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【南の風に生きてもいいと言われた】モヤモヤを抱えている人は暖かい国を旅してみると良いかもしれない

生きることに疲れた時には、ゆっくりと温泉に入ったり、旅行したりするのが良いと言われている。

思ったよりも長引いたコロナ禍のせいか、あるいは退屈な仕事のせいか。気付かぬ間に心も身体も蝕まれてしまっていたのだろうか。

みんなマスクをしていて、のっぺらぼうみたいに見える。かと思えば、マスクをしていない人が咳をしているのを見て、神経質で潔癖症の私は、ビクッとしてしまう。そういう世の中にすごく疲れた。ただ生きているだけなのに、すごく疲れる。

今は少しマシになったけど、
少なくとも以前はそういう世界だった。

憂鬱な気持ちと、原因不明の体調不良を吹き飛ばすために、私は会社の誰にも明かさずにひっそりと旅をすることにした。電車に乗ったり、飛行機に乗ったりして、あっちへこっちへと、国内を旅することにした。

とりあえずまぁ、行きたかったけど、
行けていなかった場所に行くことにした。

たまに海を見たり、夜の海を見ながらお酒を飲んだり、かわいい動物や、綺麗な女の子に囲まれたりして過ごした。昼間のカフェであったかいココアを飲みながら、太陽が沈むのをひたすら待つ、そんな毎日を過ごした。

あるいは、深夜の街中を一人でぼーっと歩きながら、太陽が出てくるのをひたすら待った。たま〜に朝までクラブで飲んで、そうじゃない時は、誰にも会わずに家に引きこもっていた。

ただただ勝手に生きていたかった。
世間から切り離されていたかった。
ニュースの届かない場所で、
浮世から放り出されていたかった。

政治も株価も、流行りの芸能人も、どうでもいい世界で、ひっそりと生きたかった。大谷選手がヒットを打とうが、三振に終わろうが、正直言ってどうでも良かった。でも「どうでもいい」とは言えない空気が、街には漂っていた。そんな世の中から、少しでも遠くに離れたかった。

けど、どれだけ俗世間から離れてみても、
気晴らしに楽しそうなことをしてみても、
心ゆくまで眠ってみても、
憂鬱な気持ちは全然晴れなかった。

モヤモヤの原因はどこにあるのだろう?
この憂鬱感はどうしたら消えてなくなるのだろう?

国内がダメならばと、海外に行こうかと考えた。
南国の島で1ヶ月くらい生活しようかと考えた。留学して、海外の学生たちとしばらく一緒に暮らそうかと考えた。あるいは、ラスベガスかマカオで、人生を賭けた博打を打つことも考えた。

『バックパッカーズ読本』を書店で買って、平日の真っ昼間にホテルのラウンジで読み漁る。『るるぶ』の海外版を、片っ端から読み漁る。

とにかく、ここではないどこかに行きたかった。
「全てを投げ出してどこか遠くへ行きたい」と冗談で言う人がいるけれど、私はそれを地で行くことにした。

私は投資家として、俯瞰者でもあり、
コマとしての当事者でもあった。
私はこの危ない賭けに、ダブルアップすることにした。

積み上げてきたものを「捨てる」ことに対して、恐いと感じる人たちもいる。

安定した仕事、優しい恋人、貯金、家、
積み上げてきた積み木を、
後生大事に待ち続けている人たちもいる。

肩書きしか取り柄がない奴も、
貯金の数字にしがみついている奴も、
みんなみんなアホだと思う。
どうしてそんなものに人生を捧げたりするのだろう?

私は自分の持ち物を捨てるのが、こわくなかった。ほんとにほんとに、これっぽっちもこわくなかった。
生に対しての未練はなかったし、何もなくても、生きていける自信があった。何もないことのありがたさを知っていた。

そんなわけでひとまず、仕事も生活も放り投げて、暖かい国を旅行することにした。幕開けは『深夜特急』みたいだけど、もちろんそんな大層なものではなくて、こじんまりとした旅に出ることにした。

世間一般的に言う旅の目的はいろいろあるけれど、私は直感とか、第六感とかいうもので、とりあえず海外に行くことにした。とにかく、暖かい国を目指すことにした。

空港に到着した時、熱風が吹き荒れていて、ジャケット姿の私は、1人浮いていた。日本ではまだ、ダウンを着ている人だっていた。暑さは大嫌いだったけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

街中に降り立った時、カフェのテラス席で、モデルみたいに綺麗な子が微笑んでいた。浮き足立っていた私は、「ここは誰も知り合いのいない異国なんだ」と、すぐに旅のワクワクを取り戻した。

