見出し画像

自分の尻は自分で拭け!

多分大学生か高校生の頃には思い始めてたと思う。
誰も結局は自分の人生の責任を負ってくれる、尻拭いしてくれる、好転させてくれるわけでもない。

高校までいじめられたり、ハブられたり、友達がいなかったり。周りに人がいなかったから学校という社会で、クラスや部活動という小さいコミュニティで生きていくには、自分でできることはしなくちゃいけないんだと思った。

悪口を言われないように移動教室はすぐ移動したり、物が盗まれないように置き勉は一切しなかった。休み時間は1人でいるって言われないように繰り返し同じ本を読んだり、机に突っ伏したり。

誰かが話しかけてくれるわけでもないし、助けてくれることも稀だった学生時代。

部活動では、全然できなくて1人泣いて過呼吸になっていても、「え?全然ついてけないよ?まじ(その状態で)大丈夫なん?」と同期に言われる。一緒にやろうとかじゃなくてあいつできなさすぎてやべえ、反面教師にしよ、くらいの空気感。

ああ、人って人に甘くないんだなとか、自分に合わせてくれる世界なんてほとんどないんだなと知った。

だから家族以外の人が、

人が助けてくれるなんて信じてなくて自分でできる精一杯のことをずっとやってた。おいていかれないようにおいていかれないように、高校は体を壊しながらフラフラになりながら必死に部活やっていた。

そこにしか自分の存在価値ないと思っていたし。

ただただ「普通」になりたくて、ハブられたりしない、いじめられたりしない、こいつやべえって思われない、普通の環境をどう作り出せばいいのか、必死になっていた。

誰かに認められたい、普通になりたい、自分が安心できる場所がほしい。

だから家からほいっと出た外の世界では、自分一人でどうにかやっていかないとといつも考えていた。誰かが助けてくれるなんてないんだから。

大学生になった。
楽しかった。
自分の思う「普通」が手に入った。奨学金という借金を負ってでも叶えたかった、欲しかった時間と環境だった。

でもやっぱり認められなくちゃここにいちゃいけないんだ、の精神が抜けていなくて普通に満足するわけがなくて、
あの人はこう、この子はこう、私はなにもできていない、人と比べるのがくせになった。

大学生になってはじめてアルバイトをはじめた。それが楽しかった。
自分のできないができるようになる、お金がもらえる、1人暇な時間がなくなる、
そして一番は自分を必要とされるという感覚だった。

ある程度仕事になれるまでは苦しいが、できるようになると必要とされるんだ!、自分の安心できる環境がやっと自分で作れた!と感じるようになった。

本当に大学生までは悲しい心をもっていたなと思う。

本当は人っているだけで無条件に許可とか一切なくいていいものだし、
必要とされるとかそんなんじゃなくて、ただただそんなことは関係ないんだなって今はわかる。

ただその影響でやっぱり自分のことは自分でしか尻拭いできないんだ感が強まることとなる。

努力しないから認められない、頑張ったら頑張った分だけ、
好かれることをしたからそれだけ好かれるんだ、みたいなね。


辛いね、悲しいね。


まあそんなこともありーの、大学生活は楽しかった。友達もできたし、恋もちょこちょこはした。

でも認められたい!みたいな思いは今も変わってないんだけど。


長々と来たけど、ここからが本題。
大学を卒業する手前、2月頃私はコロナに罹った。そこからlong-covidがはじまった。

まあいわゆう、世間様で言われるコロナ後遺症、。

はじめて体の調子がおかしいと思った。何かがおかしいと。
でも原因はよくわからない。
家族に相談してもまだlong-covidのことが浸透していないときだったから、
そんなものはない、考えすぎだ、おかしいとみんなに言われた。

