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雑文(64)「信じる者は救われない」

「手の施しようが」と、鈴木医師は短く言った。拓也くんのお母さんが「どうして」と、俯き気味に言う。
「スマートフォンと両手の切り離しは成功しましたが、精神が」鈴木医師の会話を遮り、拓也くんのお母さんは言う。「遊んで、あの子は遊んで、そう、スマートフォンで遊んでいただけなんです」鈴木医師が言う。「なぜですか? 中毒が疑われる初期段階に対処できておれば、こんな末期の、手遅れには」
「遊んでいただけなんです」拓也くんのお母さんの声はさらにか細く、鈴木医師は続ける。「スマートフォンの中が、拓也くんの現実なんですよ。スマートフォンを動かす肉体があるだけで、それはたとえば」と、鈴木医師は言い、たとえた。「たとえば、昔農民たちが現実の辛さに耐え切れず南無阿弥陀仏を唱えて極楽浄土を望んだ、拓也くんはスマートフォンの、課金制のモバイルゲームのキャラクターに拓也くんの理想像を投影した」
「たしかにあの子はよく食べますよ。平均体重よりだいぶ重たいですが、それがなんですか、スマートフォンを動かす動力源だと、つまりなんですか、先生はそうおっしゃりたいと?」拓也くんのお母さんの瞳は充血し、鈴木医師は言う。「両手は、形は拝んでいるようでした。スマートフォンの中に救いを求めたんです。信仰はいわば思い込みですが、その思い込みの強さが拓也くんの精神をスマートフォンの中に閉じ込めた」鈴木医師の講釈に拓也くんのお母さんは声を荒げる。「たしかにずっとスマートフォンを触っていました。ですが、スマートフォンを使って遊んでいただけで、拓也はっ」
「拓也くんの肉体に拓也くんの精神は、もう。脂肪のですね、貯蔵庫です。精神はモバイルゲームのキャラクターに。拓也くんの現実はそこにあるんです」
 拓也くんのお母さんは泣き崩れた。そうするしかない、という泣き崩れ方だ。泣き声は診療室内に響き、鈴木医師は拓也くんのお母さんが泣き止むまで何も言えず、泣き崩れた姿を眺める他なかった。
 拓也くんのお母さんは、拓也くんのスマートフォンを大事にそうに胸に抱えてクリニックの出入り口から出て行った。昨今社会問題になるゲーム依存性で末期中毒症の患者はスマートフォンに精神を奪われ、スマートフォンの中で生き続ける。拓也くんも、拓也くんのお母さんもその数多いる被害者の一部に過ぎず、鈴木医師には数多いる患者の一部に過ぎなかった。
 拓也くんの肉体は焼却処分になった。
 だが、精神は。
 いや、ちがう。
 鈴木医師はデスクで女性看護師に淹れてもらった淹れたての無糖のブラックコーヒーを飲みながらネットのニュース記事を思い出した。
 先日見た、拓也くんのお母さんの泣き崩れる姿が瞼の裏に映り、目頭が熱くなる。
 業界の規制強化に伴い、ゲーム内の課金制を廃止、開発会社の株価が暴落し倒産が相次ぎ、拓也くんのキャラクターが存在するモバイルゲームのサービスは終了し、保管データはすべて消され、拓也くんも消えた。

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