微笑みの先にあったのは、私ではなく、彼女と同じようなモデルのような男だったのだけど、そのとき私の横で、南の風が吹いていた。

南の風は、鬱陶しくほっぺたに張り付いた。陽キャの先輩が、陰キャの私に、「お前最近元気ないな、飲みに行こうぜ」と言うみたく、鬱陶しく、私の頬に張り付いていた。

その鬱陶しさに、「お節介はやめろよ」と言いたくなったけど、同時にすごくうれしく感じた。世話焼きおばさんは、荒んだ世の中のマザーテレサだ。そういう人たちに、私はバラの花束とクッキーを贈りたい。

大学を出て無職でプラプラしていた頃、遊ぶお金欲しさに、短期間だけ工場で働いたことがある。そこにも、世話焼きおばさんはいた。顔を合わせるたびに「頑張ってここじゃないところで働いた方が良いよ」と声をかけてくれた。私は今でも、時々彼女のことを思い出す。

なんだか、南の風が「まだ生きていてもいい」と、私に言ってくれているような気がした。なぜか不思議と、そんな気持ちになった。

南の風が吹きつけていて、次の日の夜、私の頬には大きなニキビができた。でもそれは、生きている証だった。どんなに綺麗に産まれても、どんなに金持ちの家に産まれても、屍のほっぺたにニキビはできない。私は確かに生きていた。ガリレオが世界をひっくり返したみたいに、私の世界はひっくり返った。

私は今この時に、『井の中の蛙』という表題を捧げたい。
内向型のタイプは、得てして井の中の蛙になりやすいと思う。自分の内面の世界ばかり旅をしているからだ。

でも実際には世界は広くて、自分の視野は、自分が思っている以上に狭いことに気づかされる。

私は冬が好きだった。冷たい風が頬に当たるのが好きだった。でも冬は、私を生かしてはくれなかった。私は、夏が嫌いだった。日差しが空から降り注ぐ日中が大嫌いだった。でも夏は、私を生かしてくれた。

人生に憂鬱を感じていたり、原因不明の体調不良に絶望を感じている人は、重い腰を上げて、遠くまで旅してみても良いかもしれない。国内では意味がない。暖かいということは、必ずしも夏を意味するわけではない。

空港で間違ったゲートから出ようとして「チガウ!」と言われるような経験とか、レストランのメニューが理解できなくて、”I’ll take this”と神頼みで注文するような、そんな、危険でもない、かと言って快適でもない旅が良いのだ。

もちろん、そういう旅を非現実的だ、という人たちもいる。私自身、非現実的で、非合理的だと思った。身体や心の痛みを我慢しながら乗る飛行機は、きっと苦しいに違いない。

家を出る前には「旅行準備 めんどくさい」とか、「旅行 無駄」とか、そんなことばかりスマホで検索していた。

でも行ってみたら、全然違った。
全然違ったのだ。日本を出て、私は、自分が井の中の蛙だったことに気づいた。

日本に戻ってきた後は、投げ出したものを拾い集めるためにもう一度ちゃんと生きることにした。人生にピリオドを打つにはまだ早かった。少なくとも、まだ早いみたいだった。

若くしてこの世を去る人たちもいる…

若くしてこの世を去ってしまう人たちもいる。そういう人たちのことを、「神様に愛された人」と言う人たちもいる。

そういう話なら、私はどうやら、嫌われていたみたいだった。

中学生の頃、私は学校のほとんどの先生から嫌われていた。クソつまんない授業を聞くくらいなら、独学の方がマシだと考えて、国語の時間に数学を勉強したり、理科の時間に社会を勉強したり、自分で時間割を作って、1人で勉強していたからだ。

ひどい時には、真ん中の、1番前の席で、違う教科の勉強をしていた。そういう人間に対して、「勉強熱心だね〜」と言う大人は、当たり前だけどいなかった。そういうわけで、私はほとんどの先生から嫌われていた。
(20代前半の音楽の先生は普通に接してくれた)

目上の人に嫌われるっていうのは、子どもの頃から変わっていない。

ゲーテの『ファウスト』でも悪魔メフィストフェレスの方に、ナポレオンヒル の『悪魔を出し抜け!』でも悪魔の方に好感を持ってしまうのは、きっと歪んだ気質のせいに違いない。

『デスノート』でも、私は最後まで夜神月が正しいと思っていた。子どもの頃から、ヒーローではなく、悪役に共感していた。ヒーローの頭は空っぽで、悪党は思想があると思っていた。部活動で先輩の試合を見ている時は、いつも「早く帰りたいからとっとと負けてくれ」と思っていた。

