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美しさの代わりに引き受けるもの『美とミソジニー 美容行為の政治学』(シーラ・ジェフリーズ)

シーラ・ジェフリーズ『美とミソジニー 美容行為の政治学』GCジャパン翻訳グループ=訳、慶應義塾大学出版会、2022年

ひっきりなしにお腹をしめつけるワンピースとか、緊張そのものを踏みしめているようなヒール靴とか。作っているのか補っているのか分からないメイクとか。
女性がそうあることを社会から期待される美容行為のなかには、美しさと引きかえに身体への負荷を求めるものばかりだ。

こうした美容行為は男性による支配で、有害な文化習慣で、女性の従属を促進している。西洋中心的で男性中心的な価値観に美の規範を押しつけられた女性たちは、男性消費のフェティシズム的な興味に合わせて体を変形させている。
……という著者の痛烈な批判は、いささか強引な主張に思えるけれど、無視もできない。

実際、誰だってすでにミソジニーに巻きこまれているのだ。
この本が刊行されてから10年の月日のあいだにフェミニスト批判にはいくつかの変化があった。あらゆる地域でポルノと売買春に反対するフェミニストの活動が活発になったし、美容行為にたいする批判的なフェミニスト研究も増えている。

毛の一本に至るまでこの体は自分だけのものだ、とも言い切れないのは、私たちの体が社会的な存在であるためだ。
ファッション業界が男性の視線を釘づけにするために女性に身につけさせている極小の素材も、1980年代以降にみられるようになった陰毛のない女体も、強烈な性的差異の文化によるものであることは間違いない。

女らしさは社会的に構築されたものであること、男性とちがって女性は女らしさを「選ぶ」立場にないこと。「女らしさ」を実践するトランスヴェスタイト(性的満足のために女性の服を着ることにマゾヒスティックな関心を持つ男性)の存在も本書では取りあげられる。
美容行為は女性の創造的表現のための女性の個人的選択や「言説空間」などではなく、女性抑圧のもっとも重要な一側面だ、と著者は主張するのだけれど、
ほう、なるほど。
私は思う。女心はそれほど複雑ではないし、でもそこまで単純でもない。
ウエストが細いのは好きだけれど苦しいのは嫌いで、私にとってそれは両立しているのだ。この窮屈な代物の愉しさは、見ているだけでは分からない。高いヒール靴は、歩いているだけで幸福な気持ちにさせてくれる。
それと女らしさとは、また別なのだ。

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