見出し画像

雑文(05)「ゴールデンウォーク」

 ゴールデンウィークだから、ゴールデンレトリバーのゴールデンは、旅に出た。
 ゴールデンレトリバーだから、ゴールデンって名前は安直すぎないかって、ゴールデン自身そう思うんだけど、ペットショップの何度も値下げ、安っぽいチラシ裏紙モロバレの値札が赤いごく太マーキーで何度も修正された、人だけがいい店長さん曰く売れ残りエリアに好奇心か気まぐれか知らないけれど、ひさしくんがとことこ前にやって来て、ガラス越しに目が合って、人だけがいい店長さんから、「最後のチャンスだぞっ」って、念を押されて、だからわたしは、だるい身体を起こして、ひさしくんに近づこうと、するとひさしくん、なにを思ったか、わたしに急に指差して、あまりに急にだからわたし後ずさり、ちびりそうにもなったんだけどちびらず、後ろにちょっと下がって、ひさしくんが叫んで、ママがやって来た。
 ママに、ひさしくん、「決めたよ、これにするよ」と言ったんだけど、ママは何度も修正された値札と、わたしの老いぼれた肉体を交互に見て、眉をひそめて、だけど、ひさしくん、「名前だって、もう決めたんだから」と言うものだから、ママはひさしくんに、「決断早すぎない?」と、ひさしくん目線にかかんで、再婚相手の連れ子であるひさしくんの決断力の高さを誉めたんだけど、ひさしくんは香水の激しい匂いを漂わす義母に遠慮せずに、「ゴールデン。ゴールデンレトリバーのゴールデンだよ」って言ってから、わたしの名前は、ゴールデンになった。
 
 ゴールデンウィークはお留守番よろしくって、ママに、わたしにとっても義母なんだけど、ママに言われて、名残惜しそうに出て行くひさしくんとハグして玄関で別れた。まもなくして、バンのエンジン音がして、行き先のカーナビ設定か、ちょっと間をおいて、ハンドルを切ってタイヤが摩擦する音がすれば、バンのエンジン音は遠ざかって行った。わたしはこうべを垂れて、とことこリビングルームに戻る。ソファの上にとびのったが、愛でてくれるひさしくんは、あたりまえながらいない。いたらいたで、それはあまりに、いや止めておこう。ちびっちゃうから。
 老体を労ってのことだった。ドッグフードはたんまりあるし、水だってそうだ。それに近所のばあさんが一日に一回見に来る約束になってるって、ママが電話越しに頼んでいたのをわたしは知ってるんだけど、もう昼すぎなのに、ばあさんはまだわたしに顔を見せず、たぶんだけど、お昼の番組に夢中なんだろう。
 ひさしくんに会いたい。ひさしくんにぎゅっと抱きしめられたい。ひさしくんの匂いを嗅ぎたい。わたしはどうしようもない気持ちになって、ちょっとちびった。ひさしくん、ひさしくん。
 わたしは気づけば玄関にいて、気づけば玄関ドアの錠を外してドアを開けていた。ひさしくんがママの指導のもと、そうやってるのをわたしは常に監視してたから容易にできた。わたしは外に出た。晴れていた。陽気な天気にわたしは晴れ晴れとなった。それにひさしくんに会えるのだ。
 冒頭でも申し上げました通り、わたし、ゴールデンレトリバーのゴールデンは、ゴールデンウィークに旅に出ました。

(中略)

 道中ですが、ドラマチックな展開がだいぶあったわけですが、わたしの目的はひさしくんに会うことだから、ここでは割愛します。後日、あの日を振り返って、なにか書く機会があれば書きますが、わたしの第一はひさしくんに会うことなので、ここでは省略です。
 で、わたしはなんだかんだあって、箱根に着きました。宿泊先の宿はママが予約の電話で話してるのを聞いていたから知っています。場所だって、嗅覚です。わたしはゴールデンレトリバーだから鼻がきくわけですから、ひさしくんの匂いを辿れば容易なんです。
 ひさしくんの背中が見えました。右手はママが掴んで、川にかかった橋のちょうど中央を進んでいました。わたしは駆けました。正直申すと駆けるまえにちょびっとちびりました。
 後ろからわたしはひさしくんに抱きつきました。ひさしくんは尻餅をつき、わたしに気づくと、ひさしくんは、「ゴールデン、ゴールデンよかった。無事だったんだ」ひさしくん、半泣きです。わたしは首をかしげましたが、すぐにわかりました。ママがスマホを片耳に当て、川を眺めるように橋の欄干に寄りかかって、ひさしくんはくすくす笑い、わたしもくすくす笑いそうになります。
 ひさしくんは、わたしの顔をのぞき込み、「ばあさん、ゴールデンがいない、ゴールデンがいないって、ゴールデンが誘拐されたって、ママに電話したり、警察に電話したりで、すごい騒ぎなんだ。だからこれから繰り上げて、帰るところだったんだ」と、わたしに言い、ママは電話に夢中で、わたしに気づいていません。「そうだ」と、ひさしくんが叫びました。「ゴールデンと行きたいところがあったんだ。行こうよ、ゴールデン」わたしの老体は悲鳴を上げていましたが、ひさしくんのためならと決断しました。「ほら、行くぞ。ゴールデン、ついてきて」先を、ひさしくんが走って行きます。わたしは遅れて、ひさしくんの後をついて行きました。ひさしくんはけらけら笑い、わたしもけらけら笑いそうになりました。わたしとひさしくんの行方は、わたしの垂らしていったしょんべんのせいで、すぐにわかってしまった、ですがひさしくんとのわずかながらの逃避行をいま思い出しても、ゴールデンウィークのよい思い出です。
 ちょっとちびりました。
 ママに怒られるまえにこの場を離れないといけないので、悠長に思い出話に浸るのはこれぐらいにしておきましょう。

   おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?