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愛だの恋だのって、やかましいよ。


noteの記事でこのことについて触れるのは
もしかしたら初めてかもしれない。

と言っても、
この話に触れたくなかったわけでもないし
書かずにいようと思っていたわけでもなくて。
ただ、書けることが思い浮かばなかった、
と言うと少し違うのだけど、
言葉にするならそれが近い。

書くとなると、難しかった。
書けること書けないこともあったり、
書けることでさえも、正直自分でも
よく分からなかったりした。

昔の話すぎて思い出せないこともあれば
そんなに昔でないことなのに
何故かあんまり思い出せないことすらあった。

そんな曖昧な感情や過去の遺物の
何を書いていいか分からなかった。

だから、うまく何かを書けるかは
正直分からないのだけど。笑







わたしは若くして結婚した。

過去形だ。
だって離婚したから。

10代から丸3年間付き合い結婚し、
丸14年間の結婚生活を過ごし、
離婚した。

合わせて丸17年を一緒に過ごした。

子供はいない。


子供がいたら
離婚していなかっただろうか。
そんなことはいないんだからわからない。

こういった経緯があるゆえ、
結婚や離婚、恋愛観などを簡単には書けない。
起きた出来事も思うことも多すぎるからだ。

結婚も離婚もその後の恋愛も、
色んなことを経験しすぎて、
簡単には書けなくなった。
というか、わからなくなったのだ。

愛だの恋だのの、

あらゆることが。


だから今日はひとつだけ
テーマをピックアップした上で
思うことを書いてみる。

タイトルの通りだ。

「愛だの恋だの」

丸17年という長い年月、
離婚した時の年齢からすると
人生の約半分を過ごした。

それでも、離婚をすることはあるのだ。

いや、丸30年40年をを過ごしても
離婚をすることはあるだろう。

夫婦なんて元は赤の他人だし、
そんなもんなのだろうと思う。


そんなわたしは、
離婚した時、信じなくなった。
信じられなくなった。

いや、信じるとか信じないでは
ないのかもしれない。

とにかく
なんだかよく分からなくなった。


愛だの恋だの、が。

いや、誓ったはずの
永遠の愛とやらを、か。

17年もの間共に過ごした相手さえも
分からないのだから
もう誰のことも分からないのだ、と。


離婚する数年前くらいから、
離婚した後も、
わたしは分からないことだらけだった。

相手のことだけではない、
自分自身のことさえも分からなかった。

でももう、別によかったのだ。

だって、離婚したら赤の他人で、
2人の時間はそれ以上進むことはない。
時間が止まったままの、
壊れた時計になったのだから。

結婚していても
他人であることには違いないけれど
完全な他人とは少し違うわけで。

でも離婚して完全な他人になるって
その少し違う何か、
つまり長い年月を共に過ごし、
その時間の中で、紡ぎ、編んできた糸を

チョキン


と切ってしまうのだ。

いや、ブチっと引きちぎってしまうのだ。


それは不思議な現象と言えた。


恋愛していて別れるのとは全然違う。

もちろん法的な手続きが沢山あることなども
違うのだけれど、それだけではなくて。

喩えようのないものだった。


自分の半身を切り落とすような。

かなり大袈裟に言えば
そんな感覚なのかもしれない。

当たり前にあったものが
突然なくなったような、そんな感覚。

まあ、ここでは片腕がちぎれたような
とでも表現しておこう。


だからと言って、
その後何があるわけでもない。
むしろ何もない。

片腕がちぎれた翌日からも
ただの日常が続くのだ。

実際に腕がちぎれたわけではないから
生きていく上で何か不便があるとかでもない。

けれど、やっぱり何か足りない気が
していたのだろうと思う。


それでも

毎日、毎日、何事もなかったように
時間は流れていく。


自分の時間だけが止まっているようだったし、
それはそれは不思議な感覚だった。

自分の過去17年が、
あったような、なかったような、
分からない感覚になるのだから。

それなのに、
毎日当たり前に明日が来るのだから。


少なくともその時のわたしは、
離婚した、というそのことについて、
ものすごく辛くてしんどくて泣いて泣いて
というわけではなかった

はずだ。

正直あまり鮮明に思い出せない。

と言うのも、
同時期に自分の母親と姉とも色々あり縁を切り、
当時の親友のひとりとも色々あり縁を切り、
そして、わたしは実家を出たのだ。

その話は今日の話と関係がないので触れない。

とにかくその当時のわたしは
自分の人生の大部分を失ったような
