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百三十一話 零距離

 午前四時ジャスト。
 五月の空が、うっすらとしらみ始める。
 トーチカ群付近で、ちょっと砂煙が上ったと思えた瞬間、天地を覆すような爆発音が響き渡った。
 まさに驚天動地。五臓六腑、如何いかんなく震える。
 ついに、四一式山砲が発射されたのだ。

 号砲は、敵トーチカの銃眼を貫通。短延期の信管をつけた砲弾が、正確に命中している。流石さすが、田村班長。比べるのも失礼だが、浅井とは雲泥の差がある。
 他の砲も続々発射。咆哮轟き、辺りは天地鳴動の様相だ。
 敵陣山頂は、あっという間に、砲煙に包まれ見えなくなった。

 対する我が方の山――待機していた兵隊が、一斉に喚声を上げた。
 「行くぞ!」という声も聞こえた。
 他国の兵と異なり、その場に留まる者、ましてや逃げる者など、誰一人としていない。
 祖国日本を護るため、皆、全力で山を駆け降りて行く。
 地を天を揺るがす圧倒的な絶叫――耳をつんざく。皮膚、毛穴に浸透、すでに命は我が身に無い。
 全身全霊――氣魄、鋭気共に漲り、勇猛果敢、捨身で敵方に突撃する。
 浅井も必死に走った。足の肉刺まめの懸念も払拭されている。是が非でも遅れるわけにはいかなかった。
 
 戦場に着く。すでに砲撃の轟音は止み、代わりにに小銃と手榴弾の音が辺り一帯を覆っていた。
 双方が凄まじい射撃と爆発を繰り広げ、あれほどの声も人をもかき消されていく。
 そんな中、第三大隊のいぬい作治郎大隊長が、四一山砲の零距離発射を命じた。零距離で四一山砲を発射すれば、砲身破裂を起こす可能性がある。それを承知で決断したのも、中隊がこの時、粒散弾を持っていなかったからだ。
 命を受けた吉野中隊長は、自爆覚悟で田村班長に零距離射撃を下命かめい。甚大なるリスクをとった。

 多勢に無勢。最早、一刻の猶予もない。
 肉を切らせて骨を断つ――本意気の白兵戦を展開し、修羅場に活路を見出す他なかった。

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