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子供のころに聞いた戦中戦後の話 第弐話

第弐話 ~ここは御国の何百里~ 昭和60年ごろ会社にて
オレが働きだしたころはバブル景気の前の円高不況下でした。
その時にもぐり込んだ会社にいまでも在籍してまして定年がちらちらしてますが70までは働いてねとの奥様からのお言葉どおり隠居ができない模様です
戻って昭和60年ごろは60歳定年そく年金受給で隠居の時代でした。

新入社員として配属された先に定年退職後にちょっとだけ嘱託で在籍してる
おっちゃんがおりました、このおっちゃんとにかくしゃべる、ずーっと話してる、つかまると仕事にならないので諸先輩方はおれをおっちゃん係に決めて逃げていきましたがそのおっちゃんから聞いた話です。

おっちゃんは徴兵されてすぐに満州へそこで終戦を迎えてやれやれのところにソ連軍が来てあっけなく捕まりシベリア送りとなりました、おっちゃんは捕虜となってしまったのです
満州からシベリアまで満員列車で3日ほど、ほぼ立ちっぱなしで薄いスープとパンを2回きつかったけど戦争が終わった高揚感とはじめてのシベリアになんだかウキウキしていたそうです、ほんとうに若いころはバカだったと何回も何回もでる言葉がこの時最初に出ました

汽車を降りてはじめてみた夏の終わりのシベリアはとても雄大で美しく静かなところでおっちゃん一目で気に入ったそうです、ほんとうに若いころはバカだった。
翌日からさっそく開墾作業、どくずなロシア人とそれ以上にどくずな日本人共産主義者に小突き回され殴られても仕事自体は兵隊よりもよっぽどマシできっつい作業も楽しかった、ほんとうに若いころはバカだった。季節はすぐに冬、さあこっからよいさくちゃん!
広いなんてもんじゃねー大地に雪化粧よ、真っ暗な中起きだして身支度してるとよ暗い大地がさーっと青くなってきたかとおもったら一瞬でオレンジ色に変わるのよ綺麗とかそんなもんじゃねえ、お天道様ってのはほんとにいるんだってことがわかったぜ
また夕焼けが綺麗のなんのシベリアのツンドラが燃えるように真っ赤に染まるのよ、ほんとによスケールが違うぜ、俺らは食い物も自分らで作るんだけど米なんか作れねえよ寒いからな、コーリャンよコーリャン知ってるか?不味かったねえ、でもよコーリャンは刈入れ前には真っ赤になるのな、真っ赤なコーリャン畑の向こうに落ちる夕陽はそりゃあ見事なもんだったぜ。

10月ころにはお日様を拝める時間が短くなってなひがな一日まっくらなんてのもしょっちゅうよそれからまた寒いのよ、日本の寒さとはわけが違う。マイナス30度なんざ当たり前よ
そんななかでも仕事してるだろスコップ握っててもわけわかんねえの露助の連中はありゃおかしいな、そんななかでも俺たちぶんなぐっては笑ってるんだもんさ。それでよションベンすっだろションベン、チンポの先っちょからピューって飛ぶはたから凍っちまうんだぜ地べたに落ちるころには完全に凍ってるのよ、ありゃあ不思議な感じだったぜ
あとよクソがちっとも臭くないのな、クソもひったはたから凍っちまうからな・・・・

これ秋冬バージョンです、冬春、春夏とバージョン違いで延々しゃっべてるのよ、ションベンとクソの話を、ひどいときは昼から終業時間まで、んでそこから通常業務ですよそのおっちゃんがいなくなる半年くらいはきつかった

おっちゃん、話の締めくくりにはいつも「死ぬまでにもう一回あの真っ赤な太陽が見てえんだよなあ」
どんな光景だったのかオレには想像もつかんけどおっちゃんはシベリヤへ行けたんだろうかねえ。

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