はじめて外以外で味方がいない事態となった。だれもわかってくれない。

病院も渡り歩いた。doctor shoppingというやつだ(みんなはやっちゃだめだよ)。
バイトで稼いでいた10何万も医療費に消えた。

4月になればよくなるかと思えばそんなことはなかった。ますますひどくなるばかり。
泣いた、泣いた、泣きまくった。叫びまくった。

痩せていった、目の下のくまが濃くなっていった。

自分は今まで頑張る、誰かに認められたい、そんな気持ちだけで生きていてそれしか知らなかった。

ほいっ!社会人!て時にそれを達成していくには絶好の機会だった。のにそれが崩れ去った。

どうしよう、何にすがればいいのか、だれもわかってくれない。

仕事はやめた。
散々すごいことをハキハキと言われたけど、辞めるとなると早かった。

あー、社会ってこんなもんなんだなと思った。

とにかくどうにかしたい。
それである先生に出会った。家族誰にも相談せず、動けない身体の中、行った。

そこからはその人が指導してくださったことだけを頼りに必死に、まわりに何を言われても絶対に曲げなかった。

それくらい、その道しかなかった。

今振り返るとその判断は間違っていなかったし、その先生に出会えてよかったと思う。

こんな経験をしたから思うんだけど、こんな辛いことを経験できて良かったとも思った。

自分の選択によって、経験によって新しいことをしれた、知恵や経験を得れたとも思ったの、2年たった今。

そして、こんな経験を色々してやっぱり思うんだけど、人は他人の人生を肩代わりしてくれない、楽にしてくれない、尻拭いしてくれないのである。

これは厳しい言葉だけれど事実だ。
いじめはそりゃいじめるほうが悪い、いじめを受けている人が何かを努力するなんてしなくていい、辛かったたら逃げなさい。

誰かに認められないと生きていけない?それよりも自分を見つめ認めなさい。

ただ自分の選択には責任を持ちなさい。だれもその選択を決断してくれない。守ってくれない。

誰かと結婚しようが、専業主婦になろうが、誰と付き合っていようが、所詮は他人。目の前からいなくならない保証なんてない。未来永劫いてくれるなんて夢物語だ。

どんな大企業にいたって、どんなになにかがあってもだ。

自分のことは自分でできるようになりなさい。
誰かに食べさせてもらうんじゃあ、自分の視野が狭くなるよ、
誰かに頼って生きていたら肩身が狭くなるよ、
と母に繰り返し言われている言葉。

転職しない道もあるよ、無職もいいよ、フリーターもいいよ、フリーランスもいいよ、
とかいろんな記事もあったりするけど、その記事を書いている人たちはラフにいうけど、自分のことは自分で考えなさいね。あくまで参考程度に。

私、一応、どれも経験した。無職もした、フリーターもした、フリーランスもした、就職はまあ歴ほぼないんだけど。転職も今しておりまする。
憧れるならやってみな?もんもんする前にやってみな、自分のできる範囲で「自分の力で」「自分の選択で」

無理なときにはやらなくていい。ゆっくり休めばいい。当たり前に。私もそうだったから。
ただ私が言いたいのは誰かに責任転嫁しても意味がないよということ。

色んな経験してきたし、いろいろ言われたし、色々されてきた、救われたことより傷つけられた記憶のが多いかも。
私も逆に傷つけたこともあるだろうし。

でもそれ以上に人にもすごく感謝してる。自分自分自分自分いってるけど、こうさせてもらってるのも周りの人、環境のおかげだとも思ってるし、感謝の気持ちがすごく湧いてる。

そして、誰かを救いたいとか誰かのためになりたいとか、そういうことって大前提として自分が安定してしっかりしてないとあげるものもあげられないんだなと知った。自分の身をこなしにして何かをあげるとお互いが崩れてしまう。

だからこそ、自分というベースを作る、保つ事がすごく大事なんだと思う。
青二才が言うとりますけども、そう思うんです。

だから、自分の選択肢、自分の人生、失敗してもなんもなくても成功してもとりあえず自分でやってくしかないのです。歩んでいくしかないのです。

誰かのせいにしたって意味がないのです。

だから私は今日も自分の尻は自分で拭くよ、母ちゃん!

この記事が参加している募集

スキしてみて

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?