こういう奴が、
組織社会でうまくやっていけるはずがない。

仕事も、お金も、恋人も、真っさらな状態から、パズルのピースを組み立てる。

子供の頃仲の良かった友達が、「髪を切った後、切る前の長さに戻るまで(の時間)はかなり早い」と言っていた。

良くも悪くも、人は過去を捨てられない。
元いた場所に戻ることは、それほど難しいことじゃない。スキルや知識、今までやってきた実績は、捨てようと思ってもそう簡単には捨てられない。

貯金は使ったらなくなるし、株式は会社が倒産したらゴミになる。恋人や奥さんにフラれたらそれまでだけど、本質的に価値のあるものは消えてなくならない。

時の流れは非可逆的だけど、
本質的に価値あるものは、時に可逆的になり得る。
そのことを知っていたユダヤ人は、お金(価値が目減りするもの)を本(知識=普遍的なもの)に変えて大事にしていた。

だから本当に価値のあるものだけを、私はずっと追いかけていきたい。自分の可能性を追いかけたい。泥まみれになった時に、それでも笑っていられるのかを見てみたい。

身ぐるみは時と共に剥がされていく。
飛田新地では、かつて綺麗だったのだろう女性が、やり手ババアとして客引きをしている。
でもココ・シャネルは、1971年までずっとカッコよかった。

歌舞伎町や六本木にはニセモノがごまんといる。空っぽの美しさは時とともに消えてなくなってしまう。オードリー・ヘップバーンが美しかったのは、彼女がただ綺麗だったからではない。彼女は他の誰よりも、悲しみを超えてきた。私も彼女みたいに強い人間でありたいといつも思っている。

墓場に入った時に「無難に生きた人間」なんて刻まれ方はしたくない。もっとまわりのみんなを楽しませたい、ドキドキハラハラさせたい。「あいつバカみたいだね」って笑われたい。

自分が自分であるという現実以上に、自分が自分とは別の、離れたどこかにいる存在である可能性を時々感じる。時には、南国の陽気な人たちみたいにテキトーに生きる。時には、お坊さんみたいに生真面目にいきる。

苦しさを積み重ねていくことで、人生に許されていく。喜びを積み上げていくで、人生を許していく。人生の最後に書き上げた本を閉じる。分厚くなる人もいれば、薄っぺらい人もいる。でもみんな、必死に生きていることに変わりない。

ミイラ取りがミイラになるように、バケモノの子はバケモノになってしまう。自分自身や他人の欲望に振り回されて、10年間檻の中に入らなきゃならなくなった人もいる。悲しいけれど、負の鎖はそう簡単に切れたりしない。でも私は同情なんかしない。そうならない人たちもいるからだ。同じ理由で、私は東横キッズにも同情しない。

世の中には、ハタチそこらで、人生の幕を下ろしてしまう人たちもいる。かと思えば、100歳になっても、畑仕事に一生懸命の人もいる。紙一重みたいなのに、そうじゃないみたいに、うまくいくことばかりの人や、うまくいかないことばかりの人がいる。

羨ましく思うことも、同情することもある。
でも同情したり、されたからと言って、救われるわけではない。親ガチャとか、時代とか、そういうもので自分を諦めてしまうのは、あまりにも勿体なさすぎる。

汚い手を使わなくてもお金持ちになることはできる。人や動物に優しい人間でありながら、数字に厳しい人間になることもできる。見つめるだけで幸せになれるくらいの美女やイケメンと付き合うこともできる。世界には、この世のものとは思えない綺麗な景色がたくさんある。

そういう世界を見てみたいなら、諦めちゃダメだ。病気の痛みで毎日苦しくても、お金がなくてカップ麺が贅沢品のような生活をしていても、生きることを諦めちゃダメだ。

毎日少しずつでも前に進めば、理想に近づける。離れているように見える時でも、報われなくてやめたくなるような夜でも、前に進み続ければ、必ず何かを見つけられる。とても苦しいけれど、カラカラの喉でアクエリアスを飲んだ時みたいに、報われる時はある日突然やってくる。

私は人生で何度かそういう経験をしたことがあるから、きっと誰にでもそんな未来はあると保証してもいい。

日本にはもう何十年も前から、閉塞感が漂っていると言われている。インドとか、インドネシアとか、これから日本を抜いていく(GDPで)と言われている国々は、往々にして若い。

