだろう。つい昨日お花見をした。といっても桜も葉桜も散り、夏の予感の緑だけをみながらみんなでだらだらとしていた。みんながどんなふうに思考してるのか気になって聞いてみたら、「マグネットの釣りするやつみたいに釣り上げてる」とか、「映像と音」、「人の過去の会話から」。実際に絵を描いてくれた人もいた。いろんなものが入ってる鍋からスッと音もなく浮き上がってくるみたいなことを言っていた。面白い! いろんな人の「考える」とき何が起きてるかをもっと聞いてみたい。今これを読んでるあなたはどんな思考方法なのかも気になる!
 ビジュアルシンカーという言葉もあるようで、私はまさにそれなのかなと思う。言語が権威的な社会で言語以外で思考する人たちは「説明が下手」と揶揄されたりしてしまう。言語で思考する人と、料理で思考する人に本来優劣があってはならない。「考える」という部屋の中にはたったひとりでしか入れず、私とあなたで一緒の「考える」の中に入ることはできない。絶対的で爽快な隔たりがある。だから入れもしない相手の「考える」を侮辱することは許されない。でもその考えが倫理的に政治的に合わない場合の議論は進んでするべきだと思う。
 
 私の思考方法から離れていて、でも私がトライしてみたいものがある。それは「図」である。図で思考してみたい。なんか楽しそうだから。
論考とかくを読んでるとたまに「嘘~!♡」と叫びたくなるような図が展開されていることがある。その図に思わず目が飛びついてしまう。概念を二次元に捉え伝えようとする本気の図。ここで紹介したい図がいくつかあるのだけど、文脈から図だけ引っこ抜いて提示するのは図の本意に沿わないだろう。会社で資料作りをしたことがある人は、図を書いたことがあるだろうか。私と図の実際的な付き合いは「ベン図」くらいしかない。だから図で思考するというのは、三次元で思考している私にとっては馴染んだ歩き方を変えてみることなのである。
 突然だけど、最近私は「心」が過去形なのか現在形なのかを気にかけている。心は常時身体に装備されているものなのだろうか。例えば心が「嬉しい」と動く時、それは過去の記憶と結びついて「嬉しい」と反応しているのだから、心は過去形なのではないか。しかし、心が過去形なら生まれたての赤ん坊、胎児は心はないのでしょうか。あるでしょうに。心はどんな感じなのか、図で思考してみます。

心について

 図で思考というかもう「心」というビジュアルになってるし......。心は経験が作り出す。
 小さな「気流」がそれを形作っている気がする。心というのは流動的だ。小学校3年生の私の中に確かに存在した心はいま日記帳にしか見当たらない。その日記を読んだ時、心を思い出すことはできても、もう一度そこに心が実在するような感覚にはならない。「気」が流れて現在の「心」を形造り、それは未来にも繋がっていく。そんな感じ。

グアメニャー

  次はグアメニャーを書いてみた。前回の語彙集で登場した「グアメニャー」 。未来と過去と現在が同時に存在を攻めてくる感じ。そう、こんな感じ。時間爆発。その爆発は長くは続かない、一瞬の出来事である。その余波で興奮した1日を過ごすことができ、日記に書く出来事はこの「グアメニャー」についてになるだろう。

人生

  私は「人生」を気にしたことがない。なぜなら、私に「人生」は関係ないから。でも、最近とある取材で「人生の映画は?」という質問があって「人生」という用語を急に考えてみた。
 人生……?とはなんだ。それは一生の確からしさということだろうか。人生はこのようなサイクルのような気がする。私は過去の自分のことを「妹」と呼んでいる。他人だけれど血縁関係がありたまに話す。姉は将来の自分である。姉との隔たりは今のところ感じない。
 死や悲しみを喜びや創造を人は生まれた瞬間にすでに持っている。人生……。とても不可思議な響き。

料理

  最近、ずっと料理している。友達を家に呼んでパンやドーナツやケーキを作ったり、すごい楽しい。料理とはこういうことだと思う。発酵食品が好きで米麹とかを作り始めた。世界を育てている感じがして面白い。飲み屋とかで完全に美味しすぎる料理を出す人を目の前にすると、この人は食材を作る人、運ぶ人、売る人、お皿を作る人……総勢1000人くらいの人々や食べ物たちの総監督なのだと感動する。 

映画

 映画とは何か。映画ってなんだー。一生わからないかもしれない。大学の頃バザンの『映画とは何か』読んだけど何もわからなくて終わった。映画って世界の中でフレームを見つけることだし、でも「過去」の「記録」であるし、その実際にある時間と「フィクション」の時間とかを混濁している感じ。その映画を鑑賞者は「現在」観るわけで、観ながら「過去」を思い出したりする。すごい、時間の混濁。こんな簡単な図しか書けなかった。映画のフレームは四角いだけじゃない。

なぜお金が貯まらないか

 なぜお金が貯まらないかの図。お金、貯まらなくない? 頑張ってバイトもして脚本も考えてるのに。ずっとずっと。なんで? てか、普通に週5で働いてる友達もお金なくておかしくない? どうしてお金がこんなにないのかわからなくてこんな図を書いてみました。私たちは悪くない。普通にめっちゃ働いているのに節約なんかしておかしいよ。高い皿買いたい。
 
 以上、お付き合いありがとうございます。めちゃくちゃ難しかった。私はやっぱり風景で考える方が、目が動くし耳も鋭くなって、気づきが多くなる。でもなんかウケたからみんなもやってみてほしい。いつもと違う足取りで考えてみる。考える中でのいろんなより道。次は陶芸で思考してみたいです!

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著者:金子由里奈(かねこ・ゆりな)
東京都出身。立命館大学映像学部在学中に映画制作を開始。山戶結希 企画・プロデュース『21 世紀の女の子』(2018年)公募枠に約200名の中から選出され、伊藤沙莉を主演に迎えて『projection』を監督。また、自主映画『散歩する植物』(2019年)が PFF アワード 2019に入選し、ドイツ・ニッポンコネクション、ソウル国際女性映画祭、香港フレッシュ・ウェーブ短編映画祭でも上映される。初⻑編作品『眠る虫』(2020年)は、MOOSIC LAB2019においてグランプリに輝き、自主配給ながら各地での劇場公開を果たした。初商業作品『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023年)は、大阪アジアン映画祭、上海国際映画祭で上映されるほか、第15回TAMA映画賞最優秀新進監督賞を受賞した。

バナーデザイン:森敬太(合同会社 飛ぶ教室)
作図:著者


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