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《三日月》

この記事は、書く習慣アプリのテーマ《三日月》
で投稿した内容を、実話に基づいて修正及び加筆
したものです。

〝三日月に手をのばした 君に届けこの想い〟

ふとそんなフレーズがよみがえった。
泣き出しそうになる絢香の三日月という曲……

もう18年も前になるんだなあ、と思う。
2006年の秋に見た三日月がすごく印象に残っている。その曲を聴きながら見上げたせいだろうか。

さらに遠い昔の……1992年。
結婚を約束していた6歳年下の彼女が、私の母校・玉川学園大学にある女子短期大学を卒業すると同時に、まるで神隠しにでもあったように理由も告げずに居なくなった。

その二年後、1994年2月12日。
東京都心では1969年以来25年振りの大雪のためにすべての交通手段において交通マヒを起こした。
そんな日に、東京青山にあるホテルの式場で私は魂が抜けたまま……本心を隠してほかの女性と結婚式を挙げたわけだけれど、やはりそんな結婚生活は上手くはいかなかった。長くは続かなかった。
そのときのブライダル司会者の言葉が虚しく記憶に残っている……〝たくさんの人たちの脚を止めるほどのホワイトスノーの祝福あって、これからのお二人にはどんな大きな障害も乗り越えていけることでしょう〟

だけど、私の高校時代からの親友の云うことには、
「元からそんな心のない結婚、運命の神様だって妨害してやろーって大雪を降らせたに決まってんだろーが」
……らしい(笑)


本心を隠して、どこか自分を押し殺すような生き方をしていた。自分は虚ろだと思い込みながら、この世界に心から喜んで参加してはいなかった気がする。そうやって3年の夫婦生活が過ぎていった。
ようやくして、そんな私にも愛しくて抱きしめたくなるほどの、守ってあげたいと強く思う娘ができた。
その愛娘が小学3年生のときに一緒に見た三日月。

あいにく空は快晴ではなかったけれど、ゆっくりと流れる雲の合間から儚げに細く光る三日月が覗いた。
娘がどうしても欲しいといって、TSUTAYAで予約していた絢香のシングルCD《三日月》その買ってきたばかりのCDの封を切って、娘が愛用しているポータブルのCD Walkmanに入れてスイッチを押した。

近くの大きな公園で、娘と一緒に
絢香の《三日月》を聴きながら、
空に浮かぶ儚げな三日月を見上げた。


隣に座って、両脚を振り子のように交互に揺らしながら、《三日月》を聴いて空を見上げている娘。
ちょっぴりオトナ振ったそんなシチュエーションを心から楽しんでいるようだった。

そんな嬉しそうにしている娘の顔を見ていて思った。
今の幸せがあれば、それで十分なんじゃないか?
もう、ないものねだりみたいに過去の人を未練がましく想い続けるのは止めたほうがいいのだろうな……
そうやって、理由も知らされないまま姿を消した彼女に対するまるで亡霊のような思慕の想いを、心の奥深くにしまいこんで硬く蓋をした。2006年9月27日のことだった。
それがまさかその6年後の2012年に、20年振りの再会を果たすことで硬く閉じていた蓋を開けることになるなんて……それはまた別のお話なのだけれど。


そして歳月は流れて今にいたる。

思い出に残る絢香の曲《三日月》を聴いていると、今でもふと想う。
会えない時間がどれだけ長くても、そのあいだに重ねてゆく愛は必ずあるんだと。たとえば、会えない寂しさで流す涙さえも愛のカタチなんだと自分に言い聞かせて、そんな強がりを見せる愛の弱さを大切なもののように優しく抱きしめる。
そうやって、愛というものはまるで月の満ち欠けにも似ているものだなと、私は愛すること自体よりも、そんな愛をカタチとして愛でている節があるのやもしれないな……と。

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