飲食の戦士たちnote

コラム「飲食の戦士たち」編集部です。飲食業界の社長にインタビューを行い、現在までの人生…

飲食の戦士たちnote

コラム「飲食の戦士たち」編集部です。飲食業界の社長にインタビューを行い、現在までの人生の転機や、起業するきっかけ、苦労話や成功の秘訣など、そしてグルメや求人情報も掲載します。皆さんの参考になれば幸いです。https://in-shoku.info/foodfighters/

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「飲食の戦士たち」とは

キイストンが運営する「飲食の戦士たち」は、飲食業界をリードする企業の社長の生い立ちから生き様、独立までの軌跡を紹介するシリーズです。 飲食業経営者が社長になるまでの生い立ちから修業時代、そして創業時の苦労話を紹介しております。登場する経営者は上場企業から数店舗の社長まで、さまざまな人生模様が綴られています。企業化している飲食業のほとんどが網羅されていると過言ではなく、飲食業に携わる人にとって『飲食の戦士たち』は貴重なデータベースとなっています。 「飲食の戦士たち」の特徴ビジ

    • 時間は有限。だから、ひたすら行動する。

      株式会社きんざん 代表取締役 須田 塁氏17歳のときに父親が倒れる。父親の看護と、日々の仕事に明け暮れる母親をみかね、仕事をかけもちしてはたらく。そのときに、「飲食」ではたらく楽しさを知り、その世界で生きていくことを決意する。2008年、焼き鳥きんざん金山本店をオープンする。 長男、17歳にしてスイッチが入る。 今回、ご登場いただいたのは、焼き鳥「きんざん」などを運営する「株式会社きんざん」の須田社長。1980年、名古屋市で生まれている。 「父は美容師で、最盛期は市内に

      • イケイケドンドンの、義理の親子が、チャレンジした焼肉店の経営。

        大心産業株式会社 代表取締役 橋本健司氏高校卒業後、大阪の有名ホテルに就職。4年後、地元、大分のホテルに転職。奥様と出会い結婚。義父が飲食店経営を始めたことで、ホテルをやめ、サポートに入る。 就職先は、大阪にある世界的なホテル。 母一人、子一人。橋本家は、たった2人の世界だった。 「台所と6畳だけでしたね。母は、からだが弱く、入院すること多かったので、家での生活は私1人ということも少なくなかったですね」。 今回ご登場いただく大心産業の代表、橋本さんは、1971年、大分

        • シーズン開幕~株式会社スマイルリンクル 取締役社長 須藤 剛氏

          株式会社スマイルリンクル 取締役社長 須藤 剛氏高校を卒業し、上京。スマイルリンクルの9期生として入社。以来、現会長の森口康志氏の懐刀として、敏腕をふるい、スマイルリンクルの成長に貢献する。2020年4月、森口氏よりバトンを受け、社長に就任する。 冷めた、野球熱。 小さな頃から畑仕事をしていた。ものづくりの原点は、ここにあるのかもしれない。 父親は大手カメラメーカーに勤務。母親は介護の仕事。祖父母ともいっしょに暮らしていた。 「田舎だから、小学校は1クラス16人くらいで

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          メキシカンのおいしさとラテンカルチャーのあたらしさを~株式会社トランジットメキシカンフードオペレーション 代表 亀山里樹氏

          株式会社トランジットメキシカンフードオペレーション 代表 亀山里樹氏大学在学中アルバイトを通し、飲食事業に惹かれ、グローバルダイニングなどを経て、30歳の時にトランジットジェネラルオフィスに入社。2023年、トランジットメキシカンフードオペレーションの社長に就任する。 カルチュラル・エンジニアリング。 株式会社トランジットジェネラルオフィスの代表、中村貞裕さんは、ホームページで「プロデュース集団からカルチュラル・エンジニアリング・カンパニーへ。と、」と述べられている。

          メキシカンのおいしさとラテンカルチャーのあたらしさを~株式会社トランジットメキシカンフードオペレーション 代表 亀山里樹氏

          飲食で働く人の挑戦をデザインする~LDWorks株式会社 代表取締役 夏木拓郎氏

          LDWorks株式会社 代表取締役 夏木拓郎氏兵庫県姫路市に生まれる。高校卒業後、フリーターとして居酒屋で働いたことでその面白さ、楽しさに魅了される。名古屋の有名店での経験、新店舗出店の経験を重ね、2020年販促コンサル&DTPデザインで独立。2021年3月、神奈川県・座間市に『CAFE NICOLA 』を開業。以後、低投資・短期回収という施策で図業を拡大。従業員の独立を後押しするビジネスモデルを展開中。 「Launch」「Design」「Works」従業員の独立支援を掲げ

