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私のニーチェ

「俺、英語久しぶりにやってみるわ」

朝からPによるだるさで筋トレをしないまま、夕寝をした日曜。
そろそろご飯の用意をしようと、何気なくスマホに目を落とすと、kからLINE。
話をきくと、英語だけじゃなくPythonだとか起業だとか、色々始めようとしていた。
kはものすごく頭がいい。
どんなことだって本気になれば、短時間で習得できてしまうだろう。
だけどkは出会った頃から、達観していて能力を無駄にしている節があった。
仕事も最小限のエネルギーでこなすだけで、一所懸命とか夢中さは皆無だった。
勿体無い、羨ましい、才能の無駄使い。
いつもkを見るとそう思ってた。
そんなkが本気になってる。そのうえ、私の領域にまで侵食しようとしてる。
ワクワクする。

kからものすごく長いLINEがくる。
kの知性が高速回転してる、こういう時が好き。
凡人では理解できない、ニーチェのような哲学的な言葉は私をひどく幸せにする。
言ってることの半分ぐらいしか理解できないけれど、こんな美しい言葉を半分でも理解できる自分が密かに嬉しいし、ちょっとした優越感を感じたりする。
一種の選民思想なのかも。あはは。

あー、また会えるの先になりそうだな。
そう思うと、言葉に反してなぜか笑みが溢れる。

「kは私の○○だ」の○に当てはまる言葉がいつも見当たらない。
恋人、最愛の人、とかはしっくりこないし、そもそもカテゴライズすることは関係性を陳腐化することだ。これでいい。
「愛とは何か」を声高に叫ぶのはあまり美しく思わない。

kは私の心のどこかにいつもいる。
私の一部でもあり、親友でもあり、私という猛獣使いでもある。
私の弟みたいであり、お兄ちゃんであり、子供でもあり、師匠でもあり、父でもある。
私たちの関係にはあまり雑味がない。
基本的に自分自身の人生をそれぞれ生きているから、干渉もしない。
かといって、どこか自分の一部でもあるから、薄い関係というわけでもない。
絶対的な信頼はある。だって私の一部だから。
だからいつだってkが私の中に入ってくる時は、あんなに気持ちがいい。

そういえば、久しく会えてはいないけど、kは大谷に顔が似てる。ストイックな感じも似てるな。どうでもいいけど記しておこう。

kは私のニーチェだ
これでいい

おやすみなさい。



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