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雑文(30)「僕にその手を汚せというのか」

 カフェテリアの裏方仕事は、ジョナサンが考えるより過酷だと、職場の元同僚から聞いていたのだけれども、これほどに過酷で劣悪だとは、ジョナサンの常識外の常識がそこにあった。
 カウンター・スタッフのロレインは、ジャンキーの注文を受けながら、受取りカウンターで待たせているジャンキーたちのオーダーを、ロレイン受持ちの「ブレンド・コーヒー」を、張りついた笑顔を崩さずに、ときおり傍らに据えたペットボトルを掴んで水分を補給しては、「ブレンド・コーヒー」を拵える。「カフェ・ラテ」は、厨房のエドが担当だから、淹れたての「ブレンド・コーヒー」を受け取るとエドは、キッチンテーブルに据えたスマートフォンを器用にタップしながら、「カフェ・ラテ」を、受取りカウンターで待つジャンキーたちを苛立たせないようにできるだけ素早く完成させ、ホール・スタッフのアナに手渡し、たまっている「ブレンド・コーヒー」をスマートフォンをタップしては仕上げていく。
 ロレインは合間に、厨房床に据付けのトラップを拾いあげ、中身をミキサーにかけては、ガラス瓶のなかに補充し、やって来たジャンキーたちに張りついた笑顔でオーダー対応し、そっとトラップを厨房の床に戻すのだ。
 ジョナサンは初日だから見学実習だと、オーナー兼デシャップのゲイツから指示を受けているが、あまりの忙しさに立っているのがやっとな状況で、とてもじゃないが手伝えそうにない。
 ジョナサンの青白い顔に気づいたのか、先輩スタッフのエドが、「ブレンド・コーヒー」を渡してきて、「おまえも作ってみろ」と先輩然に無言で言ってきて、ジョナサンは断ろうとしたが、エドに断られた。
 しかたなく受け取った「ブレンド・コーヒー」をまえに固まってしまう。作り方はわかるが、なかなかに作る気になれない。エドみたいに手軽に作るにはいったい何年かかるのか、ジョナサンは当惑する。
 窓ぎわの席に、姪のカレンがひとり座っており、今年からニュー・シアトル・セントラル・カレッジに通う大学生で、ジョナサンの初日の働きぶりを見に来たのだ。ジョナサンが任されたのは、カレンのオーダーだった。エドの計らいか。エドはスマートフォンから目を離せないので真偽はわからない。
 いずれにせよ、カレンを待たせるわけにはいかないので、ジョナサンは、与えられた「カフェ・ラテ」作りに神経を尖らせる。
 サステイナブル・コーヒーという。物価高騰と深刻な大不況にみまわれたニュー・シアトルでは、サステイナブル・コーヒーがブームだ。ジャンキーたちが安価だからと言って好んで飲む代物だが、ジョナサンは裏方仕事の初日でサステイナブル・コーヒーは勘弁だと思った。どんなに安価でも遠慮したいとも。
 カレンはときおりキッチンに立つジョナサンと目が合うが、ジョナサンの葛藤なんて知らずにっこり笑う。ジョナサンも笑うが、笑っていられない。カレンのオーダーした「カフェ・ラテ」を作らなくてはならない。
 ジョナサンは、キッチンテーブルに置いた「ブレンド・コーヒー」のマグカップをおそるおそる掴もうとしたが、遅いと言わんばかりにエドが奪うと数秒足らずで「カフェ・ラテ」を仕上げ、待ち構えていたホール・スタッフのアナに手渡した。
 エドはジョナサンを横切り、彼に背中を向け、なにも喋らず、キッチンテーブルにたまっている「ブレンド・コーヒー」に取りかかる。ジョナサンは初日にして、役立たずの烙印を押されたのだ。エドに声をかけようと背後に近づき、謝ろうとしたそのとき、キッチンテーブルに置かれたスマートフォンの画面にカレンが映っているのにジョナサンは気づいた。ジョナサンは迷わず、振りかえったエドの顔面を殴っていた。悲鳴をあげるロレインを無視して、エプロンを脱ぎ、厨房から騒がしい店内に出たジョナサンは、厨房内の惨状をジャンキーたちに告発した。
 騒がしかったジャンキーたちがしんと静まりかえり、カレンはジョナサンの姿に目を疑う。
 それは、『フォーリング・ダウン』のマイケル・ダグラス演じるディー・フェンスが、ハンバーガーショップの天井に手持ちのサブマシンガンを誤射してしまった、朝食メニューの理不尽さとチーズバーガーの虚実をカウンター・スタッフに訴える彼を黙って見つめるジャンキーたちのそれであった。

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