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雑文 Vol. 6

15
文字数〜6,000字程度の雑文集。
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記事一覧

雑文(15)「チョコザップ」

「チョコレートは細胞を活性化し、脂肪を燃焼するんだよ」と、君は真顔で言うから、僕はたまらず、「あいつにもそう言ったんだろ」と、半ば呆れ気味に、言う。 「信じてたよ」と、君。 「信じたんだよ」と、僕。 「信じるかな、フツー」 「信じるんだよ、君が言ったから、あいつ信じて、チョコレートばっか食ってるって、おれに自慢してたぞ」 「笑ってた?」 「笑ってた。幸せそうに笑ってた。なにかあったのか? って、おれが訊いても、あいつなにも答えなかった。よっぽどいいことがあったんだと思っていた

雑文(14)「心の在り方」

 世界的に著名な心理学者の男が聴衆に向けて、語った。 「近年の常識ですが、かつてフロイトやユング、アドラーが提唱した心理学は現代ではいささか古い考え方、どちらかと云えば古典、もっと云えば非科学的な夢の物語と云う学者も現に居ますが、それではそれが完全な嘘かと云えば嘘だと完全に否定できる方を私は存じ上げておらず、それほどに魅力的な考え方だから皆さんが知るように広く世界で彼らの考え方は歓迎され、心理学の基礎を築いた御三方であるのを私のような三流の学者が否定できるはずがありません」

雑文(13)「脂肪発電」

「円安が進みすぎたせいよ」と、妻は言った。 「会社の先輩がそれで連行されたんだぞ」と、おれは言った。 「減量する機会はあったでしょ」  いつに増して妻の指摘は鋭い。 「厳しくないか?」 「他人事じゃないでしょ、あなたも」  おれは、おれの腹まわりを見て、顔をまた上げた。 「まだ燃えたくないよ」 「燃料がないんだから」 「政治家みたいな口ぶりだな」 「事実よ」妻はそう言って、痩せた頬をさすった。おれより妻は背は低くく、同性の中でも平均より低い方だが、それでもこうだ。 「反論した

雑文(12)「檻」

 鼻のちょうど右横、ちいさなイボのある上らへんだった。  人差し指を伸ばして、後ちょっとだが、後ちょっとがものすごく遠くに感じられ、絶望にわたしは額に汗を滲ます。  脂汗だろう。きっとイボの澱に汗が溜まって、かゆみのある炎症を肌におこして、わたしを苦しめる、きっとそうだろう。  後ちょっと、後ちょっとだった。檻を被っているから、檻のわずかな隙間に人差し指をねじ込み、人差し指の爪の先の先で、掻いてやろうと目論んだが、目論みは外れて、掻けずじまいである。わたしはこのまま鼻のちょっ

雑文(11)「デリバリーサービス」

 デリバリーサービスは、便利だ。  自宅のソファに座ったまま、スマートフォンの画面をタップするだけで商品を注文できる、便利さだ。  支払いだって現金払いじゃなくて、クレジットカード自動引落しだ。便利だ。  ソファに座って、三十秒毎に更新されるマップを見ながら、商品到達を待つのだ。  無論、サービスは割増し料金だが、外着に着替えて外出する、行き帰り階段をのぼりおりする労力を差し引きすると、無問題なのだ。せっかくの休みだから、動きたくないのだ。だからおれは、デリバリーサービスを利

雑文(10)「クローズ・ユア・アイズ」

 目覚めると私は、まず目に入ったのが、真っ白な天井だった。  頭を左に傾けると、窓際の白いカーテンがさわさわ揺れていて、視線をさらに下げれば、黒い背広姿の男性が、おやっという表情を私に向け、そこに立っていた。  ベッドに横たわる私は上体を起こそうと腹に力を加えたが、男は慌てて、というか慌てる素振りを見せずに冷静に、「重力に逆らわずに寝ていた方が身体に負担がない」と、穏やかな声を響かせ、中途半端に起きかけた私の動作を制止した。  腹に込めた力を抜き、私はまたベッドに沈んだ。  

雑文(09)「びよういん」

「長さはどのくらいにしますか?」  指名した女性美容師がそうたずねたから、おれは、「毛先を整えるだけで」と、女性美容師に言った。 「かしこまりました」と、女性美容師は畏って言った。  女性美容師は、カットし出した。チョキチョキと、ハサミを、いや、ザクザクとか、鏡に映るおれの毛を見ながら、毛先を整えていく。 「動かないでください」と、笑いながら女性美容師は言うから、おれは動くまいと我慢し、動かない。  女性美容師が位置を移動するたびに気になるのだ。気になるな、気になるな、って、

