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#3 死ぬ時、後悔したくない。

もしお前が死ぬ時、後悔するくらいならその内定を捨ててでも挑戦すべきだ。       by 兄
人生の分岐点 サウナにて

お世話になっております、井上諒汰です。
今日は自分の人生のテーマであり、人生において大きな選択が迫られたときの僕なりの判断基準である、『死ぬ時に後悔しない選択はどちらか。』
という考え方について書きます。
それは僕がプロ選手に挑戦しようと決心した時の話でもあります、いつもよりまとまりがなく、長くなってしまいましたが是非最後まで読んでいただけたらと思います。


いつしか諦めだしたプロへの道

小学生の頃は、自分がNBA選手になれると信じてやみませんでした。なんなら文集に所属するチームやドラフト順位、背番号まで書いていました。笑(たしか、ラプターズにドラフト8位で入団、大好きなレブロンやジョーダンと同じ背番号23番と指定していた気がします。笑)

それが中学 高校 大学に進学するにつれ、様々な経験を通して僕では無理ではないかと疑い始め、プロの道へ進むことも諦めてしまおうかと悩むようになりました。(中学から大学で諦めてしまう要因となった様々な挫折の経験は長くなりそうなのでまたの機会に。)
それでもバスケへの熱、愛情は変わらないし、それぞれのカテゴリでチームとしてや個人として達成したい目標があったので、遠い将来の目標はあまり深く考えずにいました。その中で薄っすらと『プロになりたいな。でもなれるかな?』と、なりたいものと、なるために必要な実力にギャップを感じ始めました。そんな想いの中、大学4年生となり周りは就職活動を始め、僕も将来について選択しなければならない時期になりました。

就職活動。

大学4年の春、プロになりたいという願望は持ち続けていましたが、なれない可能性や怪我などでバスケができなくなった場合の保険のためと就職活動を始めました。書類で落とされたり、グループワークなどで他の就活生と学力等の差を感じ、バスケをしていない自分に無力さを感じる時もありました。しかし、小中高大とバスケを続けキャプテンを務めたことなどが評価され、主に繊維を扱う専門商社から内定をいただきました。

最終面接の時、『これだけ学生時代にバスケに打ち込んできて、プロへ挑戦したいと思わないの?』と聞かれました。
僕は、『プロに挑戦したいです。でも怪我の可能性や実力を考えると就職活動もするべきだと思ってやっています。もしプロからの誘いがあればそちらに行かせていただくと思います。』と応えました。
面接官だったその会社の社長は『正直な男だな。気に入った。君の挑戦を応援するし、君と仕事できるのならそれも楽しみだ。若者の未来に幸あれ。』と言いました。
かっこいい大人だ。

就職か内定辞退

そんな大口を叩いた僕は、あとはバスケを頑張ってスカウトの方に声をかけていただくのみと春の大会に臨みましたが声はかからず。大学のコーチや先輩方を通してチーム関係者に試合の映像やスタッツを送りましたが良い連絡が返ってくることはありませんでした。そして大学4年の夏頃内定先から『うちに就職するか、辞退するか決断してください。』と連絡が来ました。僕は兄に相談しました。するとこう言われました。

『プロに挑戦せずに就職して後悔はないか?もし会社に入って安定を手に入れたとして、お前が死ぬ時あの時プロへ挑戦すればよかったと思わないか?なれなかったとしても、100回トライアウトに落ちたとしても挑戦した方が後悔がないと思わないか?俺は100回トライアウトに落ちた人は挑戦しなかった人よりも魅力的だと思う。』
かっこいい兄だ。



その後親父にも相談しました。


『お前がやりたいことをやればいい。1年所属先が見つからなくても心配しなくていい。やりたいならやればいいし、お母さんも俺もそうやってやりたいことはやれるように育てて来た。』
書きながら涙目になりました。

姉の存在

兄や親父の話を聞きほとんど気持ちは決まっていましたが、さらに僕の背中を強烈に押したのは姉の存在でした。姉は大学卒業後、女優に挑戦しました。(大学で演劇専攻だったのですが、家族や僕は裏方に興味があるのかな?と思ってたので出役の女優を目指すと言われてめちゃくちゃ驚きました。)
その道は想像を絶するほど厳しく険しいものだったと思います。僕にはいつも笑い話にしてくれますが、何個もバイトを掛け持ちし(飲食、土木、ベルトコンベアに流れるテレビへシールを貼る、etc…)小さな劇団に所属し、たくさんの理不尽やもどかしさを感じたのではないかと思います。
それでも小さい細い身体で夢を追いかけながらなんとか生きていく姉を見て、『こんなでかい図体の俺が挑戦しないなんてありえないやろ』とプロ選手になる決意をさらに固くしました。

内定を辞退し、プロ選手になる。今年無理でもバイトを何個もかけ持ってでも挑戦し続ける。家族の言葉、背中を見て僕の気持ちは揺るがないものになりました。

結果的に大学の引退試合となった vs大阪体育大学
この時既に内定は辞退しておりプロからの誘いもなかった。

佐賀バルーナーズ

そこからトライアウトを受けては落ち、一次選考の人数を絞る段階で弾かれ、先に帰らされるなど悔しい時間を過ごしました。またBリーグはシーズンが開幕し、同級生の有望な選手は次々と特別指定選手として活躍し始めました。『悔しいけど、今シーズンは無理か。』と思っていた頃、Bリーグの事務局へ登録していたメールアドレスに

『佐賀バルーナーズというチームが発足し、メンバー募集のためトライアウトが開催されます。』という旨のメール。運命めいたものを感じました。新しいチーム、地域リーグから最短でB1を目指す。なんか俺にあっている気がすると思いました。理由や根拠はないけど、これ多分いける気がする!!

その予感は的中し、トライアウトに合格して佐賀バルーナーズの一員としてプロ選手になるという夢を叶えることになります。トライアウトの話やその後、今回出てこなかった大好きなオカンの話はまた改めて詳しく書くとします。

長くなってしまいましたが読んでくださりありがとうございます。いつもより感情的に書いてしまいました。皆様このnoteがよりよくなるように意見などよろしくお願いします。
よろしければまた次回も読みに来てください。ではまた。

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