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いまも心のなかで息づく、馳せる想い

今はもう、それは遠い過去のことだと思っていた。いつだったかの自分が良かれと思って選択した自分の答えが、今という未来を導き、自身を今に繋げてきた。そんな想いで、歳月を遡るように記憶を辿りながら指を折って数えてみた。遠いと思っていた過去の出来事もたかだか11年でしかないことに気づいて、自分の自伝的記憶の弱さに色を失うほどのショックを受けた。

なんてことだろう、忘れてはいけないことを忘れていたんだ。……記憶に蓋をして、黒い感情の部分だけ忘れたいと願っていたからなんだ。気持ち的にはもっと遠い過去の思い出として薄れてゆく懐かしさだけを残して、責めるべき自分の汚さに別の色を重ねて塗り消すかのように……彼女と20年振りに再会したその日、自分のせいで交通事故にあって亡くなって……そんな強い思い込みで自分を責めて。その日からまだ11年しか経っていないというのに。

だめだ、いやだ。もう自分を欺きたくない……蓋を開けなくちゃ。自分のアイデンティティに関わることだから、恐る恐る……そしたら、この11年間のギャップのせいなんだと思うのだけれど。
望まない未来と望んだ未来が早送りするように交差して、脳髄が痺れるほど記憶が揺らめいて、心を支えているはずの気持ちが大きくよろめいた。…《大切だった彼女への会えなかった20年分の、奥に閉じていた諦めと一途の想い》…私は姿を消した彼女を探し続けるべきだったのに、わずか数年で諦めて別の女性と結婚をした。私はあのとき彼女への強い想いを捨てて楽なほうに逃げたんだ、という事実に心が苦しくなる。でも、もうその苦しみからは逃げたくないと思った。だから、蓋をして隠してきた過去をちゃんと出して回顧しなきゃ。


2012年8月に彼女と再会するまでの20年間は、本当は自己欺瞞と乾いた孤独に支配されていたんだと思う。いや、そうなんだ。再会したとき、40歳になっていた彼女は私に言ってくれた…「この20年間、あなたのこと忘れたことないし、今も気持ちは変わってないよ」……あのときの夏と同じ顔をしていた。〝わたし、自信があるよ〟と言わんばかりの微笑みの混ざった表情……決して忘れることのない懐かしいその表情に、熱く込み上げてくるものがあったけど……


私は自分の常識を物差しにして、〝彼女は既に結婚をしていて幸せな家庭を築いている〟と思っていたから「20年振りに美樹に会えて嬉しい。でも、今のお互いの幸せな家庭のためにも俺たちはもう…会わないほうがいいよね。君が幸せでいてくれて俺は本当に嬉しい」と少し自分の気持ちに嘘をついたことを言ってしまった。

私はそのときはもう、4年間ずっと別居状態だった妻とは離婚が成立していたし、娘も東京の女子高へ進学していた。大切な一人娘にはこれ以上の不憫な思いはさせたくなかった。別れた妻にいくら娘を見捨てた過去があるにしても生みの母親であることには変わりないわけだし、娘には私との思い出だけに偏ることなく、母親との思い出も作ってほしいという願いもあって、今度は別れた妻から母親として生活の面倒をみてもらえるように段取りを取った。
なので私自身は〝今、幸せだ〟というよりも、娘と離れ離れになった淋しさがあったが故に、心の隙間を埋めるように〝幸せになりたい〟と思いながら男の一人暮らしをしていたに過ぎなかった。


彼女は〝諦めない〟という強い意志のある面持ちで目を潤ませながら帰って行った。その後ろ姿を見送ったのが、まさか彼女がこの世に存在する最後の姿になるとは思ってもいなかった。それから三日が経った日、彼女の6歳下の妹が職場に訪れて来た。妹の智奈美とは最後に会ったのが小学5年生だったとき以来の再会だった。最初は誰かと気づかなかったけれど、どことなく当時の面影はあったので「もしかして?」という直感はあった。

その妹が私と顔を合わせるなり「お姉ちゃんが……三日前に事故で亡くなりました!なんで!」と怒鳴って、私の頬を激しくビンタしてきた。そして狼狽えた私の胸に厚めの日記を強く押し付けてきて「お姉ちゃんの日記!最後のページ読んでよ!」と泣きながら叫んだ。妹の言うように渡された日記の最後のページを開いてみると、そこには……

〝今から彼に会いに行く。20年振りの彼はきっと大人びてはいるけど変わってないはず。だってわたしも変わってないもの。彼に会うために、わたしはずっと一人で生きてきたんだもの。彼が離婚したということを父から聞かされた。今しかないぞって。父は彼がバツイチになったとしても、わたしとの結婚を今もずっと望んでくれてる。わたしって恵まれてるね。すごく嬉しい。この20年は秘密裏だったけど、やっとわたし達もう一度、今度こそ一緒になれるって信じてるよ。それじゃあ出かけよう!〟


あ゛あああああーっ…こんなのイヤだあーっ!


馬鹿だ!馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ!!
どうしようもなく大バカだっ!!!!
幻滅だっ、自分なんて…私は本当に大バカものだ!!
言えばよかった。彼女に対する本当の気持ち。
今もとっても大好きだって。まだたったの三日なんだから……戻ってよ……三日前に戻れよっ!仕事を早退してでも彼女と一緒にいるべきだったんだ。
素直に「一緒にいたい」って言えば良かったんだ……こんな、こんなハズじゃなかったのに。こんなの望んでないのに

職場が入っているビル1階の広いエントランスで、私は子供みたく当たり散らすように大声を出して大泣きした。後悔が先に立ってくれればいいのに。恥ずかしさなんて感じないほどの強い後悔と罪悪感に押しつぶされながら。


1988年7月下旬。
彼女が高校二年の夏休みに、川崎市麻生区の小田急線百合ケ丘駅南口の高台にある私のアパートへ泊まりがけで遊びに来た。親公認で初めてのお泊まりだった。そのとき彼女が楽しそうに言ったことを思い出す。「わたし来年は受験生でしょ?だから今度、冬休みに帰省したらさ、日帰りでもいいから一緒に瀬波温泉行こうよ♫冬のデートってまだしたことないけど、でもわたしきっと好き」

〝わたし、自信があるよ〟と言ってるような無邪気な顔をしていた。私の人生、一度目の本気の大恋愛が始まった日だった。個人家庭教師で小学6年だった彼女に初めて会ってから5年目の夏。口の達者な小生意気な女の子だったけど。そんな出会いかたをした彼女とまさか大恋愛をすることになるなんて、あのときは絶対に想像することもなかったのに。

#忘れられない恋物語

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