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作品とアーティスト自身は分けて考えるべきか

 今年5月に、ケイト・ブランシェット主演の「TAR/ター」が公開された。僕はケイト・ブランシェットの大ファンなので、公開日に鼻息を荒くしながら映画館に駆け込んだんだけど、ものすごく長くて(上映時間3時間)、でもイケ散らかしてるケイト様のパンツスーツスタイルをこれでもかというほど堪能してしばらくはこの映画の余韻に浸っていた記憶があるんだけど…今になってまた「TAR/ター」のことばかり考えてる。急に映画の話をここでし出したのも、僕は別にケイト・ブランシェットがいかに崇高なスターであるかを熱弁したいわけではなく(いや、したいが)、この映画の内容は音楽をやってる人にとってすごく考えさせられるということを伝えたいのであーる。

 本作はベルリン・フィル史上初の女性マエストロ(指揮者)であるリディア・ターを主人公にしたドラマで、さらにターは同性愛者でありコンマスのバイオリニストの女性と恋愛関係にあること、そして実際にはベルリン・フィルやウィーン・フィルのマエストロに女性が就任したことがないことを鑑みても、音楽家と性差別をはじめとする差別問題の関連性についてテーマの1つとして取り扱っている。もちろん趣旨としてはそれに留まらず(まあこれ以上言うとネタバレになるので控えるけど)、色々な観点から考えさせられる映画なんだけど…

 とにかく僕が最近考えてるのは、映画内でも議論される「"生み出された作品"とその生みの親である"芸術家自身"について、どこまで関連付けて考えるべきなのか」ということ。(それがこの映画の主題ではない。)

本編映像の一部がyoutubeで公開されてるのでぜひ観てほしいんだけど、これは僕が最も印象に残ったシーンの一つで、ターが音楽院での授業でバッハについて解説したのに対し一人の生徒が「バッハは女性差別主義者であったので彼の曲は好みじゃない」と言ったことからディスカッションが始まる場面である。
 ヨハン・セバスティアン・バッハはもちろん誰もが知っていて世界中の専門家から評価されている音楽家だ。だが彼が差別主義者だったことを知っている人はどのぐらいいるだろうか。で、もし知ったら彼の曲の評価が知る前と変わる?「もしバッハの才能が性別や出生国で格下げされるようなら、あなたも同様よ」とある。例えば女性差別の激しかった時代に女性の作ったクラシックが女性というだけで評価されないことに対し、「性別と作品は関係ない」と当然のように言える。じゃあ逆に女性差別していた側の作品を「差別と作品は関係ない」と言うのも正しいのではないかという議論だ。少し前にも(ちょうど去年の秋ごろと思うが)ロシアのバレエ団が東京で公演したことに対して反発もあった。彼女らがウクライナを侵攻している国出身だから?大統領を彼女ら自身が選挙で選んだから?それは公演の内容と、バレエと、何の関係があるのか???

 ここからは僕自身の考えになるけど、芸術を人が生み出す以上アーティストと作品は切っても切れない関係にあるんだから完璧に「切り離して考えるべきだ」とは思ってないんだよ。でも僕は曲は曲として評価すべきというターの意見に大方賛成しているところがあって、まあ思いっきり自己矛盾してる。
 例えば同じアーティストでもプロデューサーをプレイヤーに置き換えればもっと分かりやすい話で、演奏の上手さって多分プライベートとはあんまり関係ないんじゃなかろうか。だからソロのオーディションとかでも誰が演奏しているかわからないように敷居の向こうで審査員に姿が見えないように演奏させているんでしょ?って思うところもあってさ。作った人が差別主義者というのを理由に作品を批判するのは違うかなって思ったりするんだよね。

 アーティストと作品を分けて考えるべきだってサイドの考え方としては、「アーティストが差別主義者だと知ったとたん、その人の音楽を純粋な”音楽的な観点”のみでは評価できなくなるってのはどうなのさ」っていうのがベースにあると思うんだよね。差別主義者だと知る前は普通に聴いていた音楽を、知ったとたんに手のひらを返して酷評し出す。そういうケースって少なからずあると思うけど、それって音楽を「音楽」として聴いてるのかって話で。
 もし「音楽性」っていうのがそういったアーティストが生きてきた環境の中で磨かれた感性や考え方に影響されて育まれるというのなら、その人の国籍や人種や性別や考え方が書き出すメロディや編曲の技術に反映されるものなのだろう。それなら国籍やら主義主張でその人の作品を評価するのも分かる。
 でも実際には綺麗な音階とか和音とかって決まってるし(どのコードが好きと感じるかは人それぞれだが)、音楽は物理と数学で、ある程度の再現性があって、だからこそ誰にでも平等なものなんだと思うけど。

 一方で、同じ芸術でも例えば映画みたいな総合芸術になってくると、確実にアーティスト(特に脚本家や監督)のプライベートや主義主張って作品に反映されてくると思う。それで「作品と製作者は別!」なんて言うのは無理な話だ。それなら音楽だって、それこそ「反映度合が違うだけなのでは」という可能性もあると思うんだよね。だったら作品とアーティストを分けて考えることはできないし、そうするべきではないとも言える。

 最終的にはどちらが正しいということではないよね当然だけど。ターの「あなたはどんな基準で評価されたい?」という問いに対する答えが自分の考え方に最も近いんだろう。僕は多分、僕の音楽を自身のプライベートや考え方なんかを基準に評価されたくはない。メロディが美しいか、音がカッコいいか、mixは上手いか。そういうのって僕のプライベートには一切関係ないじゃないか、と思う。だって自分と同じ立ち場の人の音楽は良く聴こえて、違う立ち場の人のはビミョーに聴こえるなんてナンセンスじゃん?だから「ターの意見に大方賛成している」んだとおもう。でもそれって音楽に限った話で他の芸術はまた別ってところが、自分の中で一番矛盾しているところというか、納得できない部分みたいな。

 まあでも現実的なことも考えるなら、SNSで人柄を散々公開している時代にそんなことを言っても「切り離して考えられる人ばかりではないし、むしろアーティストのプライベートや考え方がすごく気になる人って多いよね」ってのが現実なわけだ。だから発言には気を付けましょうって…あれ、話変わってない??

 えーっと、つまり何が言いたかったかというと、ケイト・ブランシェットは最高だということです( ー`дー´)キリッ オーシャンズ8がオススメです。僕は100回観ました。
 内容もだけど、この映画、音響と少しホラーチックな演出と何よりケイト様の圧倒的怪演が素晴らしい作品なのでぜひ観てください。長いけど。ってかこの記事が長っ( ᐛ )

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