見出し画像

雑文(09)「びよういん」

「長さはどのくらいにしますか?」
 指名した女性美容師がそうたずねたから、おれは、「毛先を整えるだけで」と、女性美容師に言った。
「かしこまりました」と、女性美容師は畏って言った。
 女性美容師は、カットし出した。チョキチョキと、ハサミを、いや、ザクザクとか、鏡に映るおれの毛を見ながら、毛先を整えていく。
「動かないでください」と、笑いながら女性美容師は言うから、おれは動くまいと我慢し、動かない。
 女性美容師が位置を移動するたびに気になるのだ。気になるな、気になるな、って、おれは思えば思うほど、気になってしまう。そのたびに女性美容師に、「動かないで」と言われ、おれは動くまいと我慢し、動かないのだ。
 毛先が整い、生温いオイルを塗られた。女性美容師は慣れた手付きで、塗り込みようにマッサージし、揉みほぐす。揉みほぐされるたびに、おれは、なんとも言えない気持ちになるが、なんとも言えない気持ちになっているのを女性美容師に気取られないように、おれは平静を装って、無表情を保つ。
 椅子の背もたれが下がり、毛を洗われる。女性美容師は爪先を立て、おれの毛をシャンプーで泡立て、洗っていく。「動かないでください」と、女性美容師に言われるが、動いてしまう。我慢するが、我慢し切れない。
 毛を乾かす。ドライヤを使って、角度を変えておれの毛を乾かす。慣れた手付きで、おれの毛は乾いていく。
「お疲れ様でした」と、女性美容師は言った。「疲れたよ」とは言わずに、「ありがとう」と、おれは言った。
 月に一回の頻度で、おれは、びよういんに通う。毛をカットして、すっきりしたいからだ。びよういんからしたら、おれはいい客なんだろう。わかっているが、やめられない。たぶん来月にまた、女性美容師を指名して、おれの毛をカットしてもらうんだろう。
 びよういん、じゃなくて、びょういん、へ行った方がいいんだろうか?
 おれは、街の中を逆立ち歩き、頭に血ののぼったのぼせた頭で、びよういん、通いはやめられない、そう思ったのだ。

   おわってる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?