見出し画像

随筆(2021/3/1):「ファッション」=「キョンシーの霊符」的世界観

1.「ファッション」=「キョンシーの霊符」的世界観

私はファッションが嫌いなのですが、この感覚を言語化すると
「霊符」
「キョンシー(中華ゾンビ)」
になった(最悪の例えだ)。

キョンシー_16592_m8m9

画像2

「あーダメダメ! 魔除けの霊符を貼らないと魔(道士)に襲撃されてしまう!」
天下の往来にはドレスコードが実はある。これに抵触すると、土地柄によっては職質やカツアゲの対象になる)

「あーダメダメ! それを貼ると封印されてしまう!」
(ファッションには、着ると、土地柄によっては職質やカツアゲの対象になる罠のファッションがある)

「あーダメダメ! その組み合わせだと良縁祈願になってしまう! 違う! それは商売繁盛! 何で分からないんだ!」
コーディネートの時になるやつ)

「この霊符の文字の違いを見て分からないのか! 経典にこんなにもはっきりと書いてあるだろう! 書いてあるのに書いてあることが読めないのか!? バカなのか!?」
ファッション雑誌を見た時になるやつ)

「この霊符は見ての通り素晴らしいだろう。
分からないだとぉ!?
あーまあ、数日前まで解像度の低い人間だったから仕方ないか…
嗤いはしないが、憐れむ。
いつか身も心もまともなキョンシーになれるといいね」

ファッションセンスについて論評される時になるやつ)

これなんですよ。本当にツラい。

***

それにしても、かつて上京時に住んでいたベッドタウンで
「ようその格好はオタクボウズじゃん。相変わらずオタクボウズしてんな?(「こんにちは。元気?」の意味)」
と俺から挨拶ついでにカツアゲしていたやつ、未だにのうのうとベッドタウンで生きてるのかと思うと、おそろしくムカつくな。(私怨)

***

あと、俺が
「ふつうに往来を歩ける服をお願いします」
と依頼したところ、今で言うとスギちゃんみたいなコーディネート一式を買わせた、百貨店のファッションコーナーの店員さんもいらっしゃいました。

画像4

ちなみに当時は大学生だったので、本当に金がない中で、かなり高い金出して、これを食らわされた訳です。

しかもこれで結果的にベッドタウンの住人たちからメチャクチャバカにされたんで、
「これはどうやら往来を歩けるコーディネートではないようなのだ。どこがどう良いのか悪いのかすらサッパリ分からないけど。もういいや。うんざりだ」
という程度の教訓は流石にありました。

今でも私は百貨店のファッションコーナーの店員を、
「まとめサイトの怪しげなリンク群と同程度のリスク源」
の枠に入れていますね。(私怨その2)

2.オタクのやる布教は、キョンシーやヴァンパイアやボーグによる同化と同じくらい、おぞましい

まあ、俺もファッションじゃなくて、時代伝奇小説でこれをやったことが(おそらく)あるから、バチが当たってるんだろうな。

***

私は荒山徹という時代伝奇小説家が好きで、この人は「えげつなくエンターテインメント性の高い」作風なんですよ。

正義に燃える新聞記者だった荒山徹が、異文化交流でいろんなものを見てしまい、それ以来続く朝鮮半島を題材とする小説。
特撮大好き荒山徹が、朝鮮半島土着としてありうる(実際にはない)ものとして繰り出す、多彩な妖術描写。
剣豪から大名になった、どいつもこいつもやたらキャラの立ってる、江戸初期時代小説家のスター、柳生一族の剣戟描写。
史実を元に繰り出される、「実際にはこうではなかっただろうが、こういうこともありえたし、もしそうだったら話としてはメチャクチャ面白い」というノリを煮詰めたような非存在捏造史料。
イケメンの色気が粘る男色描写。

はい、背脂ニンニクマシマシ特濃魚介豚骨醤油ラーメンですね。
好きな人は大好きでしょうし、そうでない人は舌と胃がパンクしちゃうでしょう。

素養のある(ように見えた)人に、こんなもん(こんなもん言うなや)を見境なく勧めていた(であろう)、若き日の俺は、そりゃあまあ迷惑なやつでしたよ。

当時の荒山徹界隈で言われていた言い回しで言うと、
「他人をヴァンパイア(吸血鬼)にしようとする、元人間特有の、いやな明るさ」
あるいは、スタートレック風に言うと、
「我々はボーグだ。お前たちは同化される。抵抗は無意味だ」
ってやつだ。