自分の人生がもうここで終わってくれないかと
そんな気分になっていた。

そんな心身の状態でわたしは、
ひとりぼっちで実家を出て
ひとり暮らしを始めることを決めた。

ただ、そんな状態だったせいか、
正直あまりその時のことや
その時の自分の状態や感情を
思い出せないでいる。

そういえば離婚後すぐ、
何故か突然肌がボロボロになった
ということは覚えている。笑

皮膚科に通い、効果はあったかなかったか
覚えていないけれど、確か2ヶ月ほどかかって
肌は元へ戻っていったように思う。

離婚後1ヶ月半くらいだったか、
ひとり暮らしの計画を立て家を探し、
離婚からちょうど3ヶ月後には引っ越しをした。


そうしてわたしの
ひとりぼっちの暮らしが始まった。

離婚して家族や親友と縁を切り
始めたひとり暮らし生活。



そりゃあ愛だの恋だのなんて
一体なんなんだ、もはやどうでもいいわ、
と思うわけだ。笑

あの時のわたし、よく頑張ったと心から思う。

離婚した後、恋愛のようなものを
いくつかしてみるも、正直
愛だの恋だのなんなんだよどうでもいいわ
と心の中では思ったままだった。

人を好きになるってなんだっけ、
どんな感情なんだったっけ、
ずっと心の奥底でそう思っていた。

誰かを好きなふりをしても、
心の底に氷のように冷たい何かが
敷き詰められているような
雪女にでもなったような感覚があった。

自分のため息が、まるで冷たい吹雪のようだった。

それでも、顔では笑ってた。

もう本気で人を好きになることなんて
わたしには無理だ、と思いながら。

友人の前でも、顔は笑ってた。
心配かけたくなくて。

何人と何回デートしようと
誰かと付き合おうと、
身体の関係を持とうと、
そう思ったままだったし、

愛だの恋だのというものを
大切なものだとは、もう思えなかった。


愛だの恋だのをしようと
思わなくなったし思えなくなっていた。

だから、やめた。
思えないことをしようとすることを。

愛だの恋だのなんだよ
って、そう思いながらでも
同じ時間を過ごせる相手がもしも現れたら、
愛だの恋だの考えずに過ごしてみるのもいい、
今までと何か違っても、
一緒にいて心がしんどくない相手なら
一緒に過ごしてみるのもいい、

そう思うようにした。


それからしばらくしてから出会った相手と、
今はもう数年ほどお付き合いが続いている。

そんなもんなんだろう。


周りからは時々、
再婚はしないのか、
などと言われることもあるけれど、
丸17年過ごした相手と離婚したのだ。
結婚という法律上の関係に何の執着もないし
何がなんでも再婚したい、
籍を入れて法律上の夫婦になりたい、
と思う理由がわたしにはまだない。
どちらかといえばバツ2には
なりたくない、と言う気持ちの方が強い。笑

一般的には、アラフォーにもなれば
再婚できるならすぐにでも、と
望むことのほうが自然なのかもしれないが
わたしはそういうタイプではないようだ。

したいと思えばするだろう。
したくないと思えばしないだろう。
自分の中の、タイミングでしかない。

誰の指図も受けるつもりはないし、
親不孝者かもしれないけれど、
年老いた両親を安心させる為だけに
籍を入れようとも、今はあまり思っていない。


だって、自分の人生だから。


それ以上でも、それ以下でもない。

ただそれだけだ。



愛だの恋だのって、やかましいよ。

こちとら、毎日息して
自分のこと愛すだけでも必死なんだわ。


なんてね。






余談:

書いている途中、
これをいつも通りの記事として出すか
有料記事として出して、
あえて読んでくれる方を限定しようか…
とかなり迷っていた。

というのもプライベートな内容であることと
自分1人だけの経験ではなく、
相手があることだからだ。
しかし、具体的なことを書かないこと
という決め事を自分の中でして、
いつも通りの記事として書くことにした。

今後も結婚と離婚に関しては
具体的な内容は書かないつもりだ。
けれど、ひとつの大きな経験として、
結婚や離婚を通して、自分の感じたことなどを
書くことはしたいと思う。

離婚後の恋愛や恋愛とも言えないこと、
数年お付き合いしているお相手とのことは
何か書きたいと思ったり、
良いテーマだなと思えることがあれば
書いていきたいと思う。
が、愛だの恋だの、やかましいわ
と言うくらいのわたしだ、
愛だの恋だのに関する話を書くのは
あまり得意ではないかもしれない。笑




それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。





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