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「共感」や「同調」、「わかり合うこと」についての気づきを改めて

知っておきたい。
わかり合いたい。
親しくなりたい。

そのような理由から人は他者とコミュニケーションを図ります。

もちろん、私だって興味を持たれるのは大歓迎なのですが、私の興味関心は外より内なので、話したところで結局「へぇ……」と言われて会話が終了……。結果として「何を考えているか分からない人」と言う扱いになってしまうことはしばしばあります。

最近は全くテレビを見ないし、ネットニュースをチェックするのもたまたま目に飛び込んできたタイトル記事を見つけたときくらい。親きょうだいには「テレビくらい見なさい(←命令形です!)」と言われるほどです……(新聞は一応読んでいます)。

しかし、テレビやネットニュースの情報は、世の中で起きている出来事のほんの一部。その中でも衝撃的なものが大半ではないでしょうか。その場に居合わせた人と話すきっかけにはなるかもしれませんが、私はそれらには関心がもてないため、「井戸端会議的な会話」が苦手だったりします。かと言って、仲間はずれにされている意識もないのですが、周囲はそう思ってくれないことも。

私が小中高生のときは、クラスの中で一人になる子がいれば必ずどこかのグループに押し込められたものです(当時の私は必死にどこかのグループに潜り込む努力をしていました……)が、ひとりぼっち=かわいそう、みたいな思い込みというか、刷り込みってあるような気がします(本当はそんなことはないのですが、それが分かったのはずっと後の話)。

◇◇◇

私の場合、内側に自分の居場所を持っています。自己分析をして自分のことを深く知ってからは、よりしっかりとそこに立てていると感じてもいます。だから、むしろ一人の方が落ち着く&安心できるし、深い思考も出来る。また、自分の頭の中が多くの人と異なっているという自覚もあるため、最近では「わかり合えないのが当たり前」と割り切ることで一人時間を積極的に楽しんですらいます。

逆に、外の繋がりを持ちたい人(積極的に人と関わりたい人)は自分の居場所が「他者との中」にある。だから人と関わることで安心できるし、自分を保つこともできる。そしてもっと外へ……と行動していく。

このように、全く異なる性格を持っているのに、たまたま同じ地域、学校、会社に属していると言うだけで同じ行動(「一丸となる」「一致団結」といった行動)をとることが果たして可能なのでしょうか。疑問を感じます。どちらかに負担がかかるのは必至で、たいていの場合は声の小さい方(いわゆる内向的な人)が我慢をすることになります。

発言しないからといって何も考えていないわけじゃない。内側ではむしろ多くのことを考え、立派な意見を持っている。その中には文字や音楽や絵画など、言葉以外の方法で表現する人もいるということを知ってほしいですし、もし声の小さな人と話したい、仲良くしたいと思っているなら、まずは「相手のことを知る」ところからはじめ、少しずつ互いの距離を縮めることも考えてもらえればなぁ、と個人的には思っています(もちろん、声の小さい人が発言力のある人を知りたいときも同様です)。

◇◇◇

最後に、すべての人にお伝えしたいこと……。

それは、「他人を知る前にまず自分のことを知り、大事にすること」です。

最後まであなたと付き合うのは、家族でも友人でもなく、あなた自身。他者と共感したり気持ちを分かち合うのももちろん必要なことですが、あなた自身の気持ちにあなたが寄り添い、理解してあげることが何よりも大切。それが出来たとき、人は心から他者の気持ちに寄り添えるのだと、私は思っています。


……いろいろ、思うところを書き綴ってきましたが、いかがでしたでしょうか。また、気づきや考察したことがあれば記事にしていこうと思っています。「読んだよ!」のしるしに「スキ」をして頂けると嬉しいです🥰


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