INTJの人生戦略「あなたの人生に道標はありますか?」
実際にINTJタイプかは別として、一般的にINTJタイプと呼ばれる素質を持った人にとっては、この世の中は生きづらい場所なのではないでしょうか。
もちろん、人生が上り調子の時には、モヤモヤ感や憂鬱な気持ちを多少は無視することはできます。しかし、INTJの持つ漠然とした将来に対する危機感みたいなものは、そんな上り調子の時にすら、自らを蝕んでいきます。
また、INTJタイプは、独立心旺盛で、自立こそが正義だと考えている節があります。ただ、今の日本社会では、学校で勉強して会社員として働くことが王道ルートで、教育はその枠の中でうまくやるためにあると言っても過言ではありません。
組織に入ったら当然人と関わる必要があるわけですが、INTJタイプは、人との無意味なコミュニケーションを嫌う傾向にあります。でも実際には、社会というのは、人と人との他愛もないコミュニケーションで成り立っている面があります。
バス停でバスを待っていると、後から来たおばちゃんが、「今日は暑いですね〜」なんて話しかけてくることがあると思います。あれなんかは無意味の極みですが、実際には、社会にとって必要な要素の一つなのです。
頭ではわかっているけど、素直に受け入れることができない。合理性の鎖に縛らているのがINTJタイプであり、宿命でもあるのです。
中学校や高校では、トイレ一つ行くのにも、常に友達と一緒だったりします。
学生は孤立を異様なまでに恐れます。学校という狭い枠内で孤立してしまうと、生存が危うくなるためです。何も命をとられるというわけでありませんが、孤立してしまうと、修学旅行の際にグループが作れなくて恥ずかしい思いをしたり、風邪をひいて休んだ時にノートを見せてもらえなかったりします。
困った時に徒党を組めないということは、子供にとって死を意味するのです。
その流れは社会人になっても踏襲され、上司の飲みの誘いを断れなくなったり、失敗するとわかっている商品やサービスに拍手をするといった、おべんちゃらなビジネスマンが量産されていくのです。
あなたは不思議に思ったことはないでしょうか?
たま〜に、お菓子メーカーなんかが、ものすごく不味いお菓子を販売していたりしますよね。
バレたら社会的な信用が損なわれることは間違いないのに、大手企業が組織ぐるみで不正を行っていたりしますよね。
我々大人は、歳をとると身体や考え方は多少なりとも大人になりますが、マインドや振る舞いは子供のままなのです。
学生時代に「一緒に昼食べる友達確保しないと…」と焦った感覚は、大人になっても、捨てられないままなのです。
組織社会を一言で言い表すなら疲弊です。
INTJタイプは、他のタイプほど、社会ルールに従順ではなく、その結果、独立、あるいは孤立へと向かいます。
中には、成功する人たちもいるでしょうし、中には、世捨て人のように、社会からの関係を断つ人たちもいるでしょう。
光と闇、陰と陽。どちらが突き抜けるかは、その人次第であり、運次第でもあります。
私は高校生くらいの頃に、周りの人たちと同じゲームに参加するのは無理だと気づきました。高校生だった17歳の頃にはすでに、人生に疲弊していたのです。
そこで私は、人生の戦略を立てることにしました。全てを17歳の頃に立てたわけではなく、都度修正しているし、時には間違っていたと気づくこともあります。あくまでも、今感じていることです。
どこに所属しているかではなく、何ができるかを考える
子供の頃に思っていたことは、人生は働く時間が長すぎるということでした。
1日8時間という時間もそうですし、22歳で社会に出て、それから定年まで60歳、65歳まで働く、これはいくらなんでも長すぎると思いました。
それに、残業なんてものまであって、ただでさえ長い労働時間がより長くなる場合があるし、休日出勤なんてものもあります。
政府は年金を支払い続けるのがキツイようで、定年を延ばして、保険料を支払い終わったらとっととあの世に行ってくれと、躍起になっています。
こんなに働いて、いつ人生を楽しむのでしょうか?
こんなに働いて、いつ子供の成長を感じるのでしょうか?