          飲食で働く人の挑戦をデザインする~LDWorks株式会社 代表取締役 夏木拓郎氏

          脱東京、はじまる。~株式会社Key table 代表 周郷 海氏

          株式会社Key table 代表 周郷 海氏千葉県出身。大東文化大学卒。学生時代からのバイト先に就職。学生時代から店長を務め、のちにスーパーバイザーになり、仙台から石川まで17店舗を統括。26歳で独立。経営者の道をスタートする。2020年現在、28歳。直営店を千葉に2店舗、福岡に3店舗、宮崎に2店舗を出店している。 140キロとの別れ。 漁師町。祖父も若い頃は、漁師だったそう。いまの幕張からはイメージできない。「両親が離婚したのは、私が小学2年生の時。それからは母と妹と祖

          脱東京、はじまる。~株式会社Key table 代表 周郷 海氏

          富山のソウルフードの、新たなストーリー。~株式会社まるたかや 代表取締役 嶋田秀之氏

          株式会社まるたかや 代表取締役 嶋田秀之氏高校卒業後、北陸コカ・コーラボトリングに就職。製造部から営業部に移り、トップセールスを走りつづける。25歳、結婚。妻の実家である「まるたかや」に転職。2代目の下で、修業を積み、45歳で社長に就任する。 富山のソウルフード。 ローソン限定のカップ麺、「まるたかや監修 醤油豚骨ラーメン」。黒と赤の、ガツンとくるデザイン。キャッチフレーズは「富山のソウルフード」。 今回、ご登場いただいたのは、この富山のソウルフード「まるたかや」の代表

          富山のソウルフードの、新たなストーリー。~株式会社まるたかや 代表取締役 嶋田秀之氏

          今日も、しゃぶ禅では、歓声が上がっている。~しゃぶ禅株式会社 代表取締役社長 菅野雄介氏

          しゃぶ禅株式会社 代表取締役社長 菅野雄介氏大学中退後、父親であり、あのマハラジャの創業者である菅野諒氏が経営する企業に入社。不動産事業を経験したのち、独立。独立して、当時の主力事業だった「しゃぶ禅」のフランチャイズ店をオープンする。 マハラジャと、菅野家と、しゃぶ禅。 日本の男女が熱狂した。ディスコテック。マハラジャはドレスコードや黒服という言葉を、少年少女に教えてくれた。 源流をたどると、「檻の中」や「深海魚」「最後の20セント」「メビウス」」と言う名が上がる。こちら

          今日も、しゃぶ禅では、歓声が上がっている。~しゃぶ禅株式会社 代表取締役社長 菅野雄介氏

          東京でも、〆には、やっぱり、~義元大蔵氏株式会社ディーズプランニング 代表取締役 義元大蔵氏

          株式会社ディーズプランニング 代表取締役 義元大蔵氏沖縄県那覇市生まれ。高校卒業後、渡米し、ロサンゼルスにある語学学校、短期大学に進む。28歳で帰国。尊敬する経営者の下で、様々な事業を経験。40歳で独立し、2015年「やっぱりステーキ」1号店を出店する。 那覇高校卒。 あと少し中心から離れたら、市が町になるところだった、と義元氏は笑う。義元氏が、那覇市のはずれの、小さな町に生まれたのは1975年。かろうじて、那覇市だった。 父親はサラリーマン、母親は薬剤師。母方の祖父が

          東京でも、〆には、やっぱり、~義元大蔵氏株式会社ディーズプランニング 代表取締役 義元大蔵氏

          ストーリーは、終わらない。~株式会社ケンティーズキッチン 代表取締役社長 橋口賢人氏

          株式会社ケンティーズキッチン 代表取締役社長 橋口賢人氏日本歯科大学卒。親族のほとんどが、ドクターといった秀才。スノーボードでプロになり、世界を遠征。バックパッカーでもう一つの世界を知り、世界にリーチできる仕事を志向。世界中で食べられている鶏肉と、アジアの伝統的な調理法、「揚げる」をミックスした日本のからあげに着目。研究を重ね、オリジナルレシピを開発。唐揚げ発祥の中国で出店したのち、帰国。友人をサポートするために渡った沖縄の座間味島で、観光の一助となればと発売した「ケンティの