藤子F不二雄_流血鬼_オチ_C9xGxMCVYAAXTAO

画像5

***

ファッションの良さを力説されている時の俺は、死んだ顔をしています。
荒山徹の布教を行っている時の俺も、相手の死んだ顔気付くべきだったということでしょう。
バチがあたっているんでしょうね。だから、もうこういうことはやっちゃいけないんですよ。
あくまで個々人好き嫌い自由意志が大事だし、好き嫌いを書き換えようとするいかなる働きかけも、端的に醜悪なんです。
(だから、『胎界主』や『堕天作戦』や"Final Re:Quest"や『回転むてん丸』や『トンデロリカ』のアツい初見実況は果てしなく行うけど、布教は行わないことにしている訳です)

3.呪術的光学迷彩武装、あるいは危険回避率向上効果カードデッキ、要するに魔除けとしてのファッション

3.1.光学的に存在しないものは、認識できないんだから、そんな何かを人にお見せしようとするな

よく言われる、「内面が大事」という話は、ファッションに限っては、捨てるべきなのだ。

なぜか?
ファッション光学的に存在するもので、内面光学的には存在しないものだからだ。

人は光学的なものしか見えない。これはもうそういう仕組みだ。
だったら、光学的にゼロの、認識できないものを、人にお見せしようとするなよな。
そんなものを見る回路は、人には基本的に備わっていないんだから。

3.2.見えていないものについては、際限なく都合よく誤解される

人に出来るのは、光学的に認識することと、認識出来たものの善し悪しの評価であって、それこそがファッションの意味だ。

光学的に認識され評価されるファッションに、何らかの付加的な意味を帯びて顕われた内面のみが、考慮の対象になる。
(ここは刑法と同じで、行為結果決定的に重要なのであって、動機の善し悪しは付随的にしか考慮されない)

顕われていない内面は、他人にとっては、存在しているかどうかすら分からない。
分からないんだから、他人によっていかなる好き勝手な解釈をもされうる。

3.3.脆弱性が脆弱性をまとって歩いたら、危険(ハザード)の可能性(リスク)も当然あろうというものだ

こうなると、他人に対して誤解の余地のないようなファッションが必要になってくる。
これをしないと、他人に悪い解釈をされる可能性がある。
誤解されると、やって欲しいことをしてもらえず、というかやって欲しくないことをされる。これで円滑な社会生活など出来る訳がない。

誤解は迫り来る脅威であり、誤解を自ら放置するのは危険(ハザード)だ。
脆弱性が脆弱性をまとって歩いていたら、まあこれは危険の可能性(リスク)も当然あろうというものだ。

3.4.呪術的光学迷彩武装、あるいは危険回避率向上効果カードデッキ、要するに魔除けとしてのファッション

ファッション呪術的光学迷彩武装だ。
これがちゃんと効いていれば、相手からのダメージの確率も量も下がる。即物的なものだ。
相手に呪術が光学的に効くかだけが全てだ。
自分が泣いても笑っても、あるいは理解しても理解しなくても、何の意味もない。

「自分が楽しむ」とか、そういうフェーズの話は、上位種族であるファッションキョンシーファッションヴァンパイアファッションボーグたちに任せておこう。
そうでない人に出来ることは、カードバトルで言うと、「効果的に危険回避できるデッキを組む」。それしかありえないではないか。

ここで理解すべきは、他人のセンスだ。
これはつまり、「他人から干渉されて洗脳される危険を回避するための属性効果」だ。
自分のセンスは後だ。なくても構わない。
それがあったら効率的に危険回避できるだろうが、そんな二次的なことに、脳の膨大なリソースを費やしている、させられていること自体が、もう許しがたいほど不愉快なんだよな。

(ファッションにおける「内面が大事」ロジックの気に入らない点のもう一つがここだ。
「お前の内面や好き嫌いや自由意志はファッションのための道具となりうるし、ここで言っているのは、そうしたらなんて素晴らしいんだろう、ということです。やっていきましょう」
じゃあないんだよな。くたばれ)

4.「上位種族へ変質するのは、部分的な死や自殺にも似た恐怖がある」という、上位種族にとっては実にくそくだらない話

4.1.周囲の背景の一部として、大過なく過ごしたいがために、茶番をやる

そして、自分のセンスを「危険回避の属性効果」呼ばわりされて、侮辱と感じたファッションキョンシーが、クソみたいなことを言うだろう。

「一目瞭然である、この霊符の素晴らしさが、本当の意味で分かってない。
キョンシーの内面が分からないんだね。カワイソ。
あーまあ、数日前まで解像度の低い人間だったから仕方ないか…
嗤いはしないが、憐れむ。
いつか身も心もまともなキョンシーになれるといいね」

***

クソではなかろうか。
お前らキョンシーになりたくないから、これ以上のお前らの干渉と洗脳を防ぐために、魔除けとして危険回避のためにやってるんだ。
俺はキョンシーに干渉されて洗脳されてキョンシーになりたくないの。だからキョンシーの振りをして、周囲の背景の一部として、生きていかなならんの。もうこの時点で信じがたいほど不愉快なの。
で? 「キョンシーになれ」? くたばれ。