働くことこそが人生であればそれで良いのかもしれませんが、少なくとも私は、そうは思えませんでした。
親や学校の先生は「勉強して良い会社に入りなさい」と言います。婚活市場では、医者や公務員の人気があります。
でも良い会社に入ることの問題点は、定年まで働かなきゃならなくなるということです。終身雇用は安定の証ですが、一方で監房でもあります。
子供の頃の私は、その檻の中から出られなくなることを恐れました。一度入ったら出られない。頭髪が禿げても、加齢臭を漂わせても、会社に向かい続けなければならない。
娘に「近寄らないで」と言われても、30歳くらい下の新人に「あの人仕事してなくない?」と影で言われても、会社に向かい続けなければならない。
私にとって、会社は監獄でした。
出勤時間が決まっていて、昼の時間が決まっていて、労働内容が決まっていて、退勤時間が決まっている。その檻の中で幸せになれるイメージが、私には浮かびませんでした。
でも現実的には、働かざるを得ません。YouTuberのように人を惹きつける才能があれば良いですが、少なくとも私にはなかったので、会社に所属して働く必要がありました。
そのため、せめてもの抗いとして、できるだけたくさんの知識やスキルを吸収しようと考えました。
世の中には、ブランドを有り難がる人たちがいます。
ファッションにしても、会社にしてもです。
知っているものを有り難がるのは悪いことではないですが、問題なのは、ブランドは、ブランドそのものが価値を持ってしまうという点です。
例えば、銀座のコリドー街でナンパをする場面を考えてみましょう。女性に声をかける時の口説き文句として、「俺マイクロソフトで働いてるんだ」と言えば、相手がOLや高学歴の学生の場合には刺さります。
「ソニーの社員」というエサを使って、ナンパの世界で有名人になった人物もいるほどです。
ゲスな話題になりましたが、ビジネスでの取引でも、知名度がある会社や、下請け相手の商談の場合には、特定の会社に所属していることで、大きい顔をできるケースがあります。
でも例えば、その会社を退職したり、リストラされたり、あるいは倒産したりした場合に、同じように大きな顔をできるか考えてみたことはあるでしょうか?
ブランドはあくまでも箱であって、本質的な価値ではないのです。ヴィトンのバッグは何十万円としますが、ロゴを剥ぎ取ってやれば、質がわからない人にとっては、タダのバッグなのです。
会社員も同じです。どこどこの社員とか、部長とか、いろんな肩書きがついている人間の何人が、ブランドという看板を外して生きていけるでしょうか?
会社に所属する、出世を期待する、退職金を積み立てる、会社の看板で仕事を取る。私は会社に生殺与奪を握られたくなかったのです。
だから私は、ひたすら知識とスキルを追い求めました。特定の会社でしか使えない、社内ルールとか、エクセルの独特の使い方とか、そういうものは全部片手間でこなしました。
その代わり、汎用性のある知識やスキルについては、誰よりも必死で学びました。私にとって何よりも大事なのは、どこに所属しているか?ではなく、どんなことができるか?なのです。
物欲は持たない、欲しいものが少ないほど人は自由になれる
物欲を持たないというのも、人生戦略の一つです。
欲しいモノがたくさんあればあるほど、もっとお金を必要とするようになり、それは結局、嫌々ながらもっと働かなければならないという、負の連鎖に繋がってしまいます。
一方で、欲しいモノがなければ、お金を必要としないので、あまり働かなくても生きていけるようになります。私は人生で一年とか二年とか、全く働かずに旅行したり、読書したりする期間を設けているのですが、あまりお金を使わないので、働かなくても生きていけます。
もちろん旅行にはお金がかかりますし、何も全くお金を使わないというわけではありません。例えば、ブランド物に興味を持たないとか、無駄な買い物をしないといったことです。
例えば、ブランド物のバッグを買うとしましょう。価格は50万円だとします。バッグを買ったら50万円が吹き飛びますが、私なら、50万円あれば半年は働かずに生きていけます。
ダンボールで眠る勇気を
将来に対する漠然とした恐怖を消し去るには、最悪生きていけるという拠り所を持つことが大事です。
私は1年くらい、自分の家がない状態で生活したことがあります。外で寝ていたわけではなく、知人の家に泊まったり、時にはナンパした相手の家に泊まったこともあります。
外で一晩を過ごしたこともあります。
私は常々、食べられる野草に興味を持っています。あるいは、道端でパフォーマンスをしたり、ダンボールで寝ている人たちを観察します。
物価の安い海外で生活する方法も調べています。東京の山谷や大阪の西成も実際に行ってみました。
