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犬山城と400年余り共に過ごした成瀬家。その記録を残しておきたいとnoteを始めました…

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犬山城と400年余り共に過ごした成瀬家。その記録を残しておきたいとnoteを始めました。いろいろなご意見があると思いますが、今までの成瀬家の生きざまを垣間見ると思い、お読みいただければ幸いに存じます。

最近の記事

姫様俳話

12 茶の湯成瀬家には、茶の湯の才能を持ち合わせていない…と思う。 お茶に関して記述があるのが、最初が京都で、2代正虎。彼が参加した記録のある茶会は、かの有名な茶人小堀遠州の茶会だった。どうも彼は恐ろしいことに、詰を務めたらしい。勿論、正客は尾張藩主の義直公。次客が竹越正信だったか。この当時の成瀬家は、確か正成の喪が明けたばかりで、付家老としてはもう1家の竹越家の方が立場が上であった。しかしそんなことではなく、2代正虎の茶の湯のセンスは、性格的に一切なかったと私は思っている。

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    • 姫様俳話

      11 政治家最近色々な分野で、政治家の資質を問うような問題が起こっている。内容を聞くと、とても残念な内容が多い。あまりに今の時代、問題になってる事を、政治家は知らなすぎるような気がする。昔の殿様は、知らなくて良いことは、家臣は知らせない風潮があったが、それが公になった時、殿様が責任を取り、藩は改易となって、殿様は腹を切る。殿様が腹を切らない場合は、家老、尾張藩では成瀬家のような家がその役割だ。

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      • 眠れる虎 成瀬正虎伝を始めるにあたって…

        財団にある掛軸の中に、私のお気に入りで「眠れる虎」が描かれている掛軸がある。この掛軸の虎の姿を見るたびに、私は「2代正虎」を思い出す。 彼は「徳川家臣団随一の忠義の臣」と呼ばれた、初代正成の長男だ。彼は珍しく、正室の生んだ子供だ。正成には、記録上側室はいない。だから立場を考えると、彼はすごく大切に、育てられても良い人物だ。ところが幼い時に、生母を駿府で亡くしてしまうところから、不幸が始まった。そして彼は、長男としては、波乱の生涯を歩むことに、なるのである。 彼の御伝を見ると

        • 姫様俳話

          10 私の推し 私の推しは、なんと言っても犬山城だ。しかし当の犬山城は、どうも私が嫌いなようだ。 犬山城は、国宝だけあってプライドが高い…と私は思っている。犬山城の創建年代は、室町時代末期であり、世の中が乱世・戦国時代になりたての頃だ。 また犬山城は、日本最古の城というプライドも持っている。その犬山城が、個人所有末期から現在に至るまで、400年以上を共に時代を乗り越えて来た成瀬家のお城番が、こともあろうに女性の私になってしまったのだ。 戦国時代を生き抜いてきた城としては、サ

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          犬山祭

          今年(令和6年)犬山祭も無事終わった。2日間雨が降らなかったのは、私が知っているなかでも少ない。私の記憶では、父の亡くなった年が、珍しく2日間晴れて、周りからは「最後のお殿様のご褒美」と言われたことに驚きながら、東京の密葬を終えたような気がする。父は「晴れ男」だったが、亡くなってからの法事は、雨が多く、不思議だ。

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          姫様俳話

          9 父の事 犬山城の最上階に、歴代の姿絵や写真がある。そこで1番の人気の人物は、前は祖父であったが、最近は父であると聞く。確かに祖父は女子大で教えていて、教え子の母曰く、すごく祖父は人気があったようだ。母もその1人だったらしい。でも父は…父が亡くなって、今年は17回忌を迎える。

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          姫様俳話

          8江戸時代の和菓子父は俳人であったため、生前季節のものは、季節に食べたい人であった。だから老舗の名品を和菓子、洋菓子を問わず、私によく教えてくれた。だから私は、食に関しては、ちょっとした食通になれたような気がする。 しかし今、日本ならではの季節感は、地球温暖化のせいもあってか変わりつつあり、中々思う通りになってないのも、事実だ。だからもともとあまり上手くない私の句作は、困難を極め、犬山城に頼ってしまうのである。それと私は、申し訳ないが「花より団子」の精神が強いから、季節感は

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          7 ファッション私は生まれたときから、カッコから入る性格だったような気がする。だから幼いときから、特に服装にはこだわってきた。社会人になってからは、バックにこだわるようになった。

