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雑文(13)「脂肪発電」

「円安が進みすぎたせいよ」と、妻は言った。
「会社の先輩がそれで連行されたんだぞ」と、おれは言った。
「減量する機会はあったでしょ」
 いつに増して妻の指摘は鋭い。
「厳しくないか?」
「他人事じゃないでしょ、あなたも」
 おれは、おれの腹まわりを見て、顔をまた上げた。
「まだ燃えたくないよ」
「燃料がないんだから」
「政治家みたいな口ぶりだな」
「事実よ」妻はそう言って、痩せた頬をさすった。おれより妻は背は低くく、同性の中でも平均より低い方だが、それでもこうだ。
「反論したいができない」
「事実だから」
 おれは言葉につまった。佐藤さんが連行されたのは数日前、もしかするともう燃やされているかもしれない。
「あなたが暗い顔してもなにも変わらないし、スマホが充電できるのも佐藤さんのおかげかもしれない」
「不謹慎だぞ」
「そうかな」妻は平然と言い、笑った。
「嫌いだったんだろ?」
 妻は一瞬ひるみ、おれの顔を驚いた表情で見たが、それを隠すように言葉にした。「あなただって」
「否定はしないけど」
「結局他人事なのよ」
 おれは話題を変える。「にしても、50キログラム規制はやりすぎだ。おれはそう思うよ」
「でも、そうじゃないと電気供給は滞るって。しかたないよ」
「脂肪燃焼の発電効率だって低いらしいじゃないか」
「それしかないから」妻は言う。「ぜんぶ、円安が進みすぎたせいよ」
「いまにはじまったことじゃない。前の前の世代の負の遺産だよ。おれたちがはじめたんじゃない。はじまっていたんだよ」
 おれは痩せこけた頬を上げて、妻に笑って見せた。
「佐藤さんだって、みんなのために、最期貢献できたんだから、よかったじゃない」
「他人事だな」
「他人事だから」
「おまえもしらない、そうじゃないだろ?」
「忘れた。結婚前の話よ」
「泣くぞ、あいつ」
「燃えちゃったんだから、もう泣けない」
 おれの頭の中に、生前の、佐藤さんの人懐っこい笑顔がよみがえり、おれも笑った。
「なにがおかしいのよ」
「佐藤さん、笑ってるぞ」
 妻は深いため息を吐き、頭を左右に振って、肩をすくめた。
「泣いちゃうよ」
「泣けばいい」
 おれは、妻の足元を見て、言った。「充電、終わったのか?」
 妻は足元を見て、言った。「まだ。さっき充電したばかりだから、たぶんまだだよ」
「佐藤さん、頑張ってんのかな」
「どうせ、のんびり燃えて、まだ燃え尽きていないんでしょ。発電効率悪そうだから」
「悪口だな」
「悪口だよ」
 おれは笑った。妻も笑った。
「おまえ、やっぱり嫌いだったんだろ?」
「しつこかったから」
「一途、いや執念深さか。怖さもちょっとあったか」
「だからあなたと結婚したのよ」
「隠れ蓑か」
「何度断ってもあきらめなかった。尋常じゃない執着心よ、あれは。あきらめなければ、きっといつか。好き好き言えば、きっと相手も好きって、いつか言ってくれる。そんな理屈でしょ」
「減量に失敗してよかったな」
「清々したよ」妻は清々した顔付きで言う。「よかったよ。最期に役に立てたじゃない」
「最期だけか」
「悪口?」
「悪口」
「あなたも、もしかして嫌いだった?」
「ああ。死ぬほど嫌いだった」
 妻は笑った。おれも笑った。
「死ぬほど好かれていたのかな」と、おれは笑う。
「また悪口」と、妻が笑う。
 おれと妻はカタカタ笑い合った。

 それから数日後、体重制限が40キログラムに引き下がり、強制連行に遭ったふたりが発電所のタンク内で燃えたのは、事実で悪口ではない。

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