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フランスはドイツ救済を拒絶した ゴールド110

1930年は嵐の前の静けさのようだった。

しかし、アメリカでは約2,300の銀行が倒産した。イギリスでは相当量の金が流出していた。

クレディット・アンシュタルトの倒産

1931年5月11日、ウィーンの銀行クレディット・アンシュタルトが倒産した。このショッキングなニュースは、世界に衝撃を走らせた。

このニュースを導火線とし、先ずオーストリアの他の銀行で取り付け騒ぎが起こった。そして、オーストリア・シリングは外国為替市場で急落した。

オーストリア国立銀行は他国の中央銀行から外貨を借りようと必死になった。しかし、フランス銀行はこれを拒否した。一方、フランス銀行は外国の中央銀行にある預金を金に変え、5億3900万ドル相当の金を手にした。


パニックの連鎖

オーストリアで取り付け騒ぎが起こると、ハンガリー、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ポーランドでも同様に取り付け騒ぎが起こった。これらのパニックは連鎖し、そして最も深刻な影響をこうむったのはドイツだった。

ドイツは政府支出を削減するという政策を取ったことにより、失業が増加してしまった。そこで、ドイツは賠償金を支払う能力の限界に達したと宣言を出した。この宣言により、ライヒスマルク離れが本格化し危機はますます深刻になっていった。

※ライヒスマルクとは1923年にピークに達したハイパーインフレに対処するため1924年に導入されたドイツの通貨。1948年まで使用された。


ドイツの金本位制は機能しなくなった

合衆国フーヴァー大統領はドイツによる賠償金の支払いと、連合国による合衆国への戦債の支払いの両方を一年間猶予することを提案した。しかし、フランスはこの提案に激怒し、当初は話し合いに加わることなく拒否した。

フーヴァーの提案への話し合いが長引いたことで再びパニックに火がつき、ドイツの金と外貨の流出は加速した。そして、ドイツは外為取引に管理体制を導入し始め、1932年までにドイツの金本位制は事実上機能しなくなった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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