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#12. なし男の場合・3 (未完.仮アップ)

(前回まではコチラ)


さらに
なし男を
困難に思わせていたことのヒトツが


家庭でのスタイル・ルールが
外の世界で
ことことく通じなかったことだった。


まだ
なし男が
小学校に通っていた頃のことだ。


家で
聞いていたような
父親のと
同じスタイルで


それでも
何千分の1かの
声を上げると


同年代の子や
その親や
周囲から
恐ろしがられた。


それに気づいて以来
父親のように怒鳴ることに
気を付けるようになった。


自分の中に
同じようなモノがあることが
恐怖だったし


どうすれば良いか
分からなかった。


そんなことを
意識するようになると


他の人(子)方は
なんだか
ずいぶん
のんびり過ごしているように
映るのだ。



それほどまでには
緊張してないように見えるのだ。


不思議で
しょうがなかった。


なぜ
こんなに
のんびりしてて
堂々としていられるのだろう??


しかして
実際
他人の家の中を覗く機会は多くなく

垣間見る機会があったとしても
よそ行きの家の中が見られるだけなので


内内の実際では
他の家では
どのようなことになっているのか
まったく分からなかった。


だから
どうしても
自分の家の中で見ていることが
自然に外で出る


学んだつもりなどなくても

他が分からないし知らないし


小さかった
なし男には
どうにもしようもないものに感じられた。


違う世界線にいるようだった。


本当に
そのスタイル・ルールが
噛み合わず
自分でアジャストしていかなければならず


なし男には
気疲れが多く
ずいぶんと骨の折れる作業だった。



そんな外の世界から
家に戻ると


父親さんは
いつもの
自分の正しさを主張し


母親を
大声で怒鳴りあげる。


独自の正しさに覆われた社会のルールだった。


正しさを疑うようになった。

特に
勢いよく語れる正しさは
その人だけの
価値観が体験がもたらす
偏った見方である場合も多いと思った。


そんなものをもって
人に勢いよく
正しい論理をぶつけてくる人を
信用できなくなった。


色んなモノを見て知れば知るほど
そんなに簡単に
自分の正しさをもって
人に多くを語れたりは
なかなかできないものではないか?と思うようになった。


色んな角度を踏まえて
慎重に語られるべきモノだと思うようになった。


正しさは
人を追い詰めてしまうことも
あると知ったからだ


なし男は
正しい理屈が
人を癒せるワケでは
決してないことを学んだ。


さらに
なし男が
しんどかったのは


夜の両親の
寝室の会議だった。



両親の部屋から
会話が漏れて聞こえてくるのだ


「アレ(なし男・妹のなし子)のアレ(行動)は何だ? アレはダメだろう。アレはこういうふうにしとかないと」などが酔っ払って、母親に伝えられてるのだ、しかも長々と。しかも直接は言わなかったりしたことを延々と、しつこくだ。それが時々に大きな声になったりして聴きたくもないのに耳に入ってくるのだ。



もちろん、そんな話題ばかりでは無かったかもしれないが
かなりの割合で混じっており


それを繰り返し聞いていると、いつもダメ出しの会議が深夜、あの部屋で行われているのだ、と思うようになってしまった。

そして、それが翌日に
母親から忠実に伝書鳩のように降りてくるのだ


「父さんが、こうこうこう言ってた(だから、こうしておいた方がいい)」と。


「あぁ、そうなんやね」(聞こえてないフリ。まあ、また母さんが怒鳴られることにもなるしな)


ガッカリした。



そして、
そんな時、
「やはりこの2人はチームなんだな」と
思うことが多かった。



おかげで
成長してからも


なし男は
聞こえるか聞こえないかの会話に
ものすごく聞き耳が立つようになってしまい


ヒソヒソが耳鳴りのように残ったり
脳内にノイズがよくわんわん鳴るようにもなり
ずいぶんと苦労する羽目にもなった。


他にも
チームを組まれて
色々と話をされることや


チームを組みたがる人などに
ずいぶん嫌悪を感じてしまうようになった。


「もちろん、自分のせいがないなんて言うつもりは全くないさ。自分がカンペキだなんて思わない、足りないことだらけすぎるさ、そんな自分が色々言うのはおかしいとは思うさ」


「でも、そんな見方をもしできなかったら、すべて自分のせいだと受け止めてしまっていたら、自分はどうなっていたろう、そう思うとゾッとすることも事実さ…」




(おさんぽアルケミストのワンフレーズ)
『勇気、、、


自分の内側に
深く潜り
見たくないモノに目を向けて



書き出したりして
見えるようにしていくことは


時に
自分の身を一部削りとるような
しんどさを
伴うものかもしれない。


もしキミが
短い期間を生きていく中でならば

それらにフタをし、見ないようにして
なんとか
やり過ごしていくことはできなくもないだろう


けれども


フタをした上に
築き上げられた
神殿は
どんなステキで煌(きら)びやかな思いやコトバで
鮮やかに彩られようとも
脆(もろ)いものさ


勇気、、


それは
とても
勇気が必要で


それは
とても
一時
しんどいことだけど



そのパンドラのフタをあけ
ネガティブな自分の感情と
しっかり向き合い
見つめ
否定してくなる自分も
書き出すことは


一見
短い目でみれば
マイナスなこと、
良くないことに映ったとしても



長い目で見れば
必ずプラスのエネルギーに
変わってくれることなのだ



大きな時間で見れば
真に心を支えるエネルギーの土台を
築いてくれるものなのだ。


煌(きら)びやかな思いやコトバ
鮮やかに彩られてるが
土台の脆い神殿と


見た目は簡素で
何もない
だが
土台がしっかりした
東屋(あずまや=風よけ程度の簡素な家)



どちらが
長く確かなものを
育めるだろうか?

キミは
どちらに
とどまりたいだろうか?


キミが
とどまりたいと思う方が
きっと多くの人が
とどまりたくなるような
宿木(やどりぎ)さ


そう
それが


勇気が
もたらしてくれるモノだよ




そう、
だから、、


ボクは
いつだって
自分のコトバを語るモノを
応援するさ!


勇気をもって
自分のコトバを
内側の響きを絞りだして
語るモノを


応援し、寄り添い、励まし、後押しを
しないはずがないじゃないか!


だから
そう

安心して
キミの声を
きかせておくれ!』


なし男の内側には
“おさんぽアルケミスト“に書かれた
そんなコトバが去来した。


そんな
なし男の様子を
見知らぬおじさんは
鎮(しず)かに見つめ続けていた。


(つづく)



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