内田美由紀

中古文学、特に伊勢物語を研究しています。 帝塚山大学非常勤講師です。中古文学会、和歌文…

内田美由紀

中古文学、特に伊勢物語を研究しています。 帝塚山大学非常勤講師です。中古文学会、和歌文学会、和漢比較文学会所属。

最近の記事

なぜ高子を「たかいこ」と読むのか

 平安時代に、宮中に出仕した女性の呼称は、例えば中宮定子を「ちゅうぐうていし」とか、彰子を「しょうし」とか読むように、音読みにすることが多い。  昔、誰に習ったのか忘れたが、これは宮中では基本的に中国風で音読みだったから、本名とは別で、宮中での読み方として音読みにしているのだ、と聞いた。  清少納言みたいに、「せい・しょうなごん」。それなら紫式部は、藤式部で「とう・しきぶ」。  男性でも、菅三品「かん・さんぼん」=菅原文時の通称。これはまあ和漢朗詠集だから?  藤原定家

    • 業平は東下りをしたのか?

       昔、サイト伊勢物語(またの名を「伊勢物語の世界へようこそ」、またの名を「伊勢物語ドットコム: 今はない)の掲示板に、質問があった。  「業平は実際に東下りをしたのか?」  つまり事実もとい史実なのか、尋ねてきたのだった。質問者が誰かはわからない。  返事は10年ぐらい(?)経ってからサイトのページに書いた。かなり調べなければならなかったから。  調査の結果、業平は(以下有料にします)

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      • 新年度

         新しい学校二つに行くことになり、新たな門出を迎え、ワクワクドキドキしています。  春休み中は、母の用事をしたり、新しい学校の手続きをしたりで落ち着かない日々でしたが、家ではゆっくり過ごしました。  『葬送のフリーレン』のアニメを観たり、主題歌の『晴る』を聞いたり、新刊の『薬屋のひとりごと15』を読んだり、遊んでばかりだったので、そろそろ本腰を入れて本業に戻ろうかと思っています。  そういえば、『薬屋のひとりごと』の二次創作の盛んなのを見るといつも、平安物語文学もあれほどでな

        • 2024年1月

          今年の目標は、『伊勢物語考Ⅲ』を書くことです。 『伊勢物語考ー成立と歴史的背景』と『伊勢物語考Ⅱー東国と歴史的背景』(新典社)をこれまで上梓しました。 専門書なのに索引は付けられなかったですし、 専門書だから本文紹介もなく、 昨年夏まで伊勢物語ドットコムがあったのですが、 ドットコムにした当初からサーバをアタックされたり、 ドットコムの管理などの問題があったりで、 セキュリティを上げるのが難しく、 やはり紙の本で残そうと考えました。 サイトは、管理者が生きている間しか続けられ

        なぜ高子を「たかいこ」と読むのか

          昨日、京都先端大学での中古文学会関西例会のピーターマクミラン氏の講演会「心ときめく古典の世界」に行ってきました。百人一首の英語版世界大会やJICA文化交流など精力的で驚きました。クラウドファンディングもされています。株式会社月の舟https://www.themoonisaboat.com/

          昨日、京都先端大学での中古文学会関西例会のピーターマクミラン氏の講演会「心ときめく古典の世界」に行ってきました。百人一首の英語版世界大会やJICA文化交流など精力的で驚きました。クラウドファンディングもされています。株式会社月の舟https://www.themoonisaboat.com/

          このID専用のパソコンが開かなくなって、ちょっと手間取っていました。 また再開します。

          このID専用のパソコンが開かなくなって、ちょっと手間取っていました。 また再開します。

          渚の院・後半(『伊勢物語』第82段)

          お供である人が、酒を従者に持たせて、野を通ってやってきた。 「この酒を飲もう」と言って良いところを探し求めて行くと、天野川というところに着いた。 皇子に、右馬の頭(うまのかみ)がお酒をさし上げる。 皇子のおっしゃるには、「『交野を狩して、天の河のほとりに着いた』を題として、歌を詠んで、盃をさせ(杯に酒を注げ)」とおっしゃったので、例の右馬の頭が、詠んで差し上げた。  かりくらし たなばたつめにやどからむ あまの河原に我は来にけり (一日狩をして過ごして七夕姫〔織女〕に宿を

          渚の院・後半(『伊勢物語』第82段)

          渚の院・前半(『伊勢物語』第82段)

          昔、惟喬親王と申し上げる親王がいらっしゃった。(この京都から見て)山崎の向こう、水無瀬というところに離宮があった。年ごとの桜の花盛りにはその御殿へなあ、いらっしゃったのだった。 その時、右馬頭(右馬寮の長官)であった人を、いつも連れていらっしゃった。時が過ぎて久しくなったので、その人の名を忘れてしまった。 狩りは熱心にもしないで、酒ばかり飲み、飲みながら和歌を作っていた。 今、狩りをする交野の渚の家、その院(渚の院は文徳天皇の離宮)の桜、特に趣深い。その木の下に(馬から

          渚の院・前半(『伊勢物語』第82段)

          芥川(『伊勢物語』第6段)

          昔、男がいた。女で手に入れることができなかった人を、数年にわたって求婚しつづけていたが、何とか盗み出して、とても暗い時に(逃げて)きたのだった。 芥川という川を連れて行ったところ、草の上に降りた露を、 ーーあれはなに? となあ、男に尋ねたのだった。 行く先は遠く、夜も更けてしまったので、鬼がいる所とも知らずに、雷までもひどく鳴り、雨もすごく降っていたので、荒れた蔵に女を奥に押し入れて、男は弓・やなぐい(矢の入れ物)を背負って戸口にいた。 早く夜も明けてほしいと思いながら

          芥川(『伊勢物語』第6段)

          武蔵野(『伊勢物語』第12段)

          昔、男がいた。人の娘を盗んで、武蔵野に連れて行くうちに (男は)盗人だったので、国守(今でいえば県知事)に捕らえられてしまった。 (その時、男は)女を草むらの中に置いて、逃げてしまった。やってくる人が「野には盗人がいるという」と言って火を付けようとする。女はわびしく思って   武蔵野はけふはな焼きそ 若草のつまもこもれり我もこもれり  (武蔵野は今日は焼かないで!若い夫も隠れています私も隠れています)  と詠んだのを聞いて、女をつかまえて、一緒に連れて行ってしまった。

          武蔵野(『伊勢物語』第12段)

          サイト伊勢物語は、isemonogatari.comから移転します

          内田美由紀です。 25年間、サイト『伊勢物語』を運営してきました。URLはhttp://isemonogatari.comでしたが、このURLには6月にはお別れし、 この度、note.comに引っ越しすることにしました。 どうぞよろしくお願いいたします。

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