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好奇心旺盛でもあった

私はかつて、好奇心旺盛でした。
できることには積極的に手を上げてやってきました。
また、興味のあることは自ら熱中して勉強に取り組んだりしました。
今回は、好奇心旺盛だったエピソードとして2つ紹介します。


信長の野望


小学5年生のことです。
父親が週末になるとパソコンを使って、戦国シュミレーションゲームの信長の野望をやっていたのを横目でずっと見ていました。
その様子に気付いた父親から「やってみるか?」と言われ、見様見真似でやっていました。
そして同時期、学校の社会科の授業では「安土桃山時代」でした。
私は無意識に予習ノートを作り出し、自発的に予習をしていました。
恐らく、学校の授業で予習をしたのはこれが初めてだと思います。
そして、その期間における成績はとてもよく、通知表に「歴史の勉強に一生懸命取り組んでいた」と書かれていた記憶があります。

その後


19歳の時とあることがきっかけで「戦国無双」シリーズにハマった私。再び戦国武将の勉強が始まりました。現在は、無双シリーズは好きでたまにゲームをしています。戦国武将の勉強はしていませんが、ある程度知っている自負はあります。また、旅行先で城廻や戦国武将ゆかりの地を巡ることもしています。

クラリネット


中学に進学し、私は吹奏楽部に入部しました。
運動もできない、絵も描けない、手芸も下手、料理もできない。
出来ないことばかりの私。しかし「音楽は好き」という気持ちだけで吹奏楽部に入部すると入学前から決まっていました。
入部するとどのパート(楽器)を担当するか日々各パートを回り吹いてみるのですが、クラリネットしか吹けず、1年生ながら1オクターブ音が出せるほどになりました。結果、クラリネットを担当することになりました。
クラリネット担当になった同級生は私の他に3人いましたが、皆ピアノ経験者で、ピアノ経験がなく音符も読めなくドレミを書いていた私は常に置き去りでした。でも腐ることなく、夏の暑い中先輩たちがコンクールの練習で音楽室にこもり、1年生は各教室で練習という状況下、他の3人はおしゃべりをしている中、私は黙々と練習していました。「3人より下手だから人の倍以上練習しなきゃ」という無意識が働いていました。
クラリネットにも色んな種類があり、中学校ではバスクラリネットというのもありました。低音楽器に分類されるバスクラリネットは1本しかなく、先輩から引継を受けて後輩が担当します。
秋に「バスクラリネットを誰かにやってほしい」と先輩から言われ私は「やりたいです!」と言いました。
しかし、先輩は私は対象外だと。2番目3番目にうまい人を候補に挙げていましたが、当然二人は断固拒否。そりゃそうですよね。「いずれバスクラリネットもやってもらう可能性がある」という前提でクラリネット担当になったわけではないですから・・・
1人はクラリネットが大好きで第一希望でクラリネットだったのですが、バスクラをやりたくない!という一心。
もう1人はサックスが第一希望でしたが、顧問の先生の審議によってクラリネットになり、大泣きしていたことがありました。
1か月後先輩から「今でもバスクラリネットやりたい?」と集団で聞かれ(今思えばその状況もおかしい。先輩4人に対し私1人、普通顧問が立ち会っていてもいいのでは?)「やりたいです!」と即答。「なんで?」と聞かれましたが、「クラリネットだけではなく、他のパートもできるなんてこんなチャンス滅多にないからです!」と即答。結果バスクラリネットを1年間担当し、後輩に引き継ぎました。その後輩も泣いていましたけどね。
思春期ながら「そういうこともあるという事前説明は必要だな」と感じました。

その後


バスクラリネットを卒業するとき、クラリネットを購入してもらいました。高校進学後もクラリネットを担当し、エスクラリネット(高音)も担当しました。しかし、腰椎椎間板ヘルニアの発症により退部。
現在クラリネットは眠っていますが、数か月に一度はケースから出して磨いたり、気分で吹いています。

振り返り


好奇心旺盛で積極性があることに対して一部冷ややかな目もありました。
しかし、出来る出来ない、向いている向いていないは別として、チャンスに手を挙げるのはいいことだと私は思います。
ただ、当時と異なっているのは、手を挙げる前に「自分に負担にならないか、中途半端にならないか」を考えてから手を挙げています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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