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          姫様俳話

          6 梅の木今年も梅の花が咲いた。この花が咲くと、私は毎年身が引き締まる。それは、この実を使って酢で作る梅サワーと梅ジャムをもう10数年前から、私が作っているからだ。サワーはアルコールが入っていないせいか、使い勝手が良いという周りの意見もあり、私は梅サワーを作っている。アルコールがお好きな方は、ご自身でアルコールと割ってお飲みいただいている。

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          怖い母

          最近、子供が喉をつまらせて死亡した事件があった。喉をつまらせることには、高齢者も多いと聞く。特に高齢者は、咀嚼が不十分なのか、喉につまらせるのは、正月に食べるモチが多いらしい。昔は、モチをつまらせたら、即掃除機をくわえさせて、吸い出せと教えれた。 しかし今の掃除機は、前と形が変わっていて、平べたくなっていたり、充電式が多く、そのせいで掃除機の圧がよわくなったりするように感じるので、そういう時には役に立たないような気がする。 私の母は、私が25歳、母が54歳の春に、脳腫瘍で亡

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          5 スペイン旅行2013年から14年は、スペインと国交交流400年に当たった。 私のお茶の兄弟子の中には、その当時スペインマドリード郊外に、夫婦で住んでいる外国の人がいた。奥様は日本人。今から15~16年になるだろうか?私は、明治村の明治村茶会で、濃茶の席主を務めた。その時彼の立ち振舞いが、すごく話題を呼んだ。それもあり、2012年に行った如庵での2代正虎350年遠忌の茶会に、彼にはスペインから参加してもらったのだ。その時の彼との約束は「次はお礼に、私がスペインに行く!」であ

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          5  中国旅行 成瀬家で犬山城をお預かりした者は、夫婦だった場合でも、2人で一緒には、決して飛行機には乗らない。だから私は、犬山城を預かるまでは飛行機に乗っていたが、今はほとんど乗っていない。しかしそんなしきたりの中で、何回か致し方なく、引き受けてしまった海外旅行がある。そのうちの1つが、中国旅行でだった。当初は講演の依頼だったが、良く聞くと「中国長江クルージングの旅」での講演とのことであった。それは場所が長江の上ということ、すなわち中国だということ、国外だ。

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          正成400回忌 名古屋白林寺編

          初代正成の戒名を作ったのは、前にも書いたが天台宗の日光輪王寺住職であった天海大僧正だ。 今でも300回忌の時の写真が財団に残っているが、それは大正時代のことだ。その当時から正成の法事は、日光輪王寺で行なうことが基本だったようで、そこには祖父正勝が、学生服で写っている。だから父や祖母の存在すらない。 白林寺でこの正成の法事は、行われていたのだろうか?そして350回忌は、どうしたのか?など今いくつも疑問が残る。 正成の350回忌にあたる年は、私はまだ小学生であった。確かその前年

          正成400回忌 名古屋白林寺編

          成瀬家と相撲

          成瀬家は、多分江戸時代から、相撲が大好きだったはずだ。なぜならば、江戸時代のお相撲の力士は、藩のお抱えが多かったからだ。そのせいかわからないが、徳川家も相撲が好きで、先代のご当主が、升席を持っているとおっしゃっていた。 御三家の中で一番相撲に力をいれていたのは、おそらく紀州家だったと思う。私は前に、浮世絵で紀州家の力士の練習風景を見たことがある。そして今でも、和歌山県出身の力士が多いのは、そこから来ていると、私は思っている。

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          成瀬家と相撲

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          4 成人式 私の時代の成人式は「1月15日」で、日にちが固定だった。またその日にちは、七五三のように、古くからそう決まっているものと、私は信じていた。しかし、調べると「1月15日」が固定になったのは、第2次世界大戦の戦後の1949年だったようだ。意外にも、新しいことに驚く。

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          正成400回忌 日光編

          こんなに暖かい日光は、初めてだった。毎年の初代正成の法事は寒く、私はこの寒さを「修行」と呼んでいた。それは、この寒さに耐えられなければ、犬山城などは受け継げないと思っていたからだ。 今年の墓参りは「初代正成400回忌」だ。いつもより法事の日が早いのは、今回は名古屋の菩提寺でも行なわければならないからだ。 日光の菩提寺はかの有名な天台宗の「輪王寺」だ。 しかし、名古屋で尾張藩主・初代義直公が正成の菩提を弔うために建立したと言われる矢場町の「白林寺」は、歴代の墓もある菩提寺で、

          正成400回忌 日光編