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my graduation(カテキョのお姉さん)

「え? いま中学3年じゃろ。っていうことは、尾崎の『卒業』も知らん世代なんじゃ。カワイソ」と言ってきたのは、当時、家庭教師だった大学生の男である。

その年のお正月のSMAPドラマ『僕が僕であるために』や、小学6年のころの野島ドラマの主題歌『OH MY LITTLE GIRL』で尾崎豊は知っていたが、それ以外の曲は知らなかった。

のちに高校生になってからいっとき尾崎にハマったが、好きだったのは『15の夜』や『十七歳の地図』である。
純文学にハマって『十七歳の地図』が中上健次の『十九歳の地図』のもじりだと知るのはもっと先のこと。

「オイ、ひげ見んな」

ラクロス部のこの男はいつも白いポロシャツを着ていて、授業中、私はいつも無精ぶしょうひげを見ては怒られていた。

母は同じ大学出身のこの男を気に入っていたが、私は大嫌いであり、とりわけ授業の合間のおやつタイムは恐怖だった。

「箸が転んでもおかしい年ごろだろ」と言って、男はロールケーキを頬張りながら鉛筆を転がすのだった。

サービス精神旺盛おうせいな私は気をつかって「アハハ」と笑ってみせたが、どうやら気に入ったらしく彼はなんども鉛筆を転がしつづけた。

授業のたびに転がすので、私はそのつど頬を引きつらせながら「アハハ……」と愛想笑いするハメになった。

尾崎豊の『卒業』は「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわる」歌だという。
それを知ってなんて暴力的な歌だとドン引きしたが、じっさい私はこの男に服をやぶかれた。

私は宿題だった英単語の練習でラクをするため、ノートにカーボンを挟んで5ページの練習で10ページぶんを水増ししたのだが、それが発覚したときだった。

男は私のパーカーのフードをつかむと首ごとねじり上げた。ビリッと音がした。

「あっ、破れた……」

思わず私が声をあげると、「イヤ、もともと破れとった。……お前が悪いんじゃけ、いちいち言うなよ」彼は口どめしてきた。

授業のあと、さっそく母に報告した。派遣会社に連絡がいき、男はすぐクビになった。

もう男の教師はうんざりだった。とくに「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわる」ような教師はゴメンである。

今度は女の先生がいいと母に泣きついた。するとおびのつもりか、まもなく会社は地元の最高学府・広島大学医学部の女教師をよこしてきたのだった。

オッパイの大きな先生だった。私は無精ひげの代わりにオッパイに目がいくことになった。

せっかく広大医学部の先生がきたのに、これまで以上に勉強はおろそかになる。授業時間はたいてい2人でお喋りしていた。

先生はたびたび元カレの話をした。付き合いはじめたのは高校のころで同級生だったという。

学園祭の思い出。イケメンが自慢だったこと。初めてのエッチは痛くて、挿入するまでに何回もかかったこと。
大学に進学すると浮気されて別れたが、自動車教習所で再会してカラダだけの関係が続いている、云々うんぬん

中学生の私には衝撃的な大人の世界だった。勉強など手につくはずもない。
むろん成績は上がらず、ある日、会社からアンケートがまわってきたので私はボロクソに書いた。

自分を棚にあげ、「CMで3カ月やれば70点とれると言っているが、詐欺さぎである。誇大こだい広告だ」と答えて送った。

すると後日、会社から電話があった。運よく私は留守だったので、〝ご説明〟を聞かずにすんだ。逆にやりこめられるに決まっている。

高校受験がせまり、親も焦っていた。
会社との話し合いのすえ、数学の苦手な私にもう一人、広大工学部の教師がつくことになった。

女の先生で美人だった。英語の先生とは違ってまじめなので、結果、成績はぐんぐん上向きはじめた。
『金田一少年の事件簿』が好きで毎週私の本棚から借りていくが、ぜんぜん返してくれないのが玉にきずといったところか。

一方、英語の先生は〝フェラ〟が好きだという。フェラなんてものはアダルトビデオの話だと思っていたので、ウブな私はドン引きした。

先生に「ええ? そんなのみんなしてるよ」と怒られる。
〝タンポン〟というのも教えてもらった。生理のとき便利で、取り出し用のひもが付いているという。

世の中には私の知らないことがたくさんあった。彼女はまさしく私の先生だった。医学部だけあって英語ではなく、保健の先生だが。

英語の点数がいっこうに上がらないので、英語の授業をもう1日増やすことになった。

といっても会社を通さない闇営業で、授業料も安くてウィンウィンだった。これで家庭教師は週3になった。

あるとき、英語の宿題をまったくやらなかったことがあった。
すると「もうすぐ受験でしょ。きみのために言ってんだよ」云々、めずらしく長々と説教された。耐えかねた私は「それ以上言ったらオッパイもむよ」と歯向かった。

「そんな勇気ないくせに」

たちまち彼女は不敵な笑みを浮かべ、私を挑発してきた。
カチンときた私は胸を鷲掴わしづかみにしてやろうと思った。が、彼女の言うとおり、そんな勇気はなかった。

「きみってさあ、なんか淡白だよね。共学だからかな。高校は男子校に行って、狼みたいにガツガツしてほしい」また先生に説教された。

私の第1志望は公立高校だった。週2回の英語の授業を息抜きに、一生懸命勉強して志望校に合格した。

発表後まもなく英語の先生から電話がかかってきた。「どうせきみ、自分から連絡してこないと思って」じっさい数学の先生には母が合格の電話を入れていた。

私が合格を伝えると先生はよろこんでくれたが、「でも結局、自分で勉強して受かったんだね……」少しさみしそうだった。

それから中学を卒業したら、一人暮らしの先生の部屋に遊びにいく約束をした。
街には尾崎豊の『卒業』ならぬ、SPEEDの『my graduation』が流れていた。

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