雑文(08)「たんぽぽの綿帽子」

 たんぽぽの綿帽子だろう。  河川敷きで、たんぽぽの綿帽子をたくさん見かける季節だから、穏やかな春の風に乗って、綿毛は遠くへ遠くへたんぽぽの種を運んで、不時着したそこでたんぽぽは芽吹くだろう。  自転車のペダルを漕ぐと、たんぽぽの綿帽子が麗らかに、わたしに向かって来て、それがたんぽぽの綿帽子だろう、と、気づくとわたしは、ほっこりした。  ハンドルを右に切って、ト字路を右に曲がると、なだらかな上り坂だったから、サドルから腰を浮かせ、わたしは立ち漕ぎの恰好で、ペダルを漕いだ。  

雑文(07)「わたしは本です」

 本棚の内側に立って、わたしは手に取られるのを待っていた。  お隣さんは、いつからそこに立っているのか、髪の毛はほこりを被って、顔の色は日に黄ばんで、嗅いだら漂うその匂いは黴臭く、わたしよりだいぶ古くなって、そこにいた。  わたしと同じく誰かの手に取ってもらい、パラパラ数ページを試し読んでもらい、好まれてレジに持ってもらうのを、ずっと、わたしより長く、そこで待って来たんだろう。  わたしの前任者はたぶん、誰かの好みに合って、買われたんだろう。あるいは、古くなりすぎて、誰にも買

雑文(06)「プールから上がれない」

「足攣ったらお終いだな」と、足攣ったらお終いそうな表情を伊藤舞花(いとうまいか)に向けて、高部瑞希(たかべみずき)は言った。 「三人共泳ぐのが得意でよかったよ」と、三人共泳ぐのが得意でよかったそうな表情を高部瑞希に向けて、伊藤舞花は言った。  二人の会話に交じらず鈴木真由(すずきまゆ)は会話の始まりから終わりまでずっと上を向いて、二人の会話に興味がない、とは言わずに、二人の会話に興味がなさそうに、鈴木真由は思うのだ。  プールから上がれないのに、わたしはどうしてプールに入った

雑文(05)「ゴールデンウォーク」

 ゴールデンウィークだから、ゴールデンレトリバーのゴールデンは、旅に出た。  ゴールデンレトリバーだから、ゴールデンって名前は安直すぎないかって、ゴールデン自身そう思うんだけど、ペットショップの何度も値下げ、安っぽいチラシ裏紙モロバレの値札が赤いごく太マーキーで何度も修正された、人だけがいい店長さん曰く売れ残りエリアに好奇心か気まぐれか知らないけれど、ひさしくんがとことこ前にやって来て、ガラス越しに目が合って、人だけがいい店長さんから、「最後のチャンスだぞっ」って、念を押され

雑文(04)「禁文令」

 文章の価値を高める、文章を禁じるのがほんとうに最良なんでしょうか、僕はたまに、ふとした瞬間に、たとえば、僕はまあ思うんです。  近ごろでは禁声令っていうんでしょう、発声までなぜか禁じちゃって、いったいなにをしたいのか、誰か教えてほしいんだけど、僕にはわかりません。  文章を禁じて文章は売れたんでしょうか。僕は正直ぜんぜん売れていないと、まあ思うわけです。お国の偉い方たちが、だから庶民の僕があーだこーだ言うのはおかしいのだけれど、言っちゃうとですね、禁文令はあかんと思う、あく

雑文(03)「中学生の宇宙」

 小学生の時から宇宙に興味があったので、宇宙学が学べる本学に入学しました、と、さわやかに笑って、ことし受験して合格した、生徒代表が取材記者の男に笑窪を作って、輝かしい未来の自分像を語って、彼の将来性ある姿はマスメディアで大々的に放映され、お茶の間で視聴した団塊世代の引退世代を乾いた拍手と共に感嘆させた。  全国初の全寮制公立中高一貫男子校は、宇宙学に精通した、優秀な宇宙飛行士、あるいは宇宙機関の職員を育成する目的に巨額の資金を投じて開校した。  がしかし、26年度の春より本学

雑文(02)「兄貴は姉貴で、姉貴は兄貴」

「薄々だけどさ、気付いていたよ」  実弟が、実兄にそう言って、実兄は、驚いた容子で、「驚かないのか」と、実弟の冷ややかな態度に驚いた。 「有名私立大学卒で、スポーツ万能でルックスもいい。なのに四十すぎても今まで誰とも付き合ったことがないなんて弟目線の甘々で見ても有り得ないだろ?」 「そういうもんかな?」 「そういうところだよ」  実兄は、実弟をぼんやり眺める。 「それはね、僕からしたら、友だちに自慢できるいい兄さんだけどさ、兄さんがそれでいいなら僕は全然構わないんだけどさ、兄