もしも何もかも全て失ったとしても、生きていける方法が世の中にはある。快適かどうかは別として…
一寸先は闇だと思っていると、恐怖が大きくなって、何かあった時に負けてしまいます。上司からのパワハラにあったり、セクハラにあったり、クビをちらつかせられたりした時に、恐怖で相手に従ってしまいます。
でも、「最悪ダンボールで寝ればいっか」みたいな拠り所があれば、相手に負けずに済みます。
私は組織に所属する時にはいつでも、心に退職届を持っています。何かあってもやっていける自信があるので、誰かに気に入られる必要なんてないのです。
話は変わりますが、海外だと、歩いている時にいきなり物を売ってくる人たちがいて、「まじメンタル強すぎだろ」とある意味尊敬します。必死になれば、何かしら打開策は見つかるはずだと、そんな姿を見て思いました。
キャリアに保険をかける
知識やスキルを手に入れて、人生を楽しむのと同時に、保険をかけておくことも大切です。
たまにニュースとかで、戦力外通告をされたプロ野球選手の第二の人生みたいな特集を見ます。第二の人生がうまくいっている人もいれば、道に迷っている人もいるそうです。
人生が難しいのは、非可逆的であるがゆえです。
つまり、失敗したからといって、来た道を戻れないということです。
もしもこの世にタイムマシンがあったら、きっと何百億円出してでも欲しいという人がいるでしょう。私はそんなお金を持っていませんが、全財産出してでも、欲しいです。
何かをやるときに、ぶっつけ本番だと躊躇する人たちは多いですが、私たちは誰もが、ぶっつけ本番で今を生きています。ゆえに、けっこうな割合で道を誤ってしまいます。
その上、人生のフィードバックは少し遅めです。タバコを吸い続けた人が肺がんで亡くなるのは、何十年後とかだったりもします。
ゆえに、失敗とは思わずに失敗する道を歩むか、誤りの匂いを感じながら失敗する道を歩んだりするのです。もしも人生に観客がいたら、喜劇になるのでしょうか。あるいは心優しい観客なら、悲劇と捉えるのでしょうか。
そういう人生なので、やはりどこかで保険をかける必要があると思います。何か一つに一生懸命になることは素晴らしいことですが、報われるのは一握りです。
大谷選手みたいになりたい野球少年は多いと思いますが、実際になるのは、宝くじで一等を当てるよりも難しいはずです。
もしもダメだった時にどうするか?
第二のプランが必要です。
いや、第二と言わず、第三、第四のプランが必要です。
人生が思い通りにいかなかった時に、どうやって軌道を修正するか。大人になったら自分で考える必要があります。
時には、軌道修正できないまま、
地獄の底に落ちてしまう人たちもいます。
キャリアの面で言えば、やはり汎用性が一つのキーワードになると思います。逆に、特定の会社の特定の仕事のスペシャリストは、今はうまくいっていても、人生戦略的には黄色信号です。
20代で仕事を無くしてもリカバリーは簡単ですが、例えば、50代くらいで仕事を無くした際には、そう簡単にリカバリーができません。
でも、そういった場合でも、介護など、需要>供給の業界の場合には、仕事を見つけることができます。
また、50代で未経験で不動産業は厳しくても、50代過去に経験ありであれば、仕事が見つかる可能性があります。少しでも働いていた経験があれば、状況が変わる可能性があるのです。宅建も持っていたらなおベストでしょう。
食品業界で30年勤務、「だから職探しも食品業界で」という探し方だと、かなり限られてきてしまいます。その業界が人手に困っていなかったり、若手を求めていたりする場合には、一気に詰んでしまいます。
でも、資格がたくさんあったり、業界経験があったり、あるいは人がやりたがらない仕事が苦にならないなら、道はひらけます。そういうわけで私は、キャリアの間口をできるだけ広げるように人生を積んできました。
脳だけで稼げる仕組みを作る
一昔前は、若者の間でフリーターの生き方が賞賛されていたこともあります。
今でこそ、派遣というと悪の根源みたいな言われようですが、派遣で甘い汁を吸ったのは、派遣業者だけではなく、働き手も同じだったはずです。
働ける肉体さえあれば、
いつでも都合の良い時にお金を稼げる。
私も大学生時代に、日雇いの派遣をしました。
登録して数回仕事をしたのですが、すぐに「これはヤバイ」と気づきました。なぜなら、肉体で稼ぐ=体調不良の時には稼ぐことはできないからです。
若い時なら良いかもしれません。でも歳をとった時に、20歳の頃と同じように重い物を持って運べるでしょうか。
これはデスクワークにも言えることですが、どこかに所属して働く働き方は、基本的には心身ともに健康であることを前提としています。でも、周りを見渡してみてください。
あなたの周りには、
心身に不調をきたして働けなくなっている人はいませんか?
