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恋の瞬間をリフレインしてしまう人のための映画。『ビフォア・サンライズ』

失恋するたびに思う。恋なんてただの幻想だ、と。所詮は脳のバグから生まれる感情、勘違いのような感情に過ぎない。あるいは遺伝子が要請する本能的な命令によって、抱いている感情に過ぎないのかもしれない。

恋に裏切られ、絶望した経験をすると、恋なんて感情は何一つとして形に残らないし、無意味に思える。

そもそも、恋が成就して恋人関係になったとしても、いずれは恋する感情は薄れていく。所詮は賞味期限付きの感情だ。そう理屈では分かっていたとしても、恋していたときの状況を何度も頭の中でリフレインしてしまう。

ビフォア・サンライズ』はそういう映画だ。恋について考えるとき、僕はこの映画のことを思い出してしまう。

「恋が生まれる」瞬間を描く

リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ』が描くのは、恋が生まれる瞬間だ。アメリカ人青年ジェシーがヨーロッパ旅行中の電車内で、フランス人の大学生セリーヌと出会い、ウィーンで過ごし、恋に落ちていく1日を描いている。

本作のほとんどが、2人が街中を歩きながら話す会話で構成されている。バーで飲んだり、ゲームをしたり、夜の川辺を散歩したりしながら、ひたすら会話をする。

何か印象的な会話があるというわけではないが、2人がただ惹かれ合っているということは伝わってくる。恋のはじまりってたしかにこうだよな、と思い起こさせる。

恋が生まれる瞬間をここまで丁寧に描いている映画は、おそらく本作以外にないのではないだろうか。出会ってからの1日を描く、という点にフォーカスしているからこそできた作品だ。

本作の魅力は、単に恋が生まれる瞬間の美しさを描いているだけではなく、いつかは失われる、賞味期限付きの感情であることも示唆している点にある。映画のラストで、画面から恋の終わりがイメージされるような情景が映し出されるのだ。

2人が夜を通して巡ってきた場所の、早朝の光景がインサートされるが、まるではるか昔の思い出のようにすら映る。つい数時間前に訪れた場所だというのに。

2人の関係性はもちろん変わっておらず、完璧に愛し合っている。だが、朝を迎えた2人は、なぜか昨晩までかかっていた魔法が溶けたかのような印象すら抱いてしまう。

別れのときは訪れる。住む国が違う2人はもとの生活に戻らなければならない。再会を約束し、別れる2人。本作は3部作になっていて、2作目の『ビフォア・サンセット』は9年後の話になっている。2人が再会できたのかどうかは、2作目を観ないとわからないようになっている。

恋に意味なんて、必要ない

本作や続編を通して描いている恋の解釈は、僕にとっては救いに感じる。それは一言で言えば次のようなことだ。

恋はいつかは失われるが、その瞬間はたしかに存在していたし、忘れがたい幸福な記憶となる。

恋なんて無意味だ、と絶望しているような人間にとっては、薬のような映画なのかもしれない。

この映画を観ることは、恋の瞬間を脳内でリフレインする行為に近い。それに何の意味があるのか。別に意味なんてないし、必要ない。幸福な瞬間がたしかにあった。それだけでいいだろう。

『ビフォア・サンライズ』のことを思い出しながら、この文章を書いていると、恋なんて所詮は幻想だ、と思いながらも、結局は恋っていいものだな、なんてティーンエイジャーのような考えになってきた。結局はまた懲りもせず恋をしてしまうのだろう。

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