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働けない自分について。


書いてみようと思った。

いつから働けなくなったか?
という疑問の答えさえ難しい。

本当は働けないのに
働けるフリをしてずっと
無理して適応し続けてきて
何度も寝込んだり

それでも働かなければと
頑張り過ぎて精神疾患になり
今に至る。


思い起こせば
小学3年の時に不登校になった。

でも記憶にあるのは
幼稚園の時、友達関係で既に
悩んでいた。

集団生活に入っていても
孤立してるような
自分だけ皆んなと違うなという
感覚があった。

なぜかはわからなかったけど。

普通なことを普通にすることが
難しかった。

左利きというのもある。

皆んなは右利きですんなり同じことを
していれば済むところ、自分は
簡単にはいかない。

手芸クラブで編み物の時なんか
左利きじゃやり方を教えられないと
教師につけ離されたこともある。


かなり傷ついたけど
母親に言ったら左利きの人だって
編み物出来るよ!と言って
編み方を教えてもらって
翌週つけ離した教師に

『あら、できるじゃない。』と
言われて何とも言えない気持ちになった
記憶もある。


子供の頃から発達障害だったのかな、
と考えてみたことも何度もあるけど

確かに子供の頃は発達障害の傾向があった
気がするけど、今はほとんどない。

今の主治医には
聞いてる限りでは発達障害では
ないと思うと言われている。


でも『社会で集団の中で協力し合ったり
擦れ合いながらやり過ごす。』

ということが生きるということなのかも
しれないけど
自分にはその辺りが欠落してると思う。


自分勝手と言っちゃ自分勝手とも
言えるのかもしれないけど

人に気を遣い過ぎたり
神経や視覚、聴覚か過敏だったりして

脳が情報処理するのに
ものすごく負荷がかかる。


そうして疲れやすいため
集団生活から一旦身を置いて
一人で休む時間がないと
継続して生きていけない。


そんな自分をダメだから
自分が悪いと思い込んでいて

必死になんとか集団生活の中に
入っていって表面上は普通に振る舞える
ので自分がそんなに頑張って
やれていることは

周囲には気づかれない。


気づかれないうちに急に
集団生活に行けなくなって
辞めたり休んだらして

どうしたんだろう????

と理解されない苦しみを抱えて
40年以上が過ぎた今、

発達障害とかHSPとか
いろんなことが明るみに出てきて
研究も進み、理解が深まってきていることは
本当に楽になった。


働いていなくても
堂々とスーパーに買い物に行けたり
スーパー銭湯でお風呂に平日に
浸かることもできるようになった。


自分を引け目に感じて
いつも後ろめたさから人と関わる
自信もなく人との関係を築いていくことも
難しかったから孤独だった。


今、作業所に繋がって
同じような障害を抱えた人達との
交流をするようになって

皆んな個性が強いんだなって
思う。

きっと人から見たら自分も
何か個性強いと思われてるのかもしれない。

自分では限りなく

普通に近いと思っているけど
そんなことないのかも。

昔の日本の社会って個性が強い人より
皆んなと変わりなく同じような人と
群れていたい。

って人が多かった気がする。

時代が変わって個性こそ大事と
流れが変わってきたことによって
少し自分も生きやすくなった感じはある。


人の輪の中に居続けることが
違和感ではなくなる日がくると
いいなと思う。

孤立してるのが普通なんじゃなくて
人の輪の中で人は生きるという
ことが当たり前になりたい。


去年は作業所で、そんな感覚を
初めてかな。

人の輪の中が居心地良いという
思いを体験できた日があった。

少しずつ人への信頼が回復しているの
かもしれないし

自分の自信にも繋がっているのかも
しれない。


まだ作業所に行くことが
スムーズにいかない日もあるけど

目の前の1日1日を
大切に過ごしていきたいと思う。


丁寧に料理して家族に夕食を提供するとか

ゴミを集めて収集日に出すこととか

お風呂を洗ってトイレを洗って
キレイにして

夜に身体を休めるお風呂を溜めておくこととか


そんなことをやっている自分も

良しとしたい。


働いていることだ、と思いたい。


集団生活で人の輪の中に
入れる日がいつか来るのかな。


わからんけど
どっちでも良くなってきてるけど

今年は去年よりも更に動ける年にしたい。



そこそこ
こつこつやろう。
そこそこ
できることをやろう。


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