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2022 博物館巡り(トリノ)

  (筆者がトリノのエジプト博物館へ行ったのは2022年9月ですが、このブログを公表したのは2024年1月です。 私はいつもブログを書き上げるのに時間がかかるのです。写真は2022年9月に撮ったものです。)

 トリノのエジプト考古学博物館


 北イタリアの都市、トリノにはこちらではよく知られたエジプト考古学博物館があります。

 イタリアでどうしてエジプト考古学博物館なのかと不思議に思われるかもしれませんね。 私もそう思ってちょっと調べてみました。 

 博物館のパンプレットには 1824年創設とあります。 1824年と言えば日本では江戸時代の後期ですね。 




 その頃、イタリアは現在のように統一されておらず、いくつもの国に分裂していました。その中でトリノはサヴォイア公国の首都でした。

 それより少し前のヨーロッパの様子を見ると、1789年にフランス革命が起こり、ナポレオン・ボナパルトがフランス軍の司令官としてイタリアに遠征(1796-1798年)、凱旋し、その上さらにエジプトにも遠征(1798年)しています。 

 その際にフランス軍の兵士がエジプトのアレクサンドリアでロゼッタストーンを見つけた(1799年)ことは有名です。 ロゼッタストーンには古代エジプトの象形文字ヒエログリフ、デモテック、ギリシャ文字で同じ内容の文が書かれていて、 1822年にジーンフランソワ・シャンポリオンが解読に成功したのでした。

 

 トリノのエジプト博物館の基礎になったのは、トリノに程近い所に生まれたベルナルディーノ・ドロベッティという人物だそうです。

 ナポレオンのエジプト遠征の際に、フランスの外交官としてエジプトへ行ったドロベッティが現地で収集した発掘品をサヴォイア公国の王、カルロ・フェリーチェに売ったことが博物館の始まりなのだそうです。


エジプト博物館に展示されているのは、
古代エジプト人のミイラに加えて、ネコやハヤブサ、牛、魚、トカゲなど動物のミイラ、ミイラを納めていた様々な形の石棺も。

また、古代エジプトのヒエログリフが書かれたパピルスやレリーフ、石棺の中に納められていた「死者の書」もあります。

古代エジプトの人々にとって、いかに死後の世界が重要だったか考えさせられます。


王のギャラリーと名付けられた展示室は特に圧巻です。

ファラオ トトメス3世(Thutmosis III)の像  (左上)
ラムセス2世 (Ramses II)の像 (右中)
宰相 Gemenefherbak の石棺 (左下)
スフィンクス (右下)
エジプト考古学博物館の建物の中にはサヴォイア家の紋章が(中央上)


もし、古代エジプトの文字が解読されていなかったら、現代の私たちが当時の生活のことを詳しく知る手段もなかったのだと思うと感慨深いものがあります。



 中世から分裂していたイタリアが、シチリア、ナポリ王国を占領したガリバルディがサヴォイア公国の王ヴィットリオ・エマヌエレ2世に両国を献上して、統一されるのは1861年のこと。

 ヴィットリオ・エマヌエレ2世はイタリア王国の初代の王になるのです。

Palazzo Carignano (Museo Nazionale del Risorgimento Italiano)

 トリノのリソルジメント(イタリア統一運動)博物館。


Mole Antonelliana 

トリノのシンボル モーレアントネッリアーナ。


参考文献
著者 Andrew Robinson (2022)
"Cracking the Egyptian Code: The Revolutionary Life of Jean-François Champollion" 
出版社 Thames & Hudson


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