勝手にさらけ出してろよ
最近ツイッターなんかを見てると、「自分をさらけ出せ!」的なフレーズをよく見かける。
なんというか、少し暴力的な気がする。
新国立劇場の小川絵梨子さんが(たぶん)言っていたことで
「役者は自分のもっとも深いところにある体験をさらけ出す必要はない。それは大切にしまっておくべきだ」
という話がある。
「俺はこんなにさらけ出してるぜ!お前はどうだ?」
なんて、言われてもねえ。勝手にさらけ出してろよと言いたくなる。
役者に「もっと自分を見せろよ、隠すなよ」
とディレクションを出して、うまくいった試しがない。
だいたい役者が心を開いていないと感じたら、演出の側に問題があると言っていい。
というか、そう思って行動するしかない。相手を強引に変えることはできないのだ。
しかし、心を開く時からというのは、最も劇的な瞬間の一つであり、物語が描写すべき対象である。
最近、友人とアニメ版のポケモンを見る機会があった。
それは、サトシたちがナツメシティへと訪れて、ジムリーダーのナツメと闘う回だった。
ナツメは幼少期から、その特殊な能力故に孤独だった。
そんな彼女が、サトシたちとの戦いを通して心を開いていく。そんな筋書きだ。
ぜひ一度見ていただきたい。大人が見ても感動するほどの大作だ。
こころは開かせるものではない、自分からひらくものだ。私はそう思う。
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