人生がまぁまぁ普通の地点から、どん底レベルに落ちてしまった人たちは、大体似たようなストーリーをたどります。
怪我をしてクビ
うつ病になって退職
親などの介護
リストラの場合には、また職を探せば良いのですが、問題なのは、自分の心身に問題が起きた場合です。
この場合、「じゃあすぐに働こう」というわけにはいきません。うつ病になったことがある方はわかると思いますが、深刻な場合には、数年単位で人生を棒に振ります。
ケガは治療すれば治りますが、老いは治せません。40歳、50歳になった時、大学の頃のように「自由な働き方最高!」というわけにはいかないのです。
そこで考えたのが、会社に行かなくても収入を生み出す仕組みを作る必要があるということです。
その方法はなんでも良いのですが、私の場合、その手段は投資です。例えば株式投資なら、配当のある会社の株を持っていれば、自分よりも遥かに優秀な人たちが、毎日必死で働いて、数ヶ月おきに配当という形でお金を送ってきてくれます。
投資をやるやらないは人それぞれの価値観次第ですが、この仕組みを利用しないのは本当もったいないと思います。
歳をとったら身体のあちこちが痛くなり、若い頃のように、朝まで飲んでも平気というわけにはいかなくなります。でも若い頃には、頭では分かっていても、実感することができません。
幸か不幸か、私は高校生の頃から腰痛持ちでした。軽症でしたが、歳をとったらもっと重症になることが分かっていましたし、そうなった時に、気持ちよく働ける自信はありませんでした。
だからこそ、勝手に収入を生む仕組みを構築する使命感を背負うことになったのです。
浪費家とは付き合わない
INTJは、恋愛に苦労するタイプのようです。
私自身、経験上そう感じる点が多いです。
他の人たちみたいに、気楽に付き合ったり別れたりということができないのです。自分を安売りしたくないといえば良い見方ですが、一方で、自分の殻に閉じこもったままとか、人を信用できないとか、そういう見方もできます。
私は1日のうちほとんどの時間、放っておいてほしいのです。
相手もそういうタイプであれば良いのですが、大抵の場合、付き合う=なんでも一緒にするという価値観を持っていて、一人で旅行をしたり、カフェで読書したりすることも許されないのです。
ここでしたいのは恋愛の話ではないのでこの辺にしますが、人生戦略的に大事なのは浪費家と付き合わないことです。
倹約家とも浪費家とも一緒に暮らしたことがありますが、倹約家と一緒に暮らすと、将来における経済的な生存確率が大幅に高まります。
今は別れてしまいましたが、もしも今も一緒にいたら、2人でちょっとした財産を築いていたと思います。逆に、浪費家と一緒にいたら、多重債務者にでもなっていたかもしれません。
自分の幸せを大切にする
最後になりましたが、INTJタイプにとって大事なのは、人に影響されないということだと思います。
INTJタイプの特性上、そう簡単に権威には影響を受けないと思います。「俺誰々と知り合いなんだ」と言われて、かえってシラけた経験のある人は多いのではないでしょうか。
東大生が使っているノートなんてものにも、価値を見出せないのです。
今の世の中は、情報で溢れています。Xやインスタを開けば、誰が何を食べたとか、誰がどこに行ったとか、そういう情報で溢れています。SNSでのやりとりは、言ってみれば見栄と見栄の張り合いです。
みんな幸せだって言うけれど、本当なのだろうか?
INTJタイプは、一人で読書していたって、幸せを感じることができるはずです。
にもかかわらず、誰かの幸せを自分の幸せだと勘違いしてしまっては、苦しくなるだけです。他人がどう思うかではなく、大事なのは自分がどう思うかではないでしょうか。
上に書いた内容は、私の人生戦略ですが、あなたにはあなたの幸せがあって、その幸せを手に入れたり、維持したりするためには、きっとあなたなりの戦略が必要なのだと思います。
それが見つかれば、ちょっとやそっとでブレない信念みたいなものが手に入るはずです。
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