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「それを学校に言われても・・・」これをどうにかしたい

今年度からぼくは、小学校のPTAの共同代表に就任する予定になっています。(近日の電子発信による書面決議で決まる運びです)

以前からも、この毎朝noteでも、PTA活動の重要性や、子育てでの目線、また地域づくりについて、度々発信してきました。

PTA活動の執行部には、これまで中学校や高校でも関わってきましたが、長となるのは今回が初めてです。

とっても大きな挑戦で、
そもそも、『社会的な考え方』の問題なので、大きな壁なのですが、
このことをどうにかしたいと思っています。


タイトル的に、ドカンと言うと、

学校への各種クレームや要望が現実的に多々あります・・・

それは『学校に言うべきことでは無いですよね?』

これをどうにかしたいと思っています。


モンスターペアレンツなどが社会の風刺として以前から話題になっていて、その存在も、各地で現実的に認知されていることと思います。


言うまでもなく、
PTAというのは、
ペアレンツ達と、ティーチャー達による、タッグを組んだ仲間です。

共感し、同じ目的なのは、
子ども達の健やかな育みについてです。

この大きな共通項に向かって、ともに携わっていく組織です。


一方で、それぞれにはテリトリーもあります。

もちろん、先生たちには『学校教育』の分野です。
もちろん、保護者たちは『家庭教育』の分野です。

ともに、PTA組織として、家庭と学校が歩み寄り、また地域の皆さまたちと連携のうえ『地域教育』が成り立っていきます。


ぼくがいつも思うのは、この3つの教育の柱を、それぞれがきちんと役割を果たしていくことと、それぞれがしっかり連携して実現していけることが重要だと思っています。


学校教育は、親にはできません。
だからこそ、PTAを介して意見交換ができます。

家庭教育は、先生たちにはできません。
だからこそ、PTAを介して意見交換ができます。


例えば、学校の先生に対して、ウチの子の箸の持ち方が悪いんでどうにかしてくださいとか、
ウチの子が朝起きないんで学校で指導してくださいとか、
言えませんよね?
大袈裟に言うとそんなもんです。


こんな事例があります。

地域の会合で、「あそこの交差点で小学生がよく自転車で飛び出します。学校ではどんな指導をされているんですか?」こんな意見をした人がいました。
出席していた学校関係者は「注意喚起しておきます。しかしながら以前ほど、交通安全に関する授業時間が確保できていないのもたしかで・・・」などと答弁されています。

すかさずぼくは、おやじの会の会長として発言しました。
「それは学校教育に関する問題では無いです。放課後、子ども達の自転車の乗り方なんて、まさに家庭教育の範疇だから、ぼくたち保護者たちが、他の保護者達へ注意喚起しておきます」
そう言いました。


こんな事例も聞きました。

放課後、ある男の子が友達の家に遊びに行っていたそうです。その家のお母さんが帰ってきて、その様子を見て、学校に通報したそうです。
「こんなことさせないでください。学校で指導してください」学校に言われたそうです。
学校としてはその保護者へ連絡をとるなど仲介しました。

いやいや、放課後の子どもがどの家に遊びに行って、どんな迷惑をかけるかなんて、学校からすると全く関与のない話です。


我が子に関しても、こんな事例がありました。

放課後、公園で男女のグループで遊んでいて、年頃の悪ガキたちですから、女の子たちをちょっと言葉でからかいました。よくある痴話ゲンカのような感じです。
言われた女の子は家に帰ってお父さんに告げます。起こったお父さんは学校に連絡して「学校ではそんなことを教えよんか。学校が指導すべきじゃないんか」
我が家にも連絡があり、先方の家にぼくが謝りに行くと言いました。校長先生や担任の先生、学年主任の先生、何人もが夜遅くまで一緒にその家に謝りにいく事態となりました。

その一員だったウチの子も悪いのは百も承知ですが、ぼくが何度も言ったのは、「学校は関係ないでしょ。家庭どうしの問題です」

学校の先生からすると、放課後、公園で遊んでいての発言なんて「知るか」という話だと思いますよ。


また逆にこんなこともありました。

ちょっとした拍子に、ウチの子の物が壊されたとか、またその逆もあったりとか、子どもどうしならしょっちゅうです。
また、じゃれあってケガさせたとか、当然あります。

学校としては冷や汗ものです。
モンスターが暴れ出す可能性があるからです。

ぼくは言います。
「いやいや、それは授業中とか、先生が関与してるわけじゃないんでしょ。それは子どもどうし、家庭どうしの問題ですから、ウチとその家とで話をしておきますよ」

おかげ様で、家庭どうしの知り合いは多いです。親どうし連絡をとりあって、大袈裟にならずに終わります。
お互い、ごめんねって、また仲良くやろうねって。
また、親どうし、今後も何かあるでしょうから連携しあいましょうねって話します。

こういうのがあるべき姿だと思うんです。



極めつけは、こんな話がありました。

子どもから聞いた話です。

あの公園は、ボール使ったらダメなんよ!先生が言ってた。近所の人やろうけど、放課後、子ども達が公園でボール遊びをしてるからやめさせろって。

教室で先生から子ども達に、そのような指導が入ります。
ぼくはそんなことを子どもと話していたから、たまたま知り得ました。

いやいや、
そんなこと、学校だけで子どもに言うことじゃないでしょ。
放課後の遊び方なんて、先生ではなく、親が監視し、責任を持つべきことです。

親に伝えて、親から子どもに伝えなければなりません。

こういうために、PTAの必要性も必然性もあると思うんです。

PTAは地域とも繋がっています。
地域からこういう声も届くかもしれません。



ぼくが思っているのは、
校門を一歩出れば、それは家庭単位の問題です。
学校は放課後のチャイムが鳴ったら責任を負えません。

だからこそ、
保護者どうしで連帯する組織が必要だと思います。

だからこそ、
先生たちと保護者とで橋渡しする組織が必要だと思います。

だからこそ、
地域と保護者と先生とが連携し合う組織が必要だと思います。


しかしながら、現在では、
帳簿だけでも全員が参加していたPTA組織とは違います。

(とても腹ただしいことに)
コロナ禍で保護者は学校にさえ入れないときに、北九州市ではPTAは任意加入に舵を切られました。
PTAは、いまや、入っても、入らなくても良い組織になっています。

ウチの学校では約6割になってしまいました。
とっても衝撃なことは、1年生の加入率が各段に悪いことです。
(逆に、上級生が高いのは嬉しいです)


こんな実情を前に、
一周まわってこの話題を考えたときに、
全家庭が網羅できていない組織に、決定権も相談の受け皿も何もありません。

100人居て、60人しかいない組織なら、40人のうちのだれかの問題があったときに、何の機能もありません。

ということは、
学校が、
100人の、
それぞれからのニーズ・要望・クレームに、
ひとつずつ応えていくしかないんですよ。
まるでサービス業のように。


学校が疲弊していくはずです。
先生の成り手がいなくなるはずです。

社会が、
ぼくたち保護者が、
そんな時代をつくっていってしまってるんです。


このまちで子どもを育てていって良かった。

誰しもがそう思えるように、
子どもたちの育みという、大きな共通項を真ん中に置いて
一緒に子育てしていけたらと思います。


今日もご覧いただきありがとうございます。
貴重な時間のなか、この記事をご覧くださってありがとうございます。



冒頭のイラストは、茜町春彦|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。



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