見出し画像

透明化した身体をかたちにする『私の半分はどこから来たのか』(大野和基)


大野和基『私の半分はどこから来たのか AID[非配偶者間人工授精]で生まれた子の苦悩』朝日新聞出版、2022年

まず、表紙に惹かれた本だ。
ひどく愕然とし、動揺しているように見える――顔はないのだけれど――表紙の人は、消えかかる自分を掻き抱いているようにも、水のように零れていく自分をすくいあげているようにも見える。

自分は何者なのか。
そう問うとき、親や祖父母の存在を意識せずにはいられない。子どもは血縁という大きな流れの中で育つから、家族との関係を考えることは、私という存在を考えることでもある。
私はここにいる。
そう実感させてくれたのは母であり、父であり、私は、私の知らない時間や巡りあわせによってここに存在しているのだ。
そのかけがえのなさが、私が他の誰とも替えのきかない存在なのだと思わせてくれる。安心感は、大げさでなく、生き抜くための拠り所になるから。

「出自を知る権利」をめぐる取り組みや法制度、それから精子の提供者(ドナー)とその子どもたちのルポがまとめられている。
AID(非配偶者間人工授精)は、日本では1948年にはじまった。生殖補助医療の技術は、すべてのカップルにとって希望の選択肢になったが、それでもカップル、生まれてきた子どもへのカウンセリング体制は、ほとんど整っていないのが現状だ。
議論は、世界中でつづいている。自分のルーツを知りたいという根源的な欲求。結婚を望む相手が異母きょうだいの可能性もある。

AIDで生まれた人たちを長いあいだ取材してきた著者は「すべてに共通するのは、アイデンティティの半分が空白状態であるということだ」と語り、不妊治療の医師スピアーズは、「幼少期の子どもの精神的な受容力は驚くべきレベル」で、「告知は10代になってからでは遅すぎる」と説く。

AIDで生まれた子どもは両親の離婚や病歴を知ろうとしたときに事実を知る(知ってしまう)ことが多いのだという。もちろん、生物学上の父親に会いたい、あるいは会いたくないと思う子どもの意思は尊重されるべきだ。
自分を受け入れていくこと、受け入れてもらえた経験こそが水のように透明化した身体をかたちにしていくための第一歩になるだろうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?