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漢字っていう文化

今回は留学そのものではなく、留学を通じて考えたことばについて🌱

名前のつけ方

日本にいるときに、言語学系の授業で、テーマが「語感・文字感・表記感」のレポート課題があった。
大学入学後初めてのまともなレポート課題で、かつ良い評価を頂けたので、かなり印象に残っている課題。

私はそれらの感覚と名前を関連づけていろいろ考察したものを提出したのだけれど、そのときに私は、

語感=音の感じ
表記感=見た目の感じ
文字感=語感+表記感+文字自体の持つ意味

って定義した。(たぶん。笑)

けれど留学して気づいたのが、そもそも「文字自体に意味がある」っていう状況が特殊すぎるということ。
海外の子たちと話していて、3種類の文字を使い分けていること、文字の音が時によって変わることの凄さを痛感させられてきた。

そしてこの間、留学中に知り合った日本人の友達に、名字なんていうの〜?って聞かれて、答えたら、名前かわいい!って言ってもらえて。

ありがたいことに、これまでも名前を褒めてもらう機会は何度もあって、私自身も確かにかわいいかもって思っているけれど、
いったい何がかわいいかっていったらきっと漢字の意味なんですね。

たとえばたんぽぽの白鳥久美子、ってきれいな名前!って感じる人が多いと思うけれど、これっておそらく、
「白鳥」「久しく美しい子」
っていう漢字の持つ意味が先行して、結果としてきれいな名前っていう感情に至っているはず。

でもこういう現象って、文字自体に意味があるから初めて起こりうるんだよなあと。

日本で子供に名前をつけるとき、きっと多くの親御さんたちが、名前に意味を込めていると思う。特に同じ音でも、どの漢字を選ぶかはとても重要な部分だと思う。名付けたことないけれど。

って考えると、海外の名前はどうやって決めてるんだろう?

語感だけ?それとも名前の一部に意味を潜ませる?偉人から名前をもらう?

微妙なニュアンス

さらに、英語をしゃべっていて疑問に思うのが、言葉遣いによるニュアンスの違いってどこで生まれるのだろう?それともそんなものないのかな?という疑問。

日本語だと、「気をつけて」ということを言いたくても、
気をつけて、気をつけてね、気をつけてな、気をつけろよ

などなど、これだけでニュアンスが全然違う。

こういう微妙な違いってないのかな?っていう疑問です。私の英語力がまだまだすぎて、そういうことを感じられるレベルに達していないだけかもしれない。

でももし本当に英語で微妙なニュアンスの違いを表せないのだとしたら、この差は日本人の細かいところを気にする国民性みたいなものの表れなのかなと思います。

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