年齢もそうだし、熱気がある。そういう国は洗練されていないから、洗練されている国の住民にしてみれば、不便の連続だ。それに犯罪も多いから、洗練されている国の住人はみんな敬遠する。でも閉塞感はない。みんな「頑張れば報われる可能性」を信じている。

日本にも、かつてそういう時代があった。でもバブルが崩壊して、ロスジェネ世代が生まれた。頑張っても報われない時代が幕を開けた。若い人たちは、「どう生きるか」ではなく、「どう死ぬか」を議論するようになった。

『完全自○マニュアル』がベストセラーになった。

経済学には、デフレマインドという用語がある。デフレマインドとは、物価下落や不況が今後も続くだろうという心理状態のことで、一般的には、悲観的なものとして捉えられている。

日本人は、もう長い間、デフレマインドにどっぷりと浸っていた。
日本にはもう長いこと、弱気の風が吹いていた。

守りに徹した大人たちが、子供を産み、その子供もまた、消極的なマインドを持ったまま大人になる。学費が払えなくて数万円欲しさにパパ活をする。弱い者が、もっと弱い者から奪い取る。自己肯定感が低いから、ホストやバーチャルの世界にハマる。後先考えずに、つまらない犯罪を犯してキャリアを台無しにする。

今の日本は、坂本龍馬や三島由紀夫が活躍できるような世の中じゃない。むさ苦しさは、ジェンダーフリーに敗北した。

時代は変わった。退職代行のニュースを見て「辞めますくらい自分で言えないのか」と言ってしまう人は、もう老害に一歩足を踏み入れているのかもしれない。

政治家の二階氏は、”お前もその年くるんだよ。バカヤロウ”と言った。この言葉は、紛れもなく真実だ。

今生きている人たちは、いずれみんな灰になる

私も、あなたも、歳をとっていつか消えてなくなる。新しいカルチャーに染まれば「媚びている」と言われ、古い価値観にしがみつけば「老害」と言われる。

みんなみんなそういう時を経て、
灰になっていく。とはいえ今は、
まだその時じゃない。
どちらかと言うと、カルチャーを作っていく世代の方だ。だから何事においても、強気な姿勢を見せていかなきゃならない。

モヤモヤしていたり、憂鬱を感じている人たちは、往々にして弱気になっていると思う。卵と鶏のどっちが先かはわからないけれど、弱気なマインドは、人生を守りで固めようとする。守りで固めた人生には、いつもモヤモヤが付きまとう。

生活のために嫌な会社に通い続けるとか、理不尽な上司に言い返せないとか、もう好きじゃなくなった恋人と別れられないとか、好きな人に告白できないとか…

ピンチの時こそ、強気のマインドが重要なのだ。進むも地獄退くも地獄の状況なら、進んだ方がずっとマシだ。守るな、人生を守るな。苦しい時こそ、一歩前に出ろ。無責任なことを言わせてもらえば、「行きたくない会社なら辞めてしまえばい良い」と思う。

「仕事を辞めて生活はどうすれば良いのですか?」と言う弱気の言葉は、自分の決断で何かに挑戦したことがないが故の不安だ。自分がやってきたこととか、持っているものとか、そういうものを全部洗い出してみれば、生きていくための武器を意外にたくさん持っていることに気づける。

もしも仮に、「自分は何も持っていない」と思っても、それでも「何かを持っている」と、断言してもいい。真面目とか、考えすぎとか、繊細とか、そういうのは全部武器の一つだ。

(私がかつて一緒に働いていた)社内のほとんどの人に嫌われている人にだって、たくさんの素晴らしいところがあった。世界中でたった1人でも(たとえば親でも、飼い猫でも)、味方がいるのなら、きっと何か素敵なモノを持っている。

こわくなったら、「死んでたまるか」と自分に言い聞かせよう。ゴキブリみたいに、しぶとく生きよう。お金が0円になっても、心の炎が消えない限り、人は終わったりしない。だから「大体のことは大丈夫」だって、私は自信を持って伝えたい。

弱気の風が吹くたびに、私は、「攻めろ」と自分に言い聞かせるようにしている。不安になる度に「神さま勇気をください」と祈るようにしている。

「めんどくさいから今日は家にいよう」とか、「どうせダメだ」とか、弱気の風が吹くたびに、私はあの時感じた南の風を思い出す。

南の風は、「まだ生きていてもいい」と言ってくれた。
受け身ではなく、能動的に生きることの意味を教えてくれた。元気が出ない人は、冗談抜きで、1人で海外に行ってみると良いと思う。少しくらいの弱気の風なら、きっとすぐに吹き飛ばしてくれるに違いないから。


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