2024/4/16 娯楽は消耗品なのだろうか

・今回はタイトルについての話だけ。
娯楽は消耗品なのだろうか。そうかもしれない。でもそれは嘆くことではない、と思った話。

自分は、かなり趣味にのめり込む方だ。好きなコンテンツはどんどん掘り下げて調べ、楽しむ。狭く深く、1年くらいかけて楽しみ尽くす。
今だって、去年の5月に購入したファイアーエムブレム風花雪月をずっとやっている。

ところで、春になりすっかり暖かくなった。
そうなると思い出すのは、約1年前の風花雪月初見のプレイの時のこと。
あの時もこれくらい暖かかった。
しかし、当時と今を比べると、不思議と別のゲームをプレイしているように感じる。

あの頃新鮮だったストーリーも、全てが自己流だった育成の楽しさも、増援のタイミングも分からないまま闇雲に敵陣に突っ込む戦闘のワクワクも、生徒を殺した絶望も、どれも今となっては感じないもの。

今は、既に知っているストーリーを噛み締めて、ネットに載っている育成を真似して、敵の行動を計算に入れた戦闘をして、生徒との対立も受け入れている。
楽しみ方が変わっているだけで、楽しいは楽しい。
しかし、そのプレイに少し、虚しさを感じはじめた。この1年ずっとプレイしていた、大好きなコンテンツなのに。
初見の時はもっと楽しかったなと思ってしまった。

そうなると、娯楽は消耗品だということをどうしても感じてしまう。
楽しんで楽しんで、その先には飽きや無関心が待っていると思うと、虚しくなってくる。
音楽だってそうだ。好きになって何度も聞いて、それに慣れてしまって、聞いても心が動かなくなる。
最初ほど感動しないことに悲しみを覚え、気付いてしまう。

娯楽は消耗品だ。
消耗して飽きるのが、悲しい。

………と、まとめようとしたが、
イナズマイレブン英雄たちのヴィクトリーロードのベータテスト体験版が配信されたのをきっかけに、少し考えが変わった。

熱が蘇ることはあるじゃないか。
今、イナズマイレブンの体験版配信をきっかけに、イナイレのアニメをまた見たくなっている。
そのイナイレだって、2年おきくらいに自分の中でブームが起こっている。再燃の前例ありだ。
他のコンテンツでも、いくらでも再ブームが自分の中で起こる。

昔好きだった曲をランダム再生して久々に聞いたら、昔と同じくらい感動できたことだってある。

消耗したって、いつかまた復活する。何がきっかけで再燃するか分からない。

ただ自分の場合、再燃してもその熱は1年も保たない。どうあがいても初見の時以上の熱でハマることはできない。
そう思うと消耗し切ることがないだけで、やはり娯楽は消耗品ではあるのだろう。

でも再燃した時、その再燃を心からもう一度楽しみたい。「どうせまた飽きるしなぁ」と考えながらゲームをプレイしたり本を読んだり映像を見たりするのはもったいない。
だから、嘆くのはやめようと思った。嘆くことにリソースを割かずに、ただその時を楽しみ尽くそうじゃないか
飽きてきたら一旦離れればいい。きっとまたいつか戻ってくる。

ありがとうイナズマイレブン。ありがとう、過去にハマったコンテンツたち。
あなたたちのおかげで、少しポジティブシンキングができるようになったよ。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?