私はしなやかに生きているだろうか?他人の心に寄りそう強さがあるだろうか?
◆マガジン "Sha-Gaku手帖" の記事です。
私のこれまでに撮ってきた写真たちをメインテーマにした記事・写楽Sha-Gaku。色と光と影を私の好みで捉えたものたち。写すことを楽しむ私の手帖です。
私はしなやかに生きているだろうか?他人の心に寄りそう強さがあるだろうか?
1999年当時、InfoWeb(インフォウェブ)のホームページサービスであるMySweetHomepageを利用して、私はそんな言葉を発信していました。
意外に《生き方》の一つの姿として、共感してもらえていたようで、少なくとも30人くらいのユーザーさんたちからTrackBackをいただいたりしていました。
あと、当時のBenesseさんからこの言葉を引用してもらえたりもして、子育て真っ只中の世代の方々からコメントやメッセージをいただいたり、なにやら自分のオリジナルの言葉が、どんどんとネット上でひとり歩きをはじめまして……良いのやら悪いのやら?
今ではさすがにデジタルタトゥーのようにネット上に存在してはいませんですけれど、2009年くらいまではネット上に確認することが出来ていました(笑)
10年くらい前(記憶としては2014年の夏ごろ)にInstagramという写真専用のSNSがあることを初めて知ってアカウントを作りました。
ちょうどその年、きちんと恋人として付き合うようになった真由子と二人で沖縄へ4泊5日の旅行をしたので、そのときの写真をPOSTしたりもしました。
そのときにキャプションの中で《私はしなやかに生きているだろうか?他人の心に寄りそう強さがあるだろうか?》と久しぶりに自身の言葉を書いたのです。
そしたらフォロワーさんの中にお一人だけ、その言葉に反応した方がいらっしゃいました。
「もしかして、昔インフォウェブのホームページとかシーサーブログとかで子育ちとか親育ちという言葉を使って育児系の情報を発信されていたDENTOさんだったりして?」と。……意外なところで見つかってしまったわけなのです(笑)
Instagramの初期の頃、3年間続いたんです。続けることが出来たんです。フォロワーさんもやっとと言うか、ようやく6000人を超えた頃でした。
……僻み?妬み?嫉み?
私はインスタでも、自分は油彩画家であって、それでご飯を食べさせてもらっているので、写真はあくまで趣味の範囲なのです…と伝えていました。
にもかかわらず、私のPOSTしている写真のことで凄く敵対心というか、むしろ上から目線で見下すような物言いをされてきたり、同じ男性で私より年上であることは間違いなくて〝若造のクセに!〟という反応をされていたんです。
その割に、ほかの若めの女性のフォロワーさんに対してはベタ褒めしたり、如何にも理解力・共感力があるかのような言葉を並べ立てたりして、誰が見てもいわゆる〝いいカッコしい〟のオジサンでした。
私はその人のアカウントをブロックしたんですけれど、ブロックするたびに捨て垢を作っては嫌がらせをしてきました。6000人の目が見ているんですよ?
しかも私は特定の美術商のサロンやギャラリーを通して売買契約によって活動している画家です。今は活動を休止していますけれどね。その当時は名誉を傷つけられました。
懇意にしているディーラーさんからインスタは止めるか非公開でやるように勧められたんです。
それで、最後にPOSTしたのがこの写真でした。
ちなみに横(3×4)構図はこんな感じ。
その後ギャラリーはすぐに非公開にしましたし、その数ヵ月後にはアカウントを停止状態にしました。
地元の知り合いの喫茶店オーナーが「残念だったな」と労ってくれて、縦構図の写真に関しては喫茶店内に四六判半裁サイズの大きさのパネルでしばらく飾ってくれました。
私は今でも、そのインスタで出会った嫌らしい年上のオジサンを反面教師として、自分は同性の若い方々の為人とか感性や作品を見下したり、そもそもそういう他者を下卑るような心根だけは絶対に持たないと強く思っているのです。
だから改めて思うわけです。
《私はしなやかに生きているだろうか?他人の心に寄りそう強さがあるだろうか?》 …と。
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