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雑文(07)「わたしは本です」

 本棚の内側に立って、わたしは手に取られるのを待っていた。
 お隣さんは、いつからそこに立っているのか、髪の毛はほこりを被って、顔の色は日に黄ばんで、嗅いだら漂うその匂いは黴臭く、わたしよりだいぶ古くなって、そこにいた。
 わたしと同じく誰かの手に取ってもらい、パラパラ数ページを試し読んでもらい、好まれてレジに持ってもらうのを、ずっと、わたしより長く、そこで待って来たんだろう。
 わたしの前任者はたぶん、誰かの好みに合って、買われたんだろう。あるいは、古くなりすぎて、誰にも買われず廃棄処分になったのか。たぶん知ってるから、口数の少ないお隣さんに訊きたかったが、怖くて訊けないし、訊いたら訊いたで、訊いて損したと思いたくなかったから、わたしは訊かなかった。
 わたしの人生に誰が興味があるんだろう。お隣さんだって、たぶん一度は考えただろう。わたしの人生を知ったところで、わたしの人生をそもそも知りたいんだろうか。いや、本屋に来るってことは、誰かの人生を知りたいわけで、誰の人生も知りたくない人は本屋にそもそも来ないから、わたしの人生だって知りたいんだろう。と、きっとお隣さんも一度は考えただろう。そうですよね? お隣さん? わたしは、気軽にそう訊きたかったが、生気を失って、前だけまっすぐ見る、干からびて唇は開きそうにないお隣さんに、怖くてやはり訊けない。訊いたら訊いたで、訊かなかったらよかった、わたしはそう思いたくなかったのだ。

 わたしは本です

 誰かの手に取られるのを待っています。
 誰かの手に取られて、その人にわたしの人生を語って伝える、それがわたしの役割です。ほとんど話さなくなったお隣さんと同じ、本なのです。誰かにわたしの人生を語って、伝えたい。わたしの人生を知りたいのか。誰かの人生を知りたい人が、ここに来るから、わたしだってお隣さんだって、きっと誰かの手に取ってもらえるチャンスがあると、わたしはそう信じています。誰かにわたしの人生を語って、伝えたい。お隣さんと同じく、それがわたしの役割です。

 ある日、気づくとわたしのお隣さんは居なくなって、新しい、まだ、未来に希望を持った、真っ白で初々しいお隣さんが、そこにいました。あの日のわたしと同じように、わたしに声をかけようかかけまいか、お隣さんは悩んで、結局かけずに、黙ってそこにいました。
 わたしはだいぶ、そうだな、いつからここにいるか、忘れてしまいました。肌だってもう黄ばんで、中を、害虫が這い回って、時々ちょっと喰ってる不快な感覚に襲われ、ぞっとします。わたしはここに長く居すぎたんだと、けれどいつからここに居るのか、わたしは忘れてしまったのです。

 ある日、気づくとわたしは誰かの手に取られ、目だってもう見えないから、どんな人に取ってもらえたのか、わかりません。わたしはもう、なにもわかりません。嬉しいのか、悲しいのか、それを抱くには、時間が経ちすぎてしまったのです。なんの感情も抱かない、というのが、わたしのいまの正直な感情です。

 焼却炉の中で燃やされ、わたしの燃えかすが曇った空に舞い上がって、わたしははじめて、清々しい、という感情を知りました。わたしの語る人生に追加されない新たな感情は、きっとある日居なくなったお隣さんも抱いたんでしょう。それに新たなあのお隣さんも、ずっと先に抱くんでしょう。わたしは燃え尽きるまで、そんなことを考えていましたが、燃え尽きるともう、わたしはなにも考えられなくなり、わたしが本だったことも忘れてしまいました。

 1日267万冊の本がこの世から消えている。
 1日267万人の人生が語られず、代わりに1日650万人の新たな人生が誰かに語られたがっている。

   おしまい

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