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私の中にあったタイムマシンで見た景色

私は小学3年生の時に、同じ大阪内ではあるが引っ越しを経験した。
幼稚園に入る少し前に福井から大阪に越してきているので、5~9歳くらいの間に暮らしていた場所がある。

少し前、仕事でその町に立ち寄ることがあった。

せっかくなので、自分が住んでいた場所の近くを歩いてみることにした。見覚えのある風景に懐かしさが一気にこみ上げてきた。胸の中に温かいものが流れ入り、幼い頃の記憶がよみがえる。それはまるでタイムマシンに乗って、過去に来たかのように。


田んぼが多くて、自然がまだまだ残っていた時代。小さい頃の私は外で遊ぶのが大好きで、お友達といつも畑を駆け回って遊んでいた。おたまじゃくしを捕まえたり、れんげで冠を作ったり。将来への不安も、大きな悩みもない毎日。
弟の病気が発覚した時期にも重なるが、私の中に残るその町で過ごした日々の記憶は、薄い膜がはったホットミルクのように甘く温かい。


少し歩くと、自分が通っていた幼稚園が見えてきた。
園庭で園児が遊んでいる。私が通っていた頃と同じスモッグを着ているように見える。

懐かしさが涙となって溢れてきた。

ああ、あの頃、父はまだ生きていた。

温かい父の眼差しが浮かぶ。野球とパチンコが好きで、不器用だけど優しかったお父さん。本を読むのがあまり好きではない母に変わって、我が家の読み聞かせはいつも父親だった。本好きになったきっかけは父が本と触れさせてくれてからだと思う。天真爛漫な母と可愛い弟、そして父と暮らしていた日々。

ただ毎日、“今”のことだけを考えて生きていた。
夏休みには母方の田舎に遊びに行き、これまた大自然の中でひたすら遊んでいた。おじいちゃんやおばあちゃんは初孫だった私をたくさん可愛がってくれた。

大きな愛に包まれて、生きていた。
私に温かい眼差しを向けてくれていた、祖母も祖父も、そして父も、もうこの世にはいない。
懐かしさとともにこみ上げてきた涙は、その現実を改めて思い知ったからかもしれない。年月は容赦なく流れていく。しかし、不思議と寂しさや悲しさだけではなく、温かい気持ちになっていた。


あの頃、私は確かに守られていたのだ。


たくさんの痛みを経験して、立ち上がり前へ進む強さも身に着けて。結婚して母親になった私は、気が付けば守る側になっていた。

守られた記憶は、我が子を守る強さの源になっている。そう思う。

今、この世にいない大切な人たちも、私の中で生きている。注がれた愛情は、胸の中に今でも残っている。

私もそんな温もりを、守られた記憶を、我が子の中に残してあげたい。そして、今この世で生きている大切な人を大切にしたい。後悔のないように、なんて無理かもしれないけれど、できるだけ。


幼い頃暮らしていた場所を歩いたことで、そんな感情が一気に湧き上がってきた。


私は泣くとすぐ鼻が赤くなってしまう。マスクがあって助かったなぁ、なんて思いながら、一人こっそりと鼻をすする。
そうだ、母に連絡してみよう。そんなことを考えながら、ゆっくりとその場を後にした。


#創作大賞2022

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