やりたくないし理解できない勉強に脳を汚染されるのは、聳え立つクソだ。という価値観は広く受け入れられている。
全く同じ話だ。やりたくないし理解できないファッションに脳を汚染されるのは、聳え立つクソだ。

他人の脳から、元々やりたかったことまで追い出して、自分の素晴らしい世界観に洗脳したい上位種族たち、いる。
正直、これをやっちゃう上位種族に、絶対に仲間だと思われたくない。
だが、敵だと思われたくもない。干渉も洗脳もされたくない。
周囲の背景の一部として、大過なく過ごしたい。それだけが俺の望みだ。

***

繰り返しになるが、ここでやるべきは「実際に無難な」、つまり「干渉や洗脳の標的になりづらい」ファッションである。
これは「特にファッションに汚染などされていないし、されたくもない、当然センスなんかあってたまるか、そんなものが無から生えて来るんじゃねえ」という、オタクのぼんやりとしたセンスにおける「無難」とはかけ離れている。
一般に、黒革赤チェック灰セーター「実際には無難ではない」。というか、しょっちゅう職質やカツアゲの指標になっているではないか。
一致していないのは別に構わない。というか、そんな二次的なことに脳のリソースを費やせと言われる謂れはない。
が、やりたくないし、必要最小限の手数で済ませたいし、無駄な手間を食われたくない以上、せめて実際に効果的な光学迷彩は出来ていなければならない道理だ。
ここはキッチリやって、脳のリソースを、他人にとっては沼である(が本人にとっては紛れもない)ドブや、聳え立つクソみたいな肥溜めに、もう二度三度と注ぎ込まなくていいようにしたいんだよな。

***

その辺の均衡点を探って、デッキを組まねばならない。
「急急如律令うんたらかんたら」と書かれた、意味のまるで分からない気持ち悪いカードで。
やりたくねえなあ。

4.2.敵意のないことだけは明示している相手に、自分と同じじゃない赤の他人ってだけで、これ以上の干渉も洗脳もするな

「意味が分かれば気持ち悪くなくなるよ」?

その「我々はボーグだ。お前たちは同化される。抵抗は無意味だ」構文直ちにやめてくださいよ。
そういうところが気持ち悪いって言ってるんです。

「自分はプラスの善き存在で、それが理解できない他人は、理解できてない分だけマイナスであると思っている」
「自分は自分の世界観の善さを守るため、自分の目に見える世界に不法滞在している、理解できないマイナスのやつらを改宗させる、正当な防衛の権利がある」
「自分を理解しないが、せめて茶番に付き合ってくれはする、つまりは無理をさせている他人に対し、内面の価値観まで自分色に改宗させたい」

というクソみたいなことを、事実上口にして、しかも善きことのように語る人、メチャクチャ困るんです。
相手から気持ち悪く思われるの、まあやむを得ないのではないでしょうか。

自分は自分、他人は他人。ひょっとしたら「似ているところがある」かもしれないが、基本的には「違っていて当たり前」です。
これが受け入れられないんなら、人と人とのまともな関係なんて無理だ。
そんなんで社会をされると、自分も相手も社会も潰れるんですよ。
やめて欲しいんですよ。勘弁してくださいよ。

4.3.「上位種族へ変質するのは、部分的な死や自殺にも似た恐怖がある」という、上位種族にとっては実にくそくだらない話

とは言え、上位種族であるキョンシーヴァンパイアボーグの世界では、ただの人間下らない存在だ。これはもうそういうことになっている。

だから、上位種族の振りをして、茶番のごとき処世をやって、周囲の背景の一部として、大過なく過ごす。
そうやって、自分の心の一番柔らかで脆く大事な聖域を守る。
(ここを嗤う人たち、かなりいますが、自分がそうされたら豚のような悲鳴を上げることになるし、他の皆はやはり口の端をひん曲げて嗤うだけなので、本当にやめた方がいいですよ)
そのためなら、効果はあるが意味も価値も分からない、霊符だってファッションだって、デッキを組んだカードバトルだって、いくらでもやってやる。

他人に干渉されて洗脳されて、自分の好きなものを脳内から駆逐されて、自分が自分でなくなるか。
そうではなく、自分が自分のままいられるか。
そういう、部分的な死や自殺にも似た恐怖がかかっているんだ。
そういう絶望的な気分だ。

***

「いつか身も心もまともなキョンシーになれるといいね」
「他人をヴァンパイアにしようとする、元人間特有の、いやな明るさ」
「我々はボーグだ。お前たちは同化される。抵抗は無意味だ」

うるせえ。

***

ファッション、やらないと、上位種族に干されて吸い殺されるだけだ。知ってる。
だが、やりたくねえー!

(以上です)

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。