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雑文(12)「檻」

 鼻のちょうど右横、ちいさなイボのある上らへんだった。
 人差し指を伸ばして、後ちょっとだが、後ちょっとがものすごく遠くに感じられ、絶望にわたしは額に汗を滲ます。
 脂汗だろう。きっとイボの澱に汗が溜まって、かゆみのある炎症を肌におこして、わたしを苦しめる、きっとそうだろう。
 後ちょっと、後ちょっとだった。檻を被っているから、檻のわずかな隙間に人差し指をねじ込み、人差し指の爪の先の先で、掻いてやろうと目論んだが、目論みは外れて、掻けずじまいである。わたしはこのまま鼻のちょっと横をちょっとも掻けずに、かゆみの伴う炎症に苦しみながら、檻を被ったわたしは、鼻のちょっと横の、かゆみを放置するんだろうか。掻きたいのに掻けず、檻を被ったままわたしは、わたしの鼻の横にあるイボに溜まった脂汗は、わたしの肌を荒らし、炎症をおこしてかゆみの生じたそこをわたしは掻けないまま、檻の隙間に人差し指をねじ込んで、人差し指の関節を動かし、爪の先の先をそこに届け、届けと動かし、掻けずにこのまま終わってしまうのか。
 すぐそこだ。もうちょっとで掻けるのだ。後ちょっと伸びたら爪の先の先で掻ける。肌におこったかゆみをやわらげ、ホッと一息が吐けるのに、どうしてわたしの人差し指は後ちょっとが届かないんだろう。もうちょっとなのだ。もうちょっとで届くのに、檻がじゃまして、そこに人差し指の爪の先の先が届かない。
 爪の先の先が空を切って、鼻の横のわずか数ミリメートルを撫でて、鬱血した人差し指を檻の隙間から引き抜いてはまた差し込み、かわらずわたしは人差し指の爪の先の先をそこにやろうともがくのだ。
 焦れば焦るほど、人差し指はなぜか鼻の横から遠ざかる。掻こうとすればするほど、なぜか掻けず、人差し指の爪の先の先は、掻けないところを何往復もし、折れ曲がった関節をポキポキ鳴らして、わたしを心底疲弊させるだけだ。
 人差し指を何度も檻の隙間に抜き差ししておれば、檻も人差し指も、わたしの行いに対して理解を示したのか、もうほんとちょっとで、そこに届きそうだ。もうちょっとで念願叶って掻ける。掻きまくれる。鼻の横の、イボ上らへんの肌を掻きまくって、かゆみを緩和できるのだ。後ちょっと、後ちょっとなのだ。
 掻ける。掻けるぞ。と、思った時だった。
 人差し指の爪の先の先が、後数ミクロンメートルで掻ける時だった。わたしは届きかけた、掻きかけた人差し指を檻の隙間から抜いて、鬱血した人差し指をねぎらいもせずに、やる気をなくした。
 もはやもう鼻の横、イボの上らへんはかゆくなかった。掻きたくなかった。掻く必要性がなかったのだ。あれほど掻きたかったのに、いまはもう掻きたくない。かゆみはない。脂汗の溜まった炎症の伴ったかゆみはなかった。
 掻く行為に興味をなくし、わたしはリモコン片手にテレビをつけた。ソファに沈んで、無感情にテレビ画面を眺めたまま、気づけば眠りこけていた。

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