『アラビア語と横串刺しイノベータのムハンマド』(イスラーム)
40代に外資系IT企業で日本のグローバル企業のグローバルWebサイト構築のお手伝いを行っていた。日本語のサイトを英語に直し、英語をマスターサイトとしてEU各国の言葉などに翻訳するのはイメージが湧くのですが、文字を右から左に書くセム系言語のアラビア語は、日本人の私たちには馴染みにくいものだ。
そこで私は、元麻布にあるアラブイスラム学院(元サウジアラビア大使館)の夜間アラビア語コースに入学し、仕事帰りに通うことにした。アラブイスラム学院はサウジアラビア王国国立イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学の東京分校なので授業料はサウジアラビアと同じように無料(テキスト代のみ必要)だ。最初のうちは慣れないので大変だったが、アラビア語のことが少しづつ分かってくると、なんというロジカルな言葉なんだろう、と感心してしまった。
また、アラビア書道にあるように文字そのものの美しさにも感動する。
(私のアラビア語習得は動詞が語根から派生する付近で頓挫してしまったが...)
また、イスラエルでパレスチナのラジオの音楽番組のベストテンランキングは、毎週1位がクルアーン(コーラン)だと聞いたことがあるが、アラビア語で書かれたクルアーンを音読する音は、彼らにとって音楽のようなのだろうか。
アラビア語のロジカルな規則性の美しさと文字の美しさ、そして音楽としての美しさを知ると、イスラームがぐんと身近なものになってくる。土居健郎氏が「甘え」という日本語から日本人の深層にある心理を科学的に分析した(中空構造と甘えの構造)ように、その民族の言葉はその特性を表すことがあるため、多少なりともアラビア語に触れることはイスラームを知ることに直結する。
ムハンマドが出現する以前(無道時代)の砂漠のアラブ社会は血族を中心とした価値観が血族単位で異なり、生活感情、モラルは部族的血縁関係で規定されていた。
そして、それぞれが分裂、対立、衝突を繰り返し、人生を享楽に費やし、現世の生活を刹那的快楽主義に陥っていたようだ。そうなると、現実そのものに満足できず存在の儚さを胸中に抱え込んだ人々が沸々と出現してくる。
ムハンマドはそのマスクドニードを的確に捉え、砂漠地帯であるアラビア半島に蔓延していた現世の刹那主義的な快楽主義に陥った血族サイロ組織の価値観(慣行)を破壊し、イスラーム(イスラム教)いう新しい価値観で横串刺し横断したイノベータだ。
そして、イスラームというイノベーションは血族サイロ毎に存在したメッカのカアバ神殿の神々(三女神)を破壊し、アッラーひとつにした段階で完了した訳だが、その後もアラビア半島を超え拡大して行った。
ムハンマドはアラビア語を話す人しか弟子にしなかったことや、クルアーンがアラビア語で書れていることもあり、イスラームとアラビア語はセットで横串刺しの共通な「串」として、今でも拡大浸透している。そういう意味でムハンマドは世界の歴史上の人物の中でも、トップクラスのイノベータではないだろうか。
ムハンマドの父は、彼が生まれる前にな亡くなり、母も6才で亡くなり、祖父に引き取られ育ったためか、クルアーンには孤児がテーマとして何度も現れている。また、ペルソナとしてのアッラー(IT部門の人はペルソナを知らない?)が、ユダヤ教のアドナイの真逆の慈悲深い神(ジャマールペルソナの側面)だという点からも、ムハンマドの弱者への優しさを感じる。
さらに、誰ひとりとしてムハンマドを信じる人がいなくとも、全面的に彼を信じ、預言者(予言者ではない)として立ち上がらした15才年上の妻であるハディージャの存在も、マクダラのマリアを彷彿とさせるものを感じ、親近感が増す。
Pew Research Center's Forum on Religion & Public Life 2009によると、世界のムスリムの人口は15.7億人と全体の4分の1弱の22.9%を占め、今後も確実に増加する。
(さらに、シリア難民の多くはヨーロッパに流れ込みその生活を体験することになるため、30年、60年と世代変遷を経ることでグローバルな市場構造は変化する)
たったひとりのムハンマドというイノベータがアラビア半島で起こした血族サイロ組織の横串刺しは、サラセン帝国(正統カリフ時代⇒ウマイヤ朝⇒アッバース朝)を経て、現代では国というサイロ組織の横串刺しを継続し、拡大し続けているのだ。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。