          ストーリーは、終わらない。~株式会社ケンティーズキッチン 代表取締役社長 橋口賢人氏

          沖縄料理を東京から世界へ。目指すは100店舗。~有限会社やんばる 代表取締役社長 岡本慎之介氏

          有限会社やんばる 代表取締役社長 岡本慎之介氏東京生まれ。大学卒業後、株式会社プロントコーポレーションに就職、海外勤務などを経て7年後に退社。この経験を踏まえて祖父が開業し叔法人化した『やんばる』に就職。初代の祖父、二代目の叔母から引き継ぎ三代目社長として2023年6月、社長に就任。高校生の頃に抱いた「社長になりたい」という夢を実現した。 1988年創業の『やんばる』。初代店主が「東京でもリーズナブルな価格で沖縄料理を提供しよう」と新宿で開業したのが始まりだ。「沖縄文化を東

          沖縄料理を東京から世界へ。目指すは100店舗。~有限会社やんばる 代表取締役社長 岡本慎之介氏

          創業者の思いを胸に刻み、挑戦し続ける。~株式会社ペルゴ 代表取締役社長 小林康浩氏

          株式会社ペルゴ 代表取締役社長 小林康浩氏群馬県明和町に生まれる。高校時代から演劇に興味を持ち大学進学後、さらに没頭。社会人になって演劇と仕事の両立を図るが限界を感じ演劇を断念。新しいチャンレジとして東京でCafeを開き飲食の世界に飛び込むが厳しい現実に直面。その後、義父母が経営していた会社に就職し『餃子の王将』FC店の運営に関わる。義父亡き後、社長就任、現在に至る。 1979年、兵庫県南西部、国宝姫路城で知られている姫路市の中地に『餃子の王将・中地店』が開業してから45年

          創業者の思いを胸に刻み、挑戦し続ける。~株式会社ペルゴ 代表取締役社長 小林康浩氏

          ラーメンの魅力、それは自由さにあり!~株式会社CF3プロジェクト 代表取締役 大口竜二氏

          株式会社CF3プロジェクト 代表取締役 大口竜二氏東京都豊島区巣鴨生まれ。一時期、埼玉県川口市で育つが小学校3年以降は巣鴨。高校生のころからサーフィンに取りつかれ、大学卒業後、サーフィンの聖地、千葉県茂原市に居を移し、プロのサーファーを目指す。当地で偶然の出会いから個性溢れるラーメン店「三軒屋」を開業。 プロのサーファーになりたい!巣鴨から茂原市へ。 「プロのサーファーになりたかったんです。25歳までにプロのサーファーになることが夢でした」。そう語るのは、三軒のラーメン店

          ラーメンの魅力、それは自由さにあり!~株式会社CF3プロジェクト 代表取締役 大口竜二氏

          プロの客、舵を切る。~株式会社和僑ホールディングス 代表取締役社長 坂田敦宏氏

          株式会社和僑ホールディングス 代表取締役社長 坂田敦宏氏東京都東村山市出身。地元中学卒業し、建築職人となる。鳶職人、塗装職人を経て22歳にハウスクリーニング業を起業。のちに法人化しビルメンテナンス業を中心にフランチャイズ展開を行い、その他リフォーム・人材派遣・業務請負・IT・芸能・コンサルティングと事業を拡大し、11社のグループ会社をつくる。2012年1月脳幹出血で倒れ、言語障害・半身不随になり、治療に専念するためすべての職務を退任。2年間のリハビリ生活を経たのち、2014年

          プロの客、舵を切る。~株式会社和僑ホールディングス 代表取締役社長 坂田敦宏氏

          目配り、気配り、心配りのサービス目線で。~株式会社トーヤーマン 代表取締役 當山鯉一氏

          株式会社トーヤーマン 代表取締役 當山鯉一氏5歳から沖縄・那覇市で育つ。高校卒業度、東京でアパレル業界の職に就くことを目標とし、資金を蓄えるため自動車工場で工員として働く。20歳で上京。就職を望んでいたアパレル業界の壁は高く、ある意味、職を転々。悪戦苦闘を重ね飲食業に出会い、魅了され自身の店を持つにいたる。 15歳。マックでのアルバイトが飲食業初体験。 「沖縄県那覇市の出身です。ただ、厳密に言うと戸籍は世田谷区の池尻大橋なんです」と出身地を語る當山氏だが、余談ながら付け加

          目配り、気配り、心配りのサービス目線で。~株式会社トーヤーマン 代表取締役 當山鯉一氏