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11年目のバレンタイン。

(*)見出し画像は、Image by gpointstudio on Freepik よりフリーダウンロードしたものです。



11年前の今日、2013年2月14日
ブルガダ症候群と診断され、新潟市民病院での手術で、私の左胸にICD(植え込み型除細動器)が植え込まれた日です。

ブルガダ症候群とは、1992年にスペインのブルガダ兄弟により発見され、比較的新しく報告された病気で、心臓そのものには病気がないにもかかわらず、突然、心室細動という危険な不整脈が起こります。心室細動になると、心臓が痙攣状態になり、体に血液を送ることができず、意識を失って倒れたり、最悪の場合には突然死に至ります。

術後、私の看護計画の担当に入っていなかったにも拘わらず、まめに私の病室へ様子を見に来てくださっていた看護士さんが

「神様からのバレンタインの贈り物なんですよ。だからバレンタインの日に、今日のことを思い出してくださいね」

と言ってくださったのです。
でも正直なところ、たまたまバレンタインの日に手術しただけのことだしなあ……と、気休めの言葉だと思っていたんです。そしたら

「真由子さんがナースステーションにいらっしゃって〝どうしても、これを彼に渡してほしい〟って、もう今にも溢れそうなくらい目に涙を溜めながらおっしゃるので。本当は禁止されていることなんですけれど」


看護士さんから手渡されたのは、チョコレートと手紙でした。

「チョコレートだけは退院されるまで、こちらでお預かりさせてもらいますね」

看護士さんはそう言って、なにやら他の看護士さんの様子を伺うようにして部屋を出て行かれました。
手紙を読もうとしたのですけれど、左胸をがんじがらめに包帯でグルグルに巻かれていたし、左手を使おうとすると胸に痛みがあったので手紙を開くことが出来ませんでした。

真由子からの手紙がどうしても読みたい。
その一心で、ナースコールを鳴らしました。すると先ほどの看護士さんがまたやって来られたので、手紙を開封してくれるようにお願いしました。

実は手術日の二週間ほど前、真由子とはケンカ別れをしたつもりでいました。
16歳も年が離れている上に心臓に障害がある男と人生を共にしていくなんて、あまりにも可愛そすぎると思いましたし、そんな年の離れたオジサンを恋愛対象として好きになるなんて、娘を持つ一人の親としても幻滅でしかないと思ったんです。だから私から身を引こうとして、ついケンカになってしまったんです。
「もう関わるな」と言って、そのまま音信不通の状態でいたんですけれど……


何が書かれているのか、恐る恐る二つに折りたたまれた手紙を開きました。


《おとさん。
どう考えたって、あなたと関わらないなんて私にはできないです。諦めようとも考えて、無理にも笑って、笑って、笑って……でも、笑ってみたその何倍も涙が出てきてしまいます。止めようと思っても止まらないです。
人はいつかは死にます。おとさんよりも私のほうが先にってこともあります。どちらにしても、生きているあいだはあなたと一緒にいたいです。諦めたくない。これからも隣で手をつないで歩いていきたいんです。
私のことをまだ好きでいてくれるなら、おとさんも諦めないでほしいです。未来を不安に思って、そのせいで私を拒まないで。
私、あなたが大好きですから。それが私の幸せですから。それがとっても本当の私らしいと思うから。》



涙が出ました。
何かに許されたかのような心の温かさを感じました。心に何重にも絡まっていた冷たくて重い鉄の鎖が壊れて解けていくようでした。


(でもまさか、そんな彼女がガンに侵されてしまうだなんて、そんな未来が待っていることなど真由子も私も知る由もありませんでした。それはまた別のお話)

今年は6月に彼女の七回忌を迎えます。
バレンタインの日になると、11年前の彼女の手紙のことを思い出します。
……まさか本当に、君が先にいなくなるなんて。
だから、君を想うために私は今も、あのとき君が病院に届けてくれたのと同じ銘柄のチョコレートを買っています。

2013~2021年の8年間、
私の心臓を守ってくれた最初のICD

この写真は、11年前に実際に私の左胸に植え込まれたICDと、交付されたICD手帳です。本来、交換した使用後のICDは医療廃棄物として処分しなければならないのですけれど、2021年に電池の寿命で交換手術をした際に、不要になった場合は必ず病院へ届け出るという条件付きでもらい受けました。
11年前のバレンタインの日にあった彼女への想いも宿っているように思えたからなんです。私の左胸に